第154話 オシヨロフの脇腹

頭上の高い所で風が鳴る、低い唸りが続いていた。

霜の結晶が、何かの植物の枝のように張り付いた窓をすかして外を見ると、岬の高台は真っ白な雪煙に覆われ、何も見えない。

湾の入り口に聳える兜岩は、吹雪の向こうに、おぼろげに見え隠れしている。


その一方で、臨海実験所の周囲では、風も雪もどうってことはなく、静かだった。

こうして外界の荒れ模様を眺めていると、まるで無声映画の嵐を見ているような、妙な感じだった。


クリプトメリア博士の言う通り、ベルファトラバ海から吹き寄せる猛烈な吹雪ヴェーチェルは、

巨大な獣の背のような形の、オシヨロフの高台にぶつかって、その背を猛烈に叩きながら、内陸へと駆け抜けて行く。

オシヨロフの脇腹にへばりついた小さな人工物は、うまい具合に白魔の洗礼を免れているのだった。



ヘリアンサス少年は窓際を離れ、ペチカの前のソファに戻った。

ファーベルが淹れてくれたチャイをすすり、読みかけだった、一昨年が発行日付の雑誌を開いた。

最近、ラフレシア語がすらすら読めるようになって、本を読むのが楽しかった。


本を読むのは、とかく暇を持て余しがちなこの場所で、他にすることがないからである。

ラフレシア語の本なのは、臨海実験所にある書物はほぼ全てラフレシア語で書かれているからである。


だが同時に、ヘリアンサスはそこに、非常に漠然とした願望を託してもいた。

その思いを一足跳びに言葉にすれば、彼は故郷ふるさとを再建したかったのである。


数奇な運命の嵐に翻弄され、吹き流されて辿り着いたこの場所、

果てしない荒野の真ん中に、ぽつんと開けた小さな世界は、さしあたりの安住の地であり、

そこで出会った人たちはとても温かく、身寄りのない孤児を迎え入れてくれた。


けれど今のこの生活が、この先もずっと続くものだとは思っていない。


自分と、アマリリスの失われた過去、

奪い取られていった幸福、断ち切られた絆――始祖から連なる血脈、民族の土地、それらと繋がっているという感覚――、家族と共にある生活、

そういったものを、もう一度取り戻したい、取り戻さなくてはならない。

そう考えていた。


アマリリスが不意に口にする過去、

泣き虫でお調子者の従姉妹、無口で、そのくせ面倒くさい兄、はしゃぎ回る子犬たち、一面のケシの花が日に輝く春、

そういう、今では憧憬の記憶となってしまった過去を、償ってあげるために。


とはいえ故郷を再建する場所は、あれほどの悲劇が行われたウィスタリアの土地ではない。

忌まわしい記憶は別にしても、現実的に考えて、彼と姉がいずれ持つことになる新しい生活は、おそらくラフレシアのどこかにある。

切り刻まれ、打ち砕かれたものを繕うのではなく、野に種を播くように、ラフレシアという異国の上に、新しい故郷を作り育てるのだ。


いずれトワトワトという無人の未開地を離れ、ラフレシアのどこかの町で暮らすようになったとき、

ラフレシア人と同じくらいラフレシア語の読み書きに精通していたら、きっと役に立つに違いない。


理屈立てて考えたわけではなかったが、彼は概ねこんな風に思い描いていた。

そういう目標の礎があると、ウィスタリア時代、あんなに嫌いだったラフレシア語の勉強が、とても価値ぶかいことに思え、今は充実した時間を送っていると感じていた。


しかし。。。


『Βζыыз; βζз, βζз,,(あっつ。あち、あちち、、)』


どっしりした石組みのペチカの上、天袋のような空間で人が動く気配がして、アマリリスが顔を出した。

のぼせて真っ赤な頬、髪はボサボサ、ネグリジェの胸元がちょっときわどい感じにはだけている。


『・・・あーー、ヘリアン。

おはよ。』


『おはよ。

もう夕方だけどね。』


『あれま。』


アマリリスは小さなあくびをひとつして、顔を引っ込めた。


未来に希望があり、現在が充実していると感じるからこそ、そもそも故郷を再建したいという願望の、中心軸である彼の姉が、

ただただ無為に異界を彷徨する漂泊者であり続け、実験所ではぐだぐだ寝て過ごしていることに、内心苛立ちを感じずにはいられなかった。

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