第180話 窮乏に軋轢に

厳冬の早い夕暮れ、アマリリスは疲れはてて、倒木の幹の上にへたりこんでいた。

冷たい風が、青黒い影の目立つ谷を吹き抜ける。


もう、帰らなければならない。


帰ったら、暖かなペチカと、おいしい夕飯が待っている。

サンスポットは、これから闇に閉ざされる冷たい森で、空腹をかかえて過ごさなければならない。

その事を思うと、なかなか立ち去る決心がつかなかった。

サンスポットは彼女をいたわるように、側についていてくれた。


谷の上から、斜面に積もった雪を豪快に踏み崩しつつ、一頭のオオカミが下りてきた。

アフロジオン。


アマリリスは、この大柄でがさつなオオカミが、どちらかというと苦手だった。

とにかく粗暴でやかましく、何をするかわからない。

立派な体格に派手な毛並みという、その容姿そのものがひとを威圧するようだった。


ウィスタリア時代、アザレア市の裏路地にも、そういう不良少年少女たちがいた。

意味もなく他人を威嚇し、あえて人が不快に思うような振る舞いをする連中。

アマリリス自身、保守的な風土のウィスタリアの基準からすれば、お世辞にも品行方正なほうではなかったが、それでもそういう輩は嫌いだった。


何をされるか分からない感じがして怖くて、極力近寄りたくなかった。

ーー当然、アマリリスが選んだ、というか接近を許したボーイフレンドは、そういうタイプではなかった。

アフロジオンには、オオカミそのものの得体の知れなさに加えて、そういう、アマリリスの側からも付き合いは遠慮したいような、彼女が苦手な雰囲気があった。


アマリリスとサンスポットの前で、アフロジオンは立ち止まった。

オオカミとイヌの違いとして、オオカミはあまり吠えないし、唸ることも滅多にない。

けれどこの時、アフロジオンは極めて剣呑な雰囲気で、肢を踏ん張り、牙をむき出して、ゾッとするような唸り声を浴びせかけてきた。


アマリリスは座り込んだまま、動かなかった。

恐怖で足がすくんで? いや、そうではない。

疲れていたし、アフロジオンが唸る理由なんて別にどうでもよかった。

粗野で乱暴で、断絶しか感じないこのオオカミが、さっさと立ち去ってくれることを願っていた。


ショックだったのは、サンスポットに対してだった。

突然、凄まじい格闘が始まった。

サンスポットが動き出したのも分からないうちに、両者は激しくぶつかり合って、もつれ合い、雪煙を上げて転がり回った。

アマリリスははね起きて、おろおろしながら両者に手を差し伸べた。

けれど、立ち上がれば彼女の身長を優に超す獣の乱闘に、手出しなんか出来っこない。


決着はすぐについて、体格で上回るアフロジオンがサンスポットを組み敷き、

サンスポットは抵抗をやめ、仰向けの姿勢でぜいぜい息をしていた。


そこらに唾でも飛ばしそうな雰囲気で、アフロジオンは立ち去っていった。

ややあってサンスポットも起き上がり、アマリリスの方は見ずに、どこかに行ってしまった。



アマリリスはいったん腰を下ろし、しばらくしてから立ち上がって、二頭がそれぞれ去って行ったのとは別の方角に歩き出した。

ひょっとして、サンスポットのケガも、ああいう諍いが原因なんだろうか。

愚かしい、、、何があったか知らないけど、今はケンカなんかしている場合じゃないだろうに。

群で力を合わせて、危機を乗り越えなきゃならない時の筈なのに。

もっと苦しいのは、人間のアマリリスがそう思っても、オオカミたちに伝え説得する術がないことだった。

このままじゃ、群は崩壊して、、、


見たくない。

どうなっても知ったことじゃない、

もう、オオカミなんかに関るのはやめるべきなのかも知れない。


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