第160話 けあらしの海

喜び勇んで両足のかんじきを脱ぎ、羽ばたく鳥のように身軽になって斜面を進んだ。

夏場、ここらへんは、ハイマツの密生した茂みの間に、ゴツゴツした岩が転がり、とても歩きにくい。

けれど今は雪にならされ、どんどん登っていける。


やがて岬の尾根をなす、なだらかな台地に出た。


激しい風に削られて、雪原には唐草模様の風紋が刻まれ、白一色の世界にところどころ、麦わら色の枯れたスゲの葉が頭を出している。


幻力マーヤーの森で見掛けるよりもさらにひどくねじくれたダケカンバの枝が、

天を掴もうとして途中で凍りついてしまったように、凍てつく空気の中で静止し、風上側には、青白い樹氷の羽根が伸びている。


半ば雪に埋もれたハイマツの葉は、これだけの寒さと風にいためつけられてもなお、黒々と茂っている。


酷寒の世界を、人形ひとがたに仕立てられた毛皮の袋にくるまれて、しずしずと進んでいった。

毛皮服の効用を知ったアマリリスは、その下にはごく控えめな衣類しか着ていない。

その状態でこの酷寒の中に放り出されたら、きっと1時間ともたずに凍りついてしまうだろう。

かろうじて外界と隔ててくれる毛皮の外側は、人間には生存が許されない、苛酷な死の世界なのだ。


やがて雪原が途切れる場所にやって来た。

その先は、雪に覆われた雄大なトワトワトの連山を遠景に、黒々とした海面が広がり、海岸へと下る斜面は見えない。

かなり急な斜面か、崖になっているようだ。


あまりすれすれまで近づくのは危ない。

こういう場所では吹雪の風圧によって、雪庇せっぴと呼ばれる、雪で出来たテラスが形作られていることがあるのだ。

一見、固い地面とまるで区別がつかないが、実際は雪だから、非常に脆く、人が踏めばもちろん、ちょっとした振動でたやすく崩れてしまう。


そうクリプトメリアに教えられたものの、警告を全く活かさずに幻力マーヤーの森を歩き回っていたアマリリスは、

一度見事にこの雪庇を踏み抜き、大量の雪とともに谷底まで転げ落ちたことがある。

幸いさほど高さもなく、全身雪だるまになるだけで済んだが、それからは用心することにしていた。


右手は、幻力マーヤーの森に続く登り斜面で、ダケカンバの疎林が、次第に密度を増しながら、岬の外へ向けて広がっている。

左は、岬のなだらかな台地が、起伏を繰り返しながら、先端に位置する『兜岩かぶといわ』の方に伸びている。


これといった目的もなく、どうしても南の浜に降りたくなったアマリリスは、降りられる場所を探して左、岬の先端方向に進んでいった。


時おり見える、目もくらむような落差の崖下の海岸は、砂浜ではなく、岩場や、石ころだらけの岸だったりと、兜岩の周りと同じような雰囲気だ。

岸に近い海面からは、白い湯気が立ち昇っている。

海が沸き立っているわけではなく、気温が非常に低いために、大気よりは若干温度の高い海から、大量の水蒸気が放出されているのだ。


理屈では分かっていても、海が一面に煙を吹き上げる光景には、圧倒されずにはいられない。

白魔と呼ばれる吹雪ヴェーチェル、雪の精、極夜、、、

トワトワトは何もかもが魔物めいている。


濃いもやの中に動くものを見つけて、アマリリスは立ち止まった。


アザラシなら珍しいことではない。

しかし気になったのは、アザラシは普通6~7頭以上の群れでいることが多く、

2頭だけ、というところに少し違和感を覚えたからだ。


サングラスを外して目を凝らしーー、アマリリスははっと息を呑んだ。


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