第197話 それら一切に背を向けて
その時ヘラジカたちは、谷を隔てた向こうの惨劇に、完全に気を取られていた。
突如、足元で何かが炸裂したような感があった。
彼女たちを突き動かし、走らせたのは、敵襲の認識というよりも、原初から野に生きるものに備わる、身体に刻み込まれた危機回避機構のようなものだった。
辛うじて、オオカミによる襲撃だと分かってもなお、敵の全容も、仲間の状況も把握できないまま、彼女たちは追い回されるままに逃げ惑った。
オシヨロフの6頭はその身を隠すほどの雪煙を蹴立ててその周囲を駆け回りながら、がなり声をあげ、跳ね上がって体当たりを浴びせ、
とにかくめちゃくちゃに騒いでヘラジカたちの混乱を
ヘラジカたちの脚が止まる。
2頭の大人のヘラジカは、オオカミに左右から挟み込まれる形で、谷のきわに追いやられていた。
仔ジカ1頭が、
その時点で考えうる最も望ましくない状勢に、ヘラジカは陥っていた。
包囲網から外れた黒オオカミが、仔ジカに向けて牙を
仔ジカが悲しげにいななき、その声が耳に届いたのか、谷の向こうで、絶体絶命のはずの老母のシカまでもが、ほとんど雪に伏せていた頭をもたげた。
親ジカたちは怒りの吠え声を上げ、必死に包囲網を突破しようとするが、オオカミに押し返されてしまう。
思わぬ第二の敵の出現に動揺した面は大きかった。
しかし失敗の本質は別のところにあった。
長らく偉大な母の庇護のもとにあったために、その娘たちは、いざ彼女を欠いた時に、必要な対応がすぐに取れなかったのである。
適切に防御を固めて動けば、オシヨロフ群の出現があってもなお、親子3頭で逃げおおせただろうに、
大人達まで足並みが乱れ、庇護者であるべき2頭と、仔ジカの間を分断する形で、オオカミの侵入を許してしまった。
仔ジカを追い立てる役目のオオカミが、仔ジカに体当たりし、馬乗りになった。
それを必死で振り切り、仔ジカはとうとう、母親たちを置いて、独り逃げ出した。
崖際に追い込まれた親ジカが、悲痛な叫びをあげる。
谷の向こうでは、瀕死の老母が、激しい怒号とともに、オオカミに食いつかれた皮膚を引きちぎって立ち上がった。
血飛沫を散らしながら、群がるオオカミを蹴散らして走り出した。
恐怖に駆られた仔ジカはそれらに背を向けて、一直線に雪原を駆け抜けて行く。
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