第177話 荒野の呼び声#2
アマロック率いるオシヨロフの群もまた、周囲を他の群のなわばりで囲まれていた。
まず海岸沿いに北側には、10頭をこえる大所帯の群がおり、オオカミには珍しいことに、雌の首長が率いていた。
こちらの北の群と、オシヨロフの群の間には、前述の緩衝地帯が存在しない。
それどころか、なわばりの一部が重複している。
その状態で両者が概ね平穏に過ごせているのは、それぞれが主とする獲物の違いに理由がある。
オシヨロフの群が、主にアカシカを狩るのに対し、女首領の群は、主にヘラジカを獲物としているのである。
ヘラジカは、アカシカよりも遥かに大型で、成長した牡は肩までの高さが2メートル半、大きな掌のように広がった角の幅も2メートルと、
シカの仲間では世界最大で、陸上ではトワトワトに生息する最も大きな獣である。
アカシカが大規模な群をつくって、広大な領域を回遊するのに対し、ヘラジカは主に単独生活で、一ヶ所に定住する傾向が強い。
一頭から得られる食料が多く、いつ現れるか分からないアカシカを待つよりは、安定した生計が立てられそうな獲物ではある。
しかしその巨体故に、そう易々と仕留められる相手ではなく、オオカミはおろか、大きなヒグマでさえ、ヘラジカが正面から向かってきたら逃げ出すほどである。
構成員が6頭のオシヨロフの群には荷が重く、怪我や病気で弱った個体をたまたま見つけた場合以外、滅多に手を出そうとはしない。
しかし、女首領の群は、数にものを言わせてこの大物に挑む。
目をつけた一頭を何日も、時には2週間近く、交代で追い回し、食事も休む暇も与えず、弱ったところを仕留めるのだ。
一方で彼女たちは、アカシカはあまり獲らない。
大規模な群を作り、脚力でヘラジカを上回るアカシカの狩りは、ヘラジカとは違った狩りの手法を求められ、彼女たちは苦手としていたのである。
このような食性の違いから、オシヨロフの群と女首領の群の間には衝突が少なく、共存が可能だった。
次に、オシヨロフから見て西側の山地には、南北方向に細長い、広大な領域を放浪する群がいる。
この群は、組織だった集団というよりも、方々の群からあぶれたオオカミの寄合いに近く、頭数も、メンバーも時によってまちまちだった。
普通、他所の群のなわばりを侵略することは、それなりに重い覚悟を要するものだが、
オシヨロフをはじめ、海岸の群の側からみて、この山側の群との境界はあってないも同然で、追跡している獲物がこの地帯に逃げ込めば、ためらいなく踏み込んでいった。
その一方で、山地の群の側から、彼らの領土に対して行われる侵犯に対しては非常に手厳しく、海岸の群の前に山地の群のメンバーが姿を現すようなことがあれば、
それが、山地の群の縄張りの中だったとしも、死を含む制裁を覚悟する必要があった。
まさに獣の無慈悲そのものの論理だが、事実としてこの群は、外部に対して自分達の権利を主張することも、侵略から領土を守ることもできない弱者の集合であり、
彼らのなわばりそのものが、海岸の群と、更に奥地の高原に住む群との間の、大規模な緩衝地帯であるとも言えた。
最後にオシヨロフの群の南側、オロクシュマ・トワトワト港あたりを中心とする一帯には、老練な黒オオカミを首長とする、8頭の一家が住んでいる。
彼らも、オシヨロフの群と同じく、アカシカを主な獲物とし、
二つの群の間には、太古、海底火山からの噴出物の堆積で出来た山域が丸々ひとつ、緩衝地帯として空けられていた。
大きな緩衝地帯を持つことは、それだけ二つの群が、互いの遭遇を望んでいないことの表れだと言える。
サンスポットは今、その緩衝地帯の大半を走破しようとしていた。
周囲からは、彼らオシヨロフの群の臭痕はとおになく、敵対する勢力の存在を示す臭いが、時おり鋭いスパークのように、次第に頻度を増して鼻腔を突く。
再び、彼の首領の咆哮が響き渡った。
それは前回よりずっと近く、前方の、明らかな敵地の中から発せられていた。
アフロジオンが、3兄弟が今度は3頭とも、それに応える。
サンスポットは歩をゆるめ、自分の到着を告げる高らかな遠吠えをあげた。
彼らの気勢を上げる吠え声が、山々に反響したこだまも消えやらぬうち、追いかぶせるようにして、別の声が轟いた。
侵入者への強い警告を込めた、地響きがするような迫力の一方で、
こちらからの恫喝に怯む様子は微塵もない、強大な力を持つ支配者の咆哮だ。
オシヨロフの群が彼らの首領に応えたのと同様に、複数の遠吠えがそれに続いた。
サンスポットの首筋の剛毛が、怒ったヤマアラシの棘のように、ばりばりと逆立った。
それは、兵士が戦場で、敵国の言語での会話を聞いたときの反応と、極めて近しいものだった。
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