第215話 もう、十分だよ。

”しばらく、森には来ない方がいい。”


どういう意味よ、それ。


アマロックの言葉と、それに対する問いが、際限なく頭の中を回り続けていた。


考えてみれば、かんじきをどこかで無くした。

けれど二晩におよぶ雪嵐ヴェーチェルに叩きのめされた雪はほどよく締まり、歩けないことはない。

雪に蹴り込んだ足を引き抜く労力さえいとわなければ、このほうが速いかもしれない。

急激に消耗してゆく体力には気づいていないことにして、アマリリスは森の奥へ急いだ。


イヤな予感ばかりが湧き上がってくる。

ああどうか無事でいて、あれが最後だったなんて言わないで。。

アフロジオン、

ベガ、デネブ、アルタイル、

サンスポット。


しかし一日中探し回っても、彼らの姿を見つけることはできなかった。

先日の戦いの場となった北の境界辺りから西の山側に回り、南に下ってきたが、オオカミの姿はおろか、足跡ひとつ見当たらない。

それも実際はとくに珍しいことではないのだが、今日のアマリリスは冷静でいられなかった。


二日二晩、白魔ヴェーチェルに吹き付けられた森は、それ自体、何だか恐ろしくなってくるような白さだった。

こんな世界で誰も生きていけるわけがない、あれだけの吹雪を、生き延びられたものがいたはずがない、という妙な確信めいたものまでが生まれてきた。

その確信は、歩けば歩くほど強くなってきて、アマリリスはまるで、絶望感を深めるために先を急いでいるかのようだった。


それでもずいぶん長い時間、激しい疲労と絶望に苦しんだ末、アマリリスはとうとう、雪の上に倒れ込んでしまった。

同じように足が止まり、ただ途方に暮れていたことが過去何度あっただろう。

さあ立て、歩け。


心の中で叫ぶ号令は勇ましくても、その虚しさを見抜いている手足は、一向に言うことを聞かない。



”もう、十分だよ。

気がすんだでしょ。”


心の中で誰かが言った。

アマリリスは深い溜め息をつき、膝を抱えて座り直した。



結局、何もしてあげられなかった。


ていうか、そもそも何してあげたかったんだっけ。


飢えを満たしてあげたかった、、?

いや。

苦しんでいる彼らを救ってあげたかった?

それが出来ないなら、せめて一緒に苦しんであげたかった、、

誰かの苦しむ姿はもう見たくない、とか思っていたくせに?


どれも今さら感というか、取ってつけたような、白々しい建前に思えてならなかった。


結局何も変わらない。

夏の間と同じ、あたしは自分で好き勝手に森をさまよって、そこにたまたま、オオカミたちの窮乏を重ね合わせていただけ。

もう、それでいいじゃない。


恐ろしい白魔ヴェーチェルに飲み込まれて、オオカミたちは彼らの苦しみごと、跡形もなく消え、アマロックもどこか遠くに去ってしまった。

よかったじゃない、森も平和になってさ。

あたしは出来るだけのことはやったわ。

このうえどうしたらよかったって言うのよ。


徒労感の底から、破れかぶれの、意外と穏やかな気持ちが浮かび上がってきた。

アマリリスは目を閉じ、その感覚に浸っていた。


雲間からわずかに日が差した。

アマリリスが窮乏の森をさまよううちに、暦はいつしか冬至を過ぎ、

厳しい寒さと吹雪はそのままでも、太陽はわずかに高度を上げてきていた。

そのため、尾根を飛ぶ大鴉の影が、谷底にいるアマリリスの上に届いた。

それも一瞬のことで、すぐにまた雪雲に閉ざされ、地上から光は消えた。


無音の森に響き渡る、突然の咆哮に、アマリリスははっと顔を上げた。

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