第102話 闇のかがり火#1

点火したマッチを慎重に手で庇いながら、焚き付けの乾燥ゴケの中に押し込む。

ぷすぷすとくすぶる音がして、ほどなく、明るい炎の舌が姿を現した。


「手際いいじゃん。」


「へっへーん。」


アマロックに誉められて、アマリリスは素直に気分がよかった。


幻力マーヤーの森の、暗闇の夜を幾度も過ごし、火というものがどれだけありがたく心強いか、身に染みてわかっていた。

どんな薄暗い、ぼんやりした火でも、あるとないとでは大違いなのだ。


薪に火が回るまでの間に、食材の方の準備にとりかかった。

いつもは鉈やスコップとして用いることのほうが多い、波刃のついた短剣を引き抜き、しばしシギを見つめる。

大きめのウズラと言ったところか。


昔から、動物を殺したり解体する場面は苦手だった。

むろん、誰しも気持ちのいいものではないだろうが、

そういった場面が日常茶飯事の農村の娘には珍しく、アマリリスはその手の仕事に、かなりはっきりした苦手意識があった。


とはいえ、やって出来ないことではない。

翼の裏側の柔らかな羽毛を撫で、短剣の切っ先を当てた。



切り分けたシギの肉を、ハンノキの枝の串に差し、焚き火の上にかざして地面に刺した。

汚れた手と短剣を沼の水ですすぎ、焚き火の明かりを目印に戻ってきた。

一面の闇の中、傍らに腰を下ろしたアマロックの姿だけが、小さな炎に照らされていた。


アマロックの隣に座り、肉が焼けるのを待つ。

静かな晩秋の夜、薪のはぜる音に混じって、鈴虫の鳴くような声が聞こえていた。

虫が鳴くにしては、ずいぶん季節が遅いんじゃないだろうか。

もしかして、あの虫も魔族だったりして。


「アマロックは、」


もともとやや低めの声のアマリリスが、一層低い声で言った。


「ん?」


「あのキュムロニバス大入道と一緒に行かないの?

山の向こうに行けるのに。」


「行かないよ。

おれは、群体には変身できないからね。」


ほっとすると同時に、ちょっとがっかりもした。

あんな巨大な船みたいな生き物に乗っかって、はるか遠くまで運ばれていくのはどんな気分か、聞いてみたいと思った。


「乗っかるっていうか、船そのものになるってことだからね。

どんな気分もしないと思うよ。」



アマロックによると、キュムロニバスの群体にはコアとなる1個体、まれに複数個体の魔族がいて、全体を制御しているらしい。

それ以外の、群体を構成する個体の大半には、個としての意識がなく、コアに操られ、文字通りの手足となって動く状態なのだそうだ。


そして意外にも、あの大きなキュムロニバスを動かしているコアは、ごく小さく原始的な、脳もないような生物を基体とする魔族だという。


その生物は、体の中に微小な磁鉄鉱の粒を持っていて、同じ方角に向かって進む性質がある。

個体によって、北だったり西だったり様々だが生まれたときからその方角は決まっていて、一生同じ方角に進み続けるのだ。

だから、そのコアに制御されるキュムロニバスも、

地形の制約などにより、全くの一直線とはいかないが、基本的にある一定の方角に向かって進む性質をもっている。


コアは年に2回、春と秋、岸に近い海底で孵化し、それぞれに決まった方向に向けて四散して行く。

トワトワトの東海岸で生まれたコアのうち、たまたま西方面に向かう個体の行く手には、陸地が、トワトワトの山岳が立ちはだかることになる。


秋のはじめ、海岸で生まれたコアは、最初はごく小さく、貝が這うよりもゆっくりしたスピードで、山を登っていく。

途中で他の魔族と接触し、群体を作り始めると、徐々に大きくなってゆき、

西海岸への移住を希望する”乗客”を次々と拾って、巨大なキュムロニバスとなるのだ。


山を越え、西海岸に着く頃、コアは寿命を迎え、

コアの制御を失ったキュムロニバスは、老樹が崩れるように崩壊し、木や鳥や獣の、ばらばらの個体に戻って散らばって行く。


やがて次の年の春、今度は西海岸で生まれ、東に向かうコアに便乗し、再びキュムロニバスとなって東側に戻ってくるのだという。

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