第138話 星も月もない闇夜#1

夕食後の食卓で、ファーベルは日課の通信教育の課題をやっている。

今日はあまりはかどっていない様子だ。

ヘリアンサスもつきあいで、テーブルの向かい側で読書をしていた。


以前はつまづくことが多かった、ラフレシア文字の文章が、最近はかなりスムーズに読める。

これもファーベルの個人授業のおかげだ。


外は星も月もない闇夜。

室内は暗く、天井から吊り下げた電燈の明かりが、二人がちょうど収まるくらいの円形に光を落としている。


アマリリスが無事帰ってきて、ようやくこういう静かな日常が戻った。

この3日間は、とてもゆっくり読書なんて雰囲気じゃなかった。

ファーベルは泣くし、それをクリプトメリア博士と二人がかりでなだめるのだが、

最悪の可能性を思い浮かべて、居ても立ってもいられないのは二人も同じで、文字通り気の休まる暇がなかった。


それにしても、昼間のマジギレは凄かった。

ファーベルのキャラじゃないのは勿論、何だろう。

広大な森を空しく探し回り、アマリリスの名を呼ぶファーベルは、不安と、焦燥とのかたまりで、

あんな激しい怒りの熱が、彼女の内にたまっていたようには到底見えなかった。

これは、一体どうしたことだろう。


勝手口のベルが、からん、と鳴った。


「お先でしたぁ。」


入ってきたのは、問題の不良娘、身勝手な放浪者、諸悪の元凶、、なのだが、

まるで原始人のようだったさっきからは、見違えるような姿がそこにあった。


どす黒く汚れくすんでいた肌は湯に磨かれて、玉のようなつやを取り戻しただけでなく、薄紅色に上気し、しっとりと湯気を帯びている。

羽根箒のようにボサボサになって、あちこちに得体の知れない屑をくっつけていた髪も、絹糸のような輝きを取り戻し、濡れて優美な曲線を描く房を、ターバンで巻き上げている。


アマリリスがこうも身勝手なのは、もちろん本人の天性の性格でもあるが、

迷惑を蒙った周囲が、ついつい怒りを忘れて許してしまう、目を奪われずにはいられない美しさのせいも大きいのだろう。

だから本人も、風呂で垢を洗い落とすように、しばらくたつと迷惑をかけたこと自体、けろりと忘れてしまう。


髪と同じ黒真珠色の、きかん気の強そうな眉の下、みどり色の瞳は、それでも今日はさすがに、そしていつになく遠慮がちで、おどおどしていた。

そう、天下無敵に見えるアマリリスだが、意外と気の小さいところもあって、相手の怒りがストレートに伝われば、それなりにビビって落ち込むのだ。

きっと、心の芯の部分の強さは、この小さなファーベルの方が強いに違いない。


ファーベルは下を向いたまま、課題の書き物をしている。

やおら食堂は、微妙な、気まずい空気になった。

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