第156話 文明の妄執は脱ぎすてて

早くも窓の外は、わずかな薄明を残して青黒い闇に沈もうとしていた。

やっと着替えたものの、ペチカにへばりつくようにしてソファーの上でうたたねをはじめたアマリリスに、呆れかえった様子でヘリアンサスが言った。


『ほんと、よく寝るねー。』


『うん。。。

悪くないかもねぇ。』


『はぁ?』



夏でもうすら寒いトワトワトで、冬になったら一体どれだけ悲惨だろうかと、アマリリスはずっと憂鬱だった。

しかし、ペチカのベッドも含め、いい意味であてが外れた。


確かに、零下10度、時に20度以下になる外気は、想像を絶する世界だが、

そういう土地だけあって、室内では冬じゅう絶えることなく暖房が焚かれ、カラカシスの、夏の暑さを念頭に作られた家の冬よりずっと暖かい。

ペチカの火はじんわりと、それでいて力強い熱で部屋と人を温めてくれる。

おかげで居間のソファは、まるで天国のように居心地がよく、今もアマリリスは、袖なしのブラウスで過ごしていた。


また、屋外の寒気も、思っていたのとは違う。

もちろん、深い雪と凍てつく寒気は相当に過酷なもので、夏の服装でのこのこ戸外に出たら、命が危いかもしれない。


だから、誰もそんなことはしない。


冬の始め、最後にオロクシュマに行ったとき、

トナカイの毛皮のアノラックにオーバーパンツ、ブーツにミトンを一揃い、クリプトメリア博士が買ってくれた。

山の民の行商が運んできた極北の衣装は、お世辞にもオシャレとは言えず、獣の毛が肌に触れ、慣れるまでは着心地も悪いのだが、クリプトメリアの言葉を借りると、””世界最強の防寒着””だ。


同じ寒冷地でも、重い長外套カフタンの下に幾重にも着重ね、帽子、ショールあるいはマフラーにマフ、といろいろ巻き付ける、ラフレシア伝統の冬の装いに比べ、機能的で動きやすく、遥かに暖かいのだという。


上着からミトンまで、毛皮服はみな裏返し、つまり、毛の生えている側が内側になるように作られている。

上着には前開きの開口部はなく、裾口から体を滑り込ませる作りで、腰をベルトで締める。

ズボンの裾は、ブーツの中に押し込んでしまう。

キツネの毛皮の、鬣のような縁取りがされたフードを被り、最後に袖の長いミトンをはめると、

全身をくまなく包む、厚い起毛の間の空気はほとんど出て行かず、袋のように内部の熱を閉じ込めてくれる。


クリプトメリアの話では、山の民は地肌のうえに直接この毛皮服をつけ、極寒の荒野を何日も犬ぞりで旅し、野宿し、

彼ら独特の、それは暖かく居心地のよい住居の中では、裸で過ごすのだという。


自分自身を育ててくれた文化の慣習上、それもはばかられ、最低限の肌着の上に毛皮を着て外出していたが、汗を吸った肌着が、かえって冷たく感じられた。

なるほど、土地に根付いた慣習には、文明や野蛮という色づけではなく、それぞれに由来があるのだと、

そう気付いたら、こんな野蛮以前の原生林で、文明の妄想に追従しているのもバカらしくなってきた。


最終的にアマリリスは、自分を育てた文化の慣習を捨てるまではしなかったが、酷寒の逍遥から戻ったあと毛皮服を脱ぎ捨て、最低限の肌着の状態で居間のソファに伸びて気持ちよく寝ていたところをヘリアンサスに見つかり、こっぴどく叱られた。

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