第164話 狩猟者の思惑#3

湾の再奥部の臨海実験所まで、短くはない行程を漕ぎながら、とりとめもなく思った。


こうして射撃訓練までして、無益な殺生をすまいと努めたところで、

それは結局のところ人間本位の、それも己が属する文化が煽り立てる感傷に過ぎないのではないか。


獣にも生命の尊厳を認めるがゆえといえば聞こえはいいが、

当のアザラシにしてみれば、銃弾を撃ち込んでくる側の思想だの感傷などどうでもいいことで、ひたすら御免蒙りたい話に決まってる。


狩猟を生業とする極北の民であれば、深傷を負って氷海に沈んだ者の哀れに、いちいち気を回したりはすまい。

その一方で、未開人と扱われる彼らだが、

生活の糧である天然資源の、持続的に利用可能な管理という点では、ラフレシア人よりも遥かに洗練されていて、主に祖霊崇拝や、口承の形で、非常に優れた行動規範を持っている。


しかし当の獣たちは、自律的創出論で形づくられた機械たる彼らは、そんな人間の感傷やら秩序に価値を認めまい。

仮にオオカミに銃を渡して羊の群れに向かわせたら、彼らは最後の1頭を撃ち殺すまでやめないだろう。



オシヨロフの内浜が近づいてきた。

実験所のすぐ手前、岸から大きく海側に張り出した岩塔の下を過ぎるあたりで、

イルメンスルトネリコの方から、雪に覆われた浜を歩いてくる人影を認めた。


アマロック。



カヌーを船着き場に入れ、係留索を手繰り寄せて岸に降り立つ。

視界の隅に魔族の影を感じながら、カヌーの舳先を引いて、雪の積もったスロープを滑らせた。


船底に横たわる、黒い銃身が目を引いた。

ふなべりに隠れて、アマロックからは見えないはずだ。


船着き場を通りすぎるのを待って、背後から撃てば、、

さしもの魔物も、あっけなくあの世ゆきだろう。

その機会があるとすれば、今がチャンスだ。

おれは、そうすべきだろうか。


良い歳をした大人にもたまに囁きかける、悪趣味な戯れ言のような考えが、やけに強く彼を捉えて離さなかった。


クリプトメリアはいつしか海岸を離れ、雪に埋もれた深い森の中をゆく狩人となっていた。

銃を携え、息を殺して、前を行くアマロックを追っていた。


魔物の子が立ち止まる。

暗殺者であるクリプトメリアは、音を立てずに撃鉄を起こし、その後頭部にじっくりと狙いをつけた。


アマロックがゆっくりと振り向き、魔族の金色の目が彼をとらえた。

幻力マーヤー、、とは思わないが、その瞳は確かに、何か魔物の妖気によって、暗く燃えている。


黒い毛皮外套を着ていると思ったアマロックの体が、奇妙に膨らみはじめた。


毛の房の一本一本が、黒光りする硬質な羽毛に変化してゆく。

背を突き破って一対の巨大な翼が現れ、雪煙を巻いて樹冠に羽ばたいた。

ナイフのような牙がずらりと並ぶ、大きく裂けた顎は、今しがた生き血を啜ってきたばかりのように真紅に染まり、毒々しい怒気を吐き出している。

人間と通い合わせる一片の心も持ち得ない、金色の魔物の目は、今や無慈悲と殺戮の炎に燃えていた。


人の背丈の数倍に達する異形の獣に、ぴたりと照準を定め、クリプトメリアは、引き金にかけた指に力を込めた。



それでも撃てなかったのは、恐怖からではない。


怪物の胸に抱かれるように寄り添う、少女の姿があった。

クリプトメリアは見たことのない、幼い表情をしたアマリリス。


みどりの瞳は時おり、不安と苦悩の色を映しておどおどと動き、それでも概ね、この恐ろしい魔物に身を預けて安心しきっているように見える。


銃口がゆっくりと下がっていった。

・・・おれを躊躇させた考えは、やはりこういうことだったか。


魔物の巨大な鉤爪が雪空高く持ち上がり、

クリプトメリアめがけて振り下ろされた 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。




カヌーのパドルが手の中から滑り落ちそうになり、クリプトメリアは慌てて握り直した。

彼はまだ岸に着いておらず、実験所の手前の、岩塔の下あたりの海面に浮かんでいた。


イルメンスルトネリコの辺りから出てきたアマロックは、そのまますたすたと臨海実験所の方へ歩いてゆく。


しばらく呆気にとられてから、船を漕ぐ作業に戻った。

鏡の水面に、無数の波紋が広がり、拡散して消えて行く。


実際のところ・・・、

周到に用意をして、巧妙な罠にかけるのでもない限り、恐るべき身体能力を持つ魔族を、人間が撃ち殺すことなど出来はしない。

奴らなら、荒れ狂う海の上であっても、一つも外すことなく的を射ぬいて見せるだろう。

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