第219話 霧氷が舞う大気の向こう

アカシカは十数頭から数十頭の群を作り、広大な領域を回遊している。

移動の経路や周期は不規則で、待ち受ける側からすると、絶望的に長い間、ただ一頭のシカも現れない、ということも珍しくない。


その一方で、多いときには野山を埋め尽くす大群が、一夜にして押し寄せることもある。

特に、激しい風雪や捕食者の脅威に団結して立ち向かう必要のある冬には。



雪原の大群を見るのは初めてだった。

凍てつく風に巻き上げられた雪が、白い煙となって地表にたなびく丘に、

野山を埋め尽くすとまではいかないが、ぱっと見にはおよその数も掴めないくらいの頭数が群れていた。


あの吹雪の中を移動してきたのだろうか。

いや、吹雪の間はどこかでじっとしてて、今朝になってやって来たと考えるのが自然か。

いずれにしても、これだけの頭数が、あの雪嵐ヴェーチェルを生き延びたのだ、当たり前だけど。

今年産まれたばかりと思しき仔ジカも、ちゃんと元気で、親ジカの周りを跳ね回っている。


太古の昔、オオカミと同じような狩猟民族だったという私たちの祖先も、こんな光景を見ていたのだろうか。

視界を遮る木の葉がなくなり、白い雪の上に一頭一頭がくっきりと浮かび上がるシカの群れを眺めるうちに、ようやくこれが夢や幻ではないという実感が湧き上がってきた。


それは、ここが生命の欠片もない死の森だと決めつけて、勝手に絶望して苦しんでいたアマリリスをあざ笑うかのような、力強い豊穣の光景だった。


食事を終えて人間の姿に戻ったアマロックが、アマリリスが脱ぎ捨てていった毛皮外套を羽織り、斜面を上ってきた。


「?

どうした。」


「・・・別に。睫毛が凍って。」


アマリリスはミトンを外し、瞼を拭った。

そして、雪原を疾駆する黒い獣の群れを眺めた。



何とかしなきゃ、

オオカミを助けてあげたい、


そんな考えそのものが、傲慢だった。

異界を、オオカミたちをナメてた。


太古から続くこの森で、ずっと暮らしてきた獣たちの生活が、

今年は雪が多いとか、シカがなかなか巡ってこないとか、そんなことで何か変わってしまうわけがない。


窮乏が続き、運悪くこの群れのオオカミが飢えに倒れるようなことがあっても、

それ自体連綿と続いてきた営みの一環で、異界の姿の一部なのだ。

人間の自分が手出しして、変えるとか救うとか、そんなことが出来るはずもない。


空を仰げば、霧氷が舞う大気の向こう、重苦しい雪雲が一面に広がり、晴れる気配はない。

けれど今日、苦しかった飢餓は終わった。

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