第106話 大いなる天上の河

”魔族が寄ってくる”


アマロックの不吉な言葉に震え上がり、アマリリスは急いで焚き火を消した。

墨を流したような闇が世界を閉ざし、すべての生命が死に絶えたような静寂が訪れた。


アマリリスは突如放り出されたこの状況に、呆然と座り込んでいた。

時間と共に増してくる、暗闇や魔族への恐怖。

お尻の下から、ブーツの爪先から体の中に侵食してくる寒さ。

これらのことに、いつまで耐えればいいのだろう。

朝まで耐えられるのだろうか?

本当にこのまま、朝まで、、、?


初めて異界に足を踏み入れ、夜の森をさ迷ったとき、やはり恐怖で心臓が止まるかと思うほど恐ろしかった。

しかし今では慣れ親しんだ低地の森に比べ、アマロックの縄張りを外れたこの高原では、恐怖も寒さも桁違いだった。


そよ風が吹けば、魔族のいやらしい触手に頬を撫でられたような気がして飛び上がり、

沼の方で寝ぼけたシギが水音をたてれば、水中に棲む巨大なサンショウオの魔物が、大口を開けて沼から這い上がってくる幻影に身を固くした。


無慈悲な高原の大気は、細い氷の糸のように容赦なく彼女の全身を締め上げ、恐怖に縮みあがった心臓は、今にも締め潰されてしまいそうだった。



ただ、異界の夜が暗闇というのは、大きな間違いだった。


闇に馴れた目を上げると、息をのむような光の渦が天空を埋め尽くしていた。

今までに見たこともない、圧倒的な満天の星空。


シリウスかベテルギウスか、目を射るような明るい星のあいだに、

それらにつき従うような、やや控えめな星が輝いている。

それだけでも夥しい数だというのに、目を凝らせば更にその隙間に、もっと細かな星が無数に散らばっている。

そして更にその隙間に、もっと小さな暗い星が、、、

といった具合で、どこまで目を凝らしても、この天の空間に、星に埋められていない真の空虚など存在しないのではないかと思えるほどだった。


けれどそれは恐らく間違っている。


白くけぶる無窮むきゅう瀑布ばくふ、大いなる天上の河が、川面に無数の明星を浮かべ、天球を北から南へと貫いていた。


気が遠くなるような遠い距離にあるために、煙か液体の流れのように見えるそれは、

人が一生かけて数え上げられる数よりも遥かに多くの星々が集まったものだという。


その、星が特に密集した部分が、輪郭もくっきりと明るく見えるということは、それ以外の相対的に暗く見える部分は、

一分の隙もなく星に埋め尽くされているように見えて、真実は、宇宙空間の果てまで続く深淵しんえんの領域の方が多いのだ。


深淵の闇に輝く天体は、ほとんど瞬くこともせず、この惑星の片隅で不安に怯え、寒さに震える少女を見下ろしていた。



とてもこの世のものとは思えなかった。

それがこんなに視界いっぱいを埋め尽くしているのだから、

ここは、「この世」ではないのではないだろうか?


流れ星が尾を引いて流れる度に、

今失われたのは自分の生命ではないのかと、

そんな妄想におびえていた。

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