雪嵐の抗争

第189話 首領の資質

青黒い雪の尾根に、ようやくあかがね色の太陽が昇り、森に光が入った。


ダケカンバのねじくれた枝が、まだらの影を落とす中、魔族は雪深い尾根道を辿っていった。

あえてオオカミの姿になることはせず、けれど金色の獣の瞳は油断なく、彼が仕掛けた目に見えない罠の成果を検分していた。

そこは、北の女首領の群と彼の配下の群が、共同支配する領域の南端、すなわち彼の領域側に位置する場所だった。


アマリリスには無能者のレッテルを貼られた、オシヨロフ・オオカミ群の領袖りょうしゅう、アマロックだが、

今日までの窮乏の道のりで、首領として明らかな過ちを犯したことはなく、

個々の局面で、統計的に見て、彼が選択した以上に優れた施策はなかった、という程度には合理的な運営を行ってはいた。

もっともそれは、アマリリスが期待したような首領としての自覚ではなく、配下の構成員を自らの生存資源の一部と見て、その保全に努めようという動機に過ぎないものではあったが。


普段は放任の傾向が強く、群の構成員に対して、手を取って助けもしないかわり、何かを強制することもあまりしないアマロックだったが、

飢餓が始まってからというもの、メンバー全員を、遠吠えの召集が届くぎりぎりの距離、ただし呼べば確実に届く距離に意図的に散開させ、

なわばりの境界線ギリギリを、時には周辺の群に対して境界侵犯を繰り返しながら、速いペースで巡回を続けていた。


その行動は、周辺の群を刺激し、たいてい何らかの摩擦を引き起こす。

その際の相手の反応で、先方のなわばり内に現在アカシカの群が逗留とうりゅうしているか、或いは同じように窮乏に瀕しているのか、判断することができた。


例えば、なわばり内に資源を抱えている群は、境界付近の多少の侵入であれば、気にしないことも多い。

追跡に夢中でそれどころではないのだ。

一方、空きっ腹を抱えて苛立っている連中ほど、簡単に挑発に乗ってくる。

単純に割りきれることばかりではないが、自分達への相手の反応から、かなりの情報を仕入れることができた。


隣人の庭に獲物の群がいることが分かるだけでも、大した成果だった。

あとは国境線上を固めて、こちらに移動してくるのを待つか、

あるいは戦争を覚悟で攻め込んでいって、掠め取ってくるか。

色々やりようはある。


勝負を仕掛ける時のために、彼の手足となって働くオオカミ達は、すぐに呼び集められる状態にしておく必要があった。

一方で、どこから現れるか分からないアカシカを発見するために、また、つなぎの食料となる小動物を各自で調達させるため、

連絡の取り合える範囲で、なるべく散開させておくことが望ましかった。



群の運営に関して、この方針が選択しうる唯一のものではないし、結果的に最善の策であるという保証もどこにもない。

深い雪の森を、よその群との紛争もありながら移動し続けるというのは、実際かなり体力を消耗する。

あまり動き回らず、細々と食いつないで体力を温存し、アカシカが訪れるのをひたすら待つ、という方針も選択可能だった。

結果的にそちらのほうが正解、すなわち、彼の生存資源であるオオカミ達を、より多く生き延びさせる道である、という可能性も多いにあり得た。


けれど未来を予測することは出来ないし、既に選択された過去を、その時点では選択可能だった別の可能性と、今になって比較するのもナンセンスだった。

確かなのは、彼が選択したこの方針の成否は、いずれ明かになるということだけだ。

そしてこれまでのところ、彼の選択は、思わしい成果をあげていなかった。


南の群、西の山地の群、それどころか、隣接するテリトリーを通り抜けて更に西の、高地のオオカミの縄張り付近にまで足を運んだが、収穫はゼロ。

いずれの群も完全な素寒貧で、もっとも悲惨な山地の群では、餓死するものも出はじめていた。

いるときにはうじゃうじゃいるアカシカが、東トワトワトの広大な領域から、すっかり消え失せてしまったかのようだった。


引き続き、これらの群との国境線の巡回と情報収集は続けるとして、そればかり当てにもできない。

もう一本の頼みの綱は、北隣の群を利用した、この罠ということになった。

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