第149話 魔族の言語#2

「魔族が人間語を話すときに、自分自身を指す人間語の符号に何を選ぶか、ということなら、、、

よく分からん。

おおかた、適当に音を並べたか、風の声か海の声がそう聞こえたとかじゃあないか。

符号として機能すればそれで良いのだから、魔族の性格から考えて、詮索するほどの由来があるとも思えんがね。」


ビーカーに淹れたコーヒーを啜っていたアマリリスが、美しい眉を吊り上げてクリプトメリアをにらんだ。

本当にそうかしら。要は博士は知らないってことよね、

と、何故だか棘のある言葉が返ってきて、クリプトメリアは少し意地悪を言ってからかってやりたい誘惑に駆られた。


「由来どころか、名前自体を持たない魔族だって大勢おるわい。

そもそも名前というのは、二人称までの会話には必要のないものだ。

わたし・あなたで事足りるわけだからな。

当人がいない場面で言及されるときに必要なだけで、生活様式上そういう用件のない魔族にとっては無用の長物だろう。

人間をとっ捕まえて、片っ端から食べてしまうだけの魔族とかね。」


「んー、やっぱ分かんない。

名前がない、文法もない、そんなコトバで、どうやって会話するの?」


・・・結局そこに話が戻るのか。

つくづく人の話を聞かない、と言ってしまえばそれまでだが、

ブレない娘だ。


「それこそ、私たち人間にはおそらく、一生理解し得ない謎だ。


””仮に人間が、符号や規則によらず、心を直接に他者と通い合わせる念話の能力を有するなら、

それはおおむね、魔族語のようなものになるだろう。””

そんな結びかたをしている論文をどこかで見たな。


けだし―― ここから先はあくまで個人的な見解だが、要は獣の言語なのだよ。

人間に限らず、動物の唸り声、身ぶりしぐさを含めて、

諸々の交信の本質は、その結果として、交信の参加者の行動に何らかの変化を生ぜしめることだ。


私が、コーヒーのお代わりを淹れたいので、そこのヤカンを取ってくれたまえ、と発し、

あなたがそのとおり行動してくれれば、この交信の目的は果たされたと言えるだろう。

―― おお、ありがとう。


「私たちの祖先はその目的のために、符号、文法を持つ言語という手段を生み出した。

しかしそれだけが、唯一可能な方法というわけではない。


自然の世界を見れば明らかなように、

仲間に依願して食物を分けてもらう、仲間に警告を与えて危険を回避させる、といったことを、

野性の獣はちょっとした身ぶりや短い鳴き声を用いて、誰に教わるでもなくやってのける。


彼らの意思疏通の手段が、人間が考えるいかなる種類の言語でもない証拠には、

たとえば虎か豹でも捕まえて、別の大陸に棲息する、彼らが一度も遭遇したことのない猛獣と引き合わせてみるがいい。


お互いの唸り声、威嚇の仕草に接するのは初めてでも、彼らは一瞬のうちに相手の意思を理解するだけでなく、

互いのの力関係を推し量り、流血沙汰のような決定的な対立を回避する方策すら発見するかもしれない。

何らの語彙も文法もなしにだ。


魔族語と考えられているものも、実は言語でも何でもなくて、そういう荒野の声の延長に過ぎないのかも知れんよ。

大体私には、言語の仕組みを用いてまで通い合わせたい心を、彼らが持ち合わせているとは思えないのだがね。」


もっともらしい言葉を積み上げながら、これこそ老害と言われるものかも知れん、という自戒の声を聞いていた。

己の、所詮は狭小な理解の埒外にあるものに、経験則からいい加減な解釈を与え、まるで取るに足らない話だというような態度を取る。

あるいは思いつきで正体の怪しい尾ひれをつけて放流する。

おそらく老人のこういう性質から、やれ、つむじ風の起こす真空が人体を切り裂くだの、南北の半球で洗面台の水は逆に渦を巻いて脱水されるだの、この惑星の生命は宇宙空間を伝播した種子によってもたらされただの、といった妄言が生まれ、まことしやかに語られるようにになる。

それぐらいなら、などと言わず、最初に断りをしたとおり、よく知らないので答えられないと言い切るほうがはるかに誠実な態度というものだろう。


それを自覚しながらも、クリプトメリアが魔族語について独自の解釈を付け加えて語ることをしたのは、決して自分の小さな沽券のためなどではなく、

会話を続けるうちに、アマリリスの疑問、自分の関心のあるものを理解したいと願う心は、次第にクリプトメリアにとって、何とかそれを叶えてやりたいと思うものに変わっていったのだ。


それに対して、寸鉄で突くかのように返ってきた反論に、クリプトメリアは肝を冷やす思いとともに、圧倒も感じることになった。


「そんなのおかしいわ。」

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