第214話 確執#3(緩解?)

板きれのように硬く凍りついていた毛皮服が、ようやく本来のしなやかさを取り戻した。

とはいえ、今は解凍が終わっただけで、これだけどっぷり濡れた毛皮が、そう簡単に乾くとは思えない。


これはこれでゆっくり乾いていってもらうとして、急がねば。

アマリリスは見切りをつけ、台所を出て階段を小走りに駆け上がった。

ペチカの上のベッドで、ヘリアンサスはまだ眠っている。


寝室に入り、アマロックの毛皮外套を脱いで夏のベッドの上に投げ出した。

凍てつく空気の中、かまどの熱と大仕事の運動で温まった裸の肌から、白い湯気が立ち昇った。


タンスを物色して、一番厚手の服を取り出した。

この上にジャコウウシのセーターを着れば、何とかなるだろう。

簡単に肌を拭って、手早く衣服を身につけ、しばらく使ってなかった編み上げブーツに足を通した。

靴紐をぎりっと締めると、何だか左足は足首の締め付けがきつく、右足は脛のあたりになにか挟まったような違和感がある。

だが今はいちいち手直しする気にはなれない。


勢いよく立ち上がり、ふたたびアマロックの毛皮外套を身につけた。

上等上等。

アマロックにはしばらくオオカミでいてもらうとして、毛皮服が乾くまで、この外套は借りておこう。


窓の外が、だいぶ明るくなって来ていた。

雪も止んでいる。

オオカミたちが、獲物を求めてまた動き出す。

行かなくちゃ。


どたどたと階段を駆け下りると、寝床の中のヘリアンサスが、うるさそうに寝返りを打った。

まずは台所に行って、食料を調達する。

長期戦になるのを見込んで、携帯食のマスの燻製の他に、塩漬け肉も一包み、ポーチに突っ込んだ。


丸二日空っぽだった胃にも手近な食べ物を詰め込み、むせて慌てて水で流し込み、としながら、

調理竈の火に晒している毛皮服の様子を見ていたところへ、ファーベルが入ってきた。

このわずかな間にも、アマリリスはさっきの緊張感のあるやりとりをけろりと忘れていた。


中に何か入った背嚢はいのうを、ファーベルは差し出してきた。


「ちょっとかさばるけど、良かったらもってって。」


「なぁに?」


「寝袋。鯨の膀胱の袋に入れといたから。」


「ぼーこう。。。」


アマリリスは神妙な顔で、背嚢に鼻を近づけた。


「きっちり口を閉じとくと、中に入ってるものが濡れないの。

寝るとき、脱いだ服を入れとくのにも使えるから。」


なるほど。

アマリリスもそう何度も川に落ちたり、吹雪の中で野宿するようなつもりはないが、備えあれば憂いなしだ。


「ありがとー、ファーベル。」


アマリリスはファーベルを抱擁して両頬にキスした。

そしてせわしなく背嚢を背負い、軽く手を振ってから慌しく外に出て行った。


「気をつけてね!」


呼びかけた声は耳に届かなかったか、返事はなかった。



食堂の4脚の椅子を占領していた毛皮服を、ハンガーにかけて居間のペチカの脇に移動し、床にできた水たまりを拭う。

その間、さっきのアマリリスとの会話を思い返して、ファーベルはため息をついた。


ウィスタリア語で話しているとき、何を話しているのかは分からないが、ヘリアンに対しても、きっとあんな調子の冷たいやりとりなんだろう。

心配する気持ちとか、何とも思わないんだろうか。

秋、行方不明騒ぎの時に強く言って、アマリリスも分かってくれたような感じだったのに。

さすがにちょっと、ヘリアンサスが可哀想だ。


ただ救いなのは、


「おはよーー。」


へリアンサスが大きくあくびをしながら、だらしない足取りで階段を下りてきた。


「おはよ。」


「ねぇちゃん帰ってきたんだ。


何だコレ、びしょびしょじゃん。

どうしたの?」


まだポタポタ水滴の滴っている毛皮服を見て、へリアンサスは目を丸くした。


「わたしも分かんないんだよね。

急いでるみたいで、着がえてまた出かけちゃった。」


「ったく。。。

大丈夫かな、そのうちソーナンしなきゃいいけど。」


冗談めかしながら、同意を求めるようにファーベルを見てくる。

暖かい気持ちになって、ファーベルは答えた。


「大丈夫よ。

気をつけてね、って言っといたから。


寒いね、お茶淹れる。

ペチカの火大きくしといて。」



結局この時の一件は、アマリリスに対し、『二泊禁止』のルールが規制緩和されたという誤ったメッセージだけを伝える結果となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る