第165話 ひとりぼっちの雪うさぎ

臨海実験所の勝手口の脇、吹き溜まりの雪が大きく掘り下げられて、建物の基礎が見えていた。

穴の底で、建物の床下に頭を突っ込んで、しきりに何かやっている小さな姿がある。


ぴょこぴょこ可愛らしく動くお尻といい、暖かそうな白い毛織りのスカートの感じといい、冬の野原で食べ物を探して動き回るウサギにそっくりだった。



魔族が(そのような連想を持ったとして)それを見て何を感じたかは、おそらく人間には理解し得ない謎である。

ただ過去の事実として、アマロックが初めてファーベルに出会ったのも、ちょうどこの辺りだった。


3年前、春とは言っても、曇天の下に殺伐とした荒野が広がるこの地で、

小さな来訪者は建物の傍らにちょこんと座り、海岸で拾ってきた蟹の甲羅やら、藻屑のようなものに仮想の人格を与えて、会話や団欒の真似ごとをしていたのである。


人間が真に愛しく思うものに接したときに感じる、切なさとか不安、憂悶の感情すら入り混じったような、深い溜息が漏れた。

ファーベルが気付いてぴくんと動き、ずりずりと床下から這い出てきた。


「あーっ、アマロック!」


「やぁ、ファーベル。」


アマロックが両腕を広げ、ファーベルを迎え入れる。

歓声を上げて駆け寄ったファーベルだったが、アマロックの胸に飛び込む直前、恥じらうようなしぐさを見せ、両者の抱擁には拳ひとつ分くらいの間が出来た。

ファーベルの柔らかな頬を、手のひらで挟み込んでアマロックが言った。


「何してんの?

ほっぺが真っ赤だね。」


「うん、水道が凍っちゃってねー。」


トワトワト臨海実験所は海際にありながら、幸運にも地下水に恵まれ、炊事場に据えられたポンプで、いつでも真水を汲み上げることができる。

ただし冬場には、パイプの中で水が凍結するのを防ぐために、夜間はポンプの揚水弁を上げきって、水を落としておかなければならない。


ところが昨晩、恐らくはアマリリスが、行水の湯を使った後に水を落とすのを忘れたのだろう。

ポンプの中で凍った水が膨張して、上から氷柱になって溢れていた。

さんざん苦労してポンプの氷は取り除いたものの、床下のパイプの中にも残っているらしく、

こうして雪を掘り返しての大工事になったというわけだ。


「そりゃ大変だなぁ。

何か手伝おうか?」


「んーん、だいじょぶ。

ありがとね、アマロック。」


アマロックはいたわるようにファーベルのつむじを撫で、髪についた埃やクモの巣を丹念に取り払った。


「今は幸せかい、ファーベル。」


「わたしのこと?」


「うん。」


「えー、、わかんないよ。

どうしてそんなこと聞くの?」


「おまえが幸せなら、おれは安心していられるからだよ。」


「・・・ヘンなアマロック!」


でへへ、と笑って、小さな手で、ファーベルはアマロックの胴をぎゅっと抱いた。


「しあわせだよ。


とーーっても。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る