第185話 耳先と目鼻#1

『なぁんだウサギかよぉ。。。』


アマリリスは口の中で毒づいて、匍匐ほふく姿勢の肘に突っ伏した。


彼女と、サンスポットにアフロジオンが慎重に身を潜めている低い尾根の先は、がさがさした雪面の広い谷。

夏場は、ミヤマハンノキのブッシュに覆われている場所なのだろう。

今は谷の上から崩れてきた雪ですっかり埋まり、ハンノキの枝先だけが、雪面のうぶ毛のように顔を出している。


そこを一匹の白ウサギが動き回り、枝をかじっていた。

見事に真っ白な毛並みに、耳先と目鼻の黒いアクセントが、雪の上に出た枝とかゴミの感じに実によく似ていて、

こうして見つめていても、うっかりすると見失いそうだ。



サンスポットと、アフロジオンが一緒にいるのを見つけ、後をついて歩くことかれこれ2時間。

2頭は、アマリリスをひどく落胆させた昨日の乱闘など、まるでなかったような様子で、今日は行動を共にしているらしい。


サンスポットとは違い、アフロジオンはアマリリスなどお構いなしに突っ走っていく。

つられてサンスポットも駆けていってしまうので、何度か姿を見失ったが、じきに追いつくことができた。

どうやら2頭は慎重に歩を進めているらしく、いつもより頻繁にあたりを嗅ぎ回り、

足を止めてしばらく佇んでいることもあった。


獲物の予感に、アマリリスのほうがよほど胸を高鳴らせて歩き続けた。

途中、数頭のヘラジカとすれ違った。

基本的に単独行動の多いヘラジカだが、冬季には小さな群を作ることもあるのだ。

ともあれ、アフロジオンもサンスポットも、明らかに勝ち目のない巨獣に挑んで、無駄に体力を使おうとはしなかった。

仔鹿を含めた小集団は、それでもどこか不安げに、こちらが立ち去るのを見守っていた。


そのあとも延々歩き回って、ようやく見つけたのが雪野原のウサギ。


愛らしく、同時においしそうな動物ではあるが、これは獲物にならない。

オオカミが雪の上でウサギを仕留めるのは、ほぼ不可能なのだ。


積雪期、オオカミは雪に足をとられ、無雪期に比べて明らかに速力が落ちる。

一方のウサギは、体重が軽いうえ、体のわりに接地面積が広い四肢を持っている。

これがかんじきと同じ働きをして、柔らかな新雪にも、彼らの体はほとんど沈まない。

少なくともオオカミほどには、積雪によって脚力を削がれないのだ。


もともとオオカミとウサギの脚力は互角、どちらかというとウサギのほうが上回る。

そこへきてこのハンデの差は致命的だ。

こっそり忍び寄ろうにも、大きな耳のもつ鋭敏な聴覚は、オオカミの足が雪に潜る微かな音を捕らえて、簡単に逃げられてしまう。


だからオオカミたちは、はなから勝ち目のないこの相手に挑もうとはしない。

たまに、脚を傷めていることを期待して追いかけてみることもあるが、その程度だ。


しかし今、サンスポットとアフロジオンは大真面目に、息を殺して雪原を動き回るウサギを見つめている。

ダメもとで、あるいは戯れに追いかけてみようか、という雰囲気ではない。


窮乏のあまりの深刻さに、従来なら手の出なかった獲物を得る革新的な狩猟法を模索しているのか。

それにしては、こちらから忍び寄っていって包囲するような素振そぶりも見えない。

一体何を待っているの。。。?


そのとき、雪ウサギのいる斜面の上の方に潜む、見慣れない獣の姿に気づいた。

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