第161話 氷洋の母子

””どうして、人魚姫は泣いているの?


遠い記憶が甦る。


””人魚姫も人間と同じように、魂をもらえたんだ。

よかったね。


そこは、オシヨロフの入り組んだ海岸線の奥、小さな入江のようになった場所で、

アマリリスは7、8メートルの崖の上から見下ろす位置に立っていた。

きれいに澄んだ水を透かして、底までよく見える。

波打ち際のすぐ近くの海面に、長い黒髪の二人の女が、寄り添って浮かんでいた。


黒みがかったオリーブ色の肌、細くしなやかな肢体。

水中で緩やかに動かしている脚は2本、でも足先が魚のひれのようになっているのが見える。


魔族。


アマリリスは動揺した。

ファーベルは、このあたりはアマロックのなわばりだから、他の魔族は入ってこないと言ってたけど。。。


理由はすぐに飲み込めた。

海からやって来た魔族なのだ。

海と陸上とでは、なわばりの線引きも違うのだろう。


2頭の魔族は、お互いの肩に軽く手をかけ、波に上下しながら、沖の方を見ていた。

顔はよく見えないが、黒い海藻のような質感の髪も、ほっそりした体つきも、とても良く似ている。

しかし片方はだいぶ小さく、人間でいえば11、2歳ぐらいの子供に見える。

母娘だろうか。


そう思ってみれば、互いをいたわるような、愛情深い抱擁のしぐさに見えなくもない。


どこから来たのだろう。

こんな所で何をしているの??

荒波を避けてひと休み、、?


母親というか、大きい方が、子供の方を向いた。


波が岩を叩く音がする、、、いや、人の声か。

何か話している?


アマリリスは身を乗り出した。

その拍子に、手に提げていたかんじきが膝に当たって、がらんと鳴った。


あっ、と思ったときには、既に魔族の姿は消えていた。

2頭がいっせいに、ほんのちらりとアマリリスを見上げ、引き汐のさざ波のうねが海面に沈むくらいの素早さで水中に潜ってしまい、あとにはあぶくひとつ残らなかった。



2頭が振り向いた一瞬、アマリリスと目が合った。

獣のような、白目のない黒い瞳。


まだ、胸がどきどき鳴っていた。

ある意味、奥地で最初にヴィーヴルの魔族に出会った時以上の衝撃だった。

こんな、夢にも思わなかった場所で魔族に出くわしたからでもあったが、

互いに寄り添う親密なそぶり、囁き合うような会話、彼女を見上げる、二人とも全くそっくりな黒曜石の瞳、

それらが奇妙に印象的で、目覚めたあとも意識を支配し続ける夢のように、いつまでも頭を離れなかった。


アマリリスはずいぶん長いこと、岬の周囲を歩き回って2頭の姿を探したが、再び現れることはなかった。


冬の頼りない太陽は、早くも南中に差し掛かり、どうやら雪雲に天候を譲りつつあった。

風も出てきていた。

細かな雪が舞い上がった煙が、生き物のように雪原の起伏を這い、海原へ、あるいは森へと走り抜けて行く。

振り返れば、オシヨロフの内湾を隔てて、北の岬の懐に、臨海実験所の赤い屋根が見える。


いまさら幻力マーヤーの森に行く気にもならなかった。

興奮が醒めないまま、アマリリスは荒涼とした高台の雪を踏んで、実験所に戻っていった。

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