第157話 それでも森は美しくて

毛皮の袋のような着衣で外に出ると、わずかに外気に触れる顔の一部が冷たいのを除けば、ほとんど寒さは感じなかった。


それでも、かんじきの紐を直すとか、何か細かい作業をする必要があって、ミトンから手を出すようなとき、

そのわずかな時間で指がかじかみ、激しい痛みを訴えてくる。

フードをはずせば、頭の全周を鋼鉄の鎖で締めつけられるようだ。


天気のよい日はまだその程度だが、荒れ模様になると、真剣に生命の危険があった。


吹きつける風の力というのは凄まじく、これだけ重厚な毛皮を着ていても、凍気からたいして守ってはくれない。

吹雪ヴェーチェルともなれば、四方八方から押し寄せる雪煙に、息が塞がれんばかりで、ほんの僅かな距離でも方角が分からなくなってしまう。


そんな時、荒野を旅する山の民は、雪を掘った穴の中にじっとうずくまり、幾晩続くとも知れない嵐が過ぎるのを待つのだという。


とてもそんな試練に耐えられるとは思えず、アマリリスの活動範囲はおのずと、大幅に狭まることになった。

吹雪の合間を縫って、岬の近場を歩き回るくらいで、無雪期のように、足の向くままに森の奥深く踏み入れるようなことは、とても考えられなかった。



それでも、一面の無垢な雪で覆われた森はやはり美しく、かんじきの歩きにくささえ我慢すれば、冬の逍遥もまた楽しかった。


春にみどりの奔流のように芽吹き、夏には昼も暗いほど鬱蒼と繁り、秋に鮮やかな彩りを見せた森の、

一切が雪に覆い尽くされ、幹と枝ばかりになったダケカンバが、今は生命活動を停止して、沈黙の姿をさらしている。


雪原の上に、一列に揃った、アカシカの上品な足跡や、

ユーモラスに跳ねて行くウサギの足跡、

それを追いかけるキツネの足跡はよく見掛けたが、オオカミの痕跡はなかった。

いずれにしてもそれらの足跡は、一晩もすれば、新雪によって跡形もなく塗り替えられてしまった。

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