第226話 神話世界の幻想

人魚と言えば(実在すると考えたことはなかったが、イメージとして)南洋の青い海に住み、七色の珊瑚の枝や、毬ほどもある真珠を抱いた大きな貝の間を泳ぎまわって、蝶々魚や海亀と戯れ、

上半身は色白ブロンドの美女、そしてもちろん、脚のかわりに長い魚の尾、と思っていたが、何事も伝説と現実とは違うようだ。


こんな、氷を浮かべた北の海にも人魚がいるんだ。

そのことがまず意外だった。


髪は濡れた海藻のような質感の漆黒、肌の色もアマリリスよりもずっと浅黒い。

一糸まとわぬ裸の姿は、女らしい柔らかさよりも、荒波を潜って氷の海に生きる厳しさからか、人間でいえば軽業師のような、しなやかで無駄のない体つきをしている。

小さなつくりの整った顔立ちは、美人であることに異論の余地はないが、表情の乏しさと黒曜石の瞳のために、どこか不吉で異様な印象がする。


そして何より、脚がある。

脛から先は鰭になっていて、陸上を歩くことは出来なさそうだが、下半身が一本の魚の尾のイメージとは決定的に違っていた。

だとすると彼女たちを人魚の名で呼んでいいのか怪しくなってくるが、

それを言ったら、人狼ヴルダラクのアマロックだって、満月の夜にだけ変身する訳じゃないし、銀の銃弾でなければ殺せないとも思えない。

実在の動物であるキリンが、その名前の由来となった架空の生き物の『麒麟』とは無関係なように、この海棲の魔族を、人間が抱く人魚のイメージに当てはめて比較したってナンセンスだろう。


ただアマリリスから見たこの母娘を、神話世界の幻想からとらえて離さないのは、彼女たちの間にある睦まじさ、

互いに身を委ねあい、あるいは支え合うような、深い慈愛に満ちたしぐさのためだった。


むろん、相手は魔族なのだから、二人の間柄はアマリリスが見て思うようなものであるとは限らず、

何かまるで的はずれな思い違いをしているかも知れない、という考えは頭の隅にあった。

その一方でアマリリスは、この母娘が羨ましくてならなかった。

あんなふうに触れられたい、よそ者は誰も来ない入り江の奥で、二人だけでいたわり合って暮らせたらどんなに良いだろう。


アマリリスの場合、自己体験としては母を知らなかったから、それがどういうものか分からず、あまり母親がほしいと思ったこともなかった。

親類や友達の母親は何人も知っていたが、それはあくまでその親類や友達の母であって、想像の材料にはなっても、アマリリス自身の母親について何かを語るものではなかった。

その点この魔族の人間離れして純粋な親愛は、空想と現実の狭間にあって、かえって自分に引き入れやすかったのかもしれない。


オシヨロフ湾よりもさらに小さなこの入り江は、アマロックも含めて誰にも教えていないアマリリスだけの秘密だった。


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