第140話 今もここに

伸びをすればばきばきと音を立てそうな手足を、柔らかなベッドに投げ出し、

アマリリスは彼女が考えうる、この世で最も幸福な時間を貪っていた。


すばらしい。

どんな富も名声も、床についてから眠りに落ちるまでのこの時間の至福に、かなうとは思えない。

もう、指ひとつ動かす用件はなく、何ら考える煩いもなく、あとは眠りに落ちて行くだけなのだ。

一体この上、何を足したり引いたりする必要があるだろう。

人間世界とは、何と心地よく快適で安全で、安息に満ちているのだろう。



でも。。。


さっき、風呂に入りながら、ワタリに出発する直前のアマロックに、横笛ファイフを吹いてもらった時のことを思い出していた。


ファーベルが作ってくれた、暖かい食事を食べながら、

山の上で、アマロックと分け合ったシギの味を思い出した。


そして今は、おととい、クマ穴の中で、二人寄り添って眠ったことを思い出していた。



今もここにいてくれればいいのに、と思った。


それは、一般に人が誰かを愛しいと思う感覚とも違って、

例えばお気に入りの枕がないので寝つきが悪い、というような、直接的で単純な要求だった。


物質的な充足には何の関係もない、その物足りなさによって、

何不自由ないこの建物の安息も色褪せ、どこか切なく思えてしまうというのも、不思議なものだった。

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