第222話 氷の森にて#3

「ファーベルってすごいっすね。

すげーしっかりしてて、あんなちっちゃいのに。

でも優しいし、ぼくの方が年上なのに、

ファーベルの方が全然大人、って感じです!」


「ふむふむ。」


あんなちっちゃいのに、という年齢ではないのだが、幼く見えるということか。

あるいは小柄なことを言っているのか。


「ファーベルってどんな子なんですか?」


「?」


知っての通りだと思うが。


「街にいた頃は、学校とか行ってたんですか?

友だちとかいたのかな。」


「私の職場の大学に、教育学部がやってる学校みたいなものがあってね、そこに入れていた。」


学校「みたいなもの」というのがミソで、逆に言うと、いわゆる学校そのものには通ったことがなかった。

こじんまりとした私塾のような教室で、ファーベルがどのように過ごしていたのか、どのような交友関係だったのか、

ヘリアンサスに話してやれるほどには、クリプトメリアは知らない。


「教師には恭順、活発にして真摯、成績優秀と、非の打ち所のない生徒だったよ。」


これは、当時彼の秘書をしていて、ファーベルをたいそう可愛がっていた女性が、しきりに言っていたことだ。

自身が大学教授という職にありながら、教育というものに大した期待も思い入れもないクリプトメリアは、その報告だけを聞いて満足していた。


一方、ヘリアンサスは、口にこそ出さないものの不満だった。

確かにそうなんだろう。

でも彼が知りたいのは、そんな通信簿の講評欄みたいなことではないのだ。


そして本当は、もうひとつ聞きたいことがあった。

クリプトメリアとファーベル、この風変わりな家族の由来についてである。


だがそれを聞いて良いものかどうか分からない、というか、

クリプトメリアに訊ねて、それすらも何だかあやふやな返事が返ってきたらどうしよう、という気持ちがあって、聞くに聞けなかった。


クリプトメリアは気づかずに、マグノリア市にいた頃の、ファーベルのこと、というよりは、ファーベルを取り巻く環境のことを、熱心に話してくれた。



話に気をとられて二人とも気づいていなかった。

カヤックのすぐ後ろ、船が立てるさざ波に沿ってついてくる、水中の二つの影に。


水中にたなびく長い黒髪、なめらかなオリーブ色の肌に、ほっそりとした体つきの女性の姿。

しかし、この氷海を人間が泳げるわけがない。

しなやかに水を掻く脚は、半ばから先が鰭状になっていて、

水の上に半分顔を覗かせ、船上の二人を見つめる瞳は、全体が黒曜石の玉のような黒だった。


その瞳が映すものが何であったか、友好か好奇心か、邪悪な害意の類か、

一体何の意図でカヤックを追ってくるのか、

それはヘリアンサスとクリプトメリアが振り返って彼女たちに対面していたとしても、理解し得ない謎だっただろう。



不意にパドルの動きが止まり、舟は減衰しながら惰性で水面を滑った。


「・・・博士?」


クリプトメリアは唇に指を当てて静粛を促し、そっと銃を持ち上げた。

一瞬のうちに音もなく、2頭は水中に沈んだ。


ややあって氷山の森に銃声が響き渡り、ヘリアンサスが猟果に歓声をあげた頃、

海悽魔族の姿は流氷の下に消え、跡形もなかった。

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