第132話 世界の天辺に行けば

夜は静かに更けていった。

風はほとんどなく、星空は穏やかに澄んでいた。


恐れていた寒気も、もちろん体に感じる寒さは辛かったが、一回経験していることもあり、我慢できない程ではなかった。

岩の隙間に体を押し込み、ぎゅっと膝を抱くと、震えが止まった。


いける。

このまま朝まで、魔族にさえ見つからなければ、生きて帰れる。


一心に朝日を待つアマリリスの前に、例の、北の空の不気味な光が現れ、暗い気分に突き落とされた。

青とも緑とも黄色ともつかない、怪しく変化する光が、音もなく、木々の梢の向こうに、不規則な明滅を繰り返している。


何かの勘違いとか、せめて一昨日だけの特別な怪奇現象であってほしかった。

それが今夜も、こんなにはっきりと現れるなんて。

やはり魔族の仕業、、、

なのだろうか?


岩の隙間から窺うこと十数分、アマリリスは決意を固めて立ち上がり、岩の上によじ登った。

北の空を眺めると、謎の光は一昨日よりも大きく、はっきりと見える気がする。

思いもよらない動きで形や色を変え、はためくように波打つように明るさが変化するところは同じ。


しばらくその様子を眺め、夕方の魔族のコーラスや、ヴィーヴルキュムロニバス大入道のことを思い浮かべて、

アマリリスは、これは魔族とは無関係な現象だろうと結論づけた。

生き物が関わっている感じがしない。

多分これは、波や雲や、風にはためく旗といったものと同じ類いの自然現象なのだ。


方角は、今日もほぼ真北。

ということは、どこかそこいらの山の上とかではなくて、見かけよりずっと遠い場所の空で・・・


そこまで考えて、アマリリスははたと思い当たった。

ああ、これが。



””あかつきの女神の名で呼ばれているが、実際は夜、極地の何ヵ月も続く闇空の、大気の穏やかな日に現れる。

この惑星の回転軸に沿って、地磁気の働きで天が発光する現象でね。

当然、世界の天辺と呼ばれる高緯度地方でしか見られない光景だ。””


おもえば海難事故の前日だったろうか、スカビオーサ号の船室で、アスティルベの案内本を見ながら父が言っていた。


””まるで空一面に、色とりどりの光のカーテンや、巨大な柱が出現したように見えるそうだ。

その荘厳さたるや、実際に目にしたものにしか到底理解できず、見る者の人生を変えるとまで言われている。””


””見ても変わんない方に、100ビフロスト。””


あの頃は、すっかりやさぐれていた。

それでも父は微笑んで、


””まぁそれでもいいんだ。

アスティルベでも私たちが行く辺りは、空一面に、とはあまりならないようだが、いかほどのものか、とくと拝見しようじゃないか。

過去の旅行家や詩人が書き表したところでは・・・””



「生者を見守る死者の霊

明日生まれる魂たちの飛跡・・・」


本当の世界の天辺に行けば今頃、そういう光景が見えているのかもしれない。

アスティルベよりもさらに緯度の低いトワトワトでは、北の空にごく部分的に見えるだけ、というわけだ。


何かを見ただけで人生が変わる、なんてことはやっぱりあり得ない。

そういうことがあったとすれば、それはこの光を見た人が、自分の人生を変えたいと思ったからなのだろう。



明け方、アマロックが戻ってきたとき、アマリリスは岩陰ですやすやと眠り、木々の枝を透かして頬の上に落ちる朝日に、露の滴が一つ光っていた。

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