第218話 種族を超えた戦友#2
シャクナゲの茂みにはまって身動きとれない状態から、アマリリスは壮絶な格闘のすえ、枝に絡みついた毛皮外套を脱ぎ捨てて、ようやく茂みから這い出してきた。
死闘は続いていた。
オオカミ達にのしかかられてなお、アカシカの蹄はうなりをあげて空を切り、大きな枝角は、天敵を突き殺す力を残している。
アカシカの耳を聾する咆え声、オオカミの荒々しい唸り声が交錯する。
どちらが優勢とも言えなかった。
腰に下げた短剣の柄を握った。
柄頭まで鋼材が貫いた頑丈な構造は、厚い氷を打ち割るハンマーになって、アフロジオンの命を救ってくれた。
実際それは武器というよりは生活の道具で、鉈や鎌、スコップの代用としての用途が主である。
しかしその切先は鋭く、十分な刃渡りがあった。
躊躇する気持ちを押しきって、思いきり引き抜いた。
鞘を走る感触までもが、この間とはまるで違って思えた。
わずかな距離を滑ったり転んだりしながら駆け寄って、オオカミたちに突き飛ばされ、踏んづけられながら、アカシカの胴体に馬乗りになる。
逆手に握った短剣を振り上げたところで、手が止まった。
”突け。
刺し殺せ”
頭の中で、誰かが叫ぶ。
やらなきゃ。
ここで逃がしたら、もう、サンスポットたちは、、、
けれど短剣を握る手はぶるぶる震え、全身の力がすべて抜け出てしまったみたいに、何もできなかった。
不意にシカが大きく暴れて、アマリリスは空中に跳ねあげられ、ほとんどまっ逆さまに雪の中に突っ込んだ。
顔について視界を塞ぐ雪を振り払い、無我夢中で死闘の場に戻る。
再度オオカミたちと押し合いの末、アカシカの上に身を投じた格好になった。
無理。
あたしには無理、とてもできない。
自分の頼りない重圧で、荒れ狂う獣の圧倒的な力を必死に押さえつけながら、アマリリスは認めざるをえなかった。
それでなくても、さっき投げ出された弾みで、短剣はどこかに行ってしまっていた。
ごめんねサンスポット、ごめんね、、、
あたしでは、やっぱりあなたを救ってあげられない。
今にもオオカミたちを振り払って跳ね起きそうなアカシカに、バカみたいにしがみついているしか出来なかった。
すでに胸の中では慟哭が渦巻き、それが声にならなかったのは、依然として背中は踏みつけられるし、誰かの股が頭の上にあったりして、タイミングが掴めなかっただけだった。
不意にアカシカの抵抗が弱まり、やがて全身を震わす痙攣にかわった。
それも次第に静かになっていった。
顔をあげると、アマロックと目が合った。
彼の顎にアカシカは喉を噛み潰され、生命の消えた、濁った瞳を晒していた。
オオカミたちはアマリリスを上に乗せたまま、アカシカの腹を引き裂き、がつがつと貪りはじめていた。
アマリリスはよろよろと立ち上がり、5、6歩離れたところからその様子を眺めた。
これで救われたのだ、という実感が、どうしても持てなかった。
オオカミたちの淡々とした様子のせいだったかもしれない。
餓死の危機を脱した歓喜も、数週間ぶりのまともな食事への興奮も、
今回の猟果において、種族を超えた戦友が果たした貢献への敬意ももちろんなく、ただ一心不乱にがっついて、噛み裂き飲み下して行く。
ともすれば、直前までの厳しい窮乏や深い絶望が嘘であったかのような気がしてくるほどだった。
そう、もう一つしっくりこないのは、なぜここにアカシカがいたのかということだ。
・・・前触れ?
あ。
胸がどきどき鳴りはじめた。
アカシカとオオカミたちが走り出てきた足跡を辿って、アマリリスは低い稜線の上に出た。
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