第84話 たちあおいの園

ヘリアンサスはどきりとした。


『・・・本当も何も知ってるよ。

あの出てっちゃった奥さん、結構美人だったじゃんか。』


『けっ、どっこが。

あんた、目ェ腐ってんじゃないの?』


返す言葉が見つからなかった。

ヘリアンサスはじっと、彼のすぐ隣に、暗がりのなかに横たわる、美しい姉の姿を見つめた。


この暗さだとほとんど真っ黒に見える、ゆるやかにウェーヴした長い髪。

その髪が這う羽毛枕に半ば埋もれた、つややかな頬、いたずらっぽく笑っている唇。

一度見たら忘れない、と誰もが口を揃えて言う、印象的なまなざし。

長い睫毛に縁取られた、大きな、輝きに満ちた瞳。


しかし、その瞳が生の光を失い、暗闇に閉ざされるような時期のあったこと、

特に、トワトワトに来てからしばらくの間の、死の気配すら感じさせる苦悩を思うと、

過去の話をするのは、非常に危険なことに思えた。


ところが、時おりアマリリスの口から飛び出てくる過去の記憶は、

夏の強い日差しの下、たちあおいや、ひまわりの花が咲いている農場だったり、

ヒルプシムと一緒にいたずらばかりしていた幼年時代や、兄にわがまま放題を言って、すべて受け入れてもらっているような、

幸福だった頃のウィスタリアの姿だった。


そういった断片からは、その後彼女にもたらされた、あれほどの苦しみが、

一体どういう形でアマリリスの中に仕舞われているのか、ヘリアンサスには分からなかった。


『クサ。。。ってるかな。』


さんざん悩んだ末、苦し紛れに間の抜けた言葉を返した。


『そーだよ、しっかりしてよ。

シュミ悪いって、ファーベルに嫌われちゃうよ。』


そう言って笑う瞳に、いつもの傲慢さや嘲笑はなく、思いやりに満ちて優しい。



もしかして、本当に頭がおかしくなっていて、あの災厄以来、いろいろな事が、すっぽり頭から消え去っているのではないだろうか?


その想像はとても恐ろしかった。

しかし例えそうだとしても、こうして生き生きと我が儘な姉を見ていたかった。

彼女の幸福を守るためなら、彼自身のどれ程の恐怖も、苦しみにも耐えられると思った。



もうひとつ、何か気になることがあった気がするのだが何だったろうか。

ごく簡単なことで、すぐに思い出せそうな気がするのだが・・・

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