第83話 月下の囁き

夕方に降った雨も上がり、明るい月が出ていた。

銀色の光を浴びて、周囲に浮かぶ雲の縁は、柔らかな色合いに輝いていた。


今日は珍しく、アマリリスも日が沈む前に帰ってきた。

アマロックも来ていたが、夕食は食べずに帰ってしまった。

クリプトメリアは実験棟にこもりきりで、三人での夕食を済ませ、今はもう寝室に上がっていた。


母屋2階は、臨海実験所の職員や宿泊者の居室として設計され、比較的小さな4部屋に区切られていた。

一部屋をクリプトメリアが、もう一部屋を子供たち3人が、寝室として使っていた。

4部屋の中ではいちばん大きな部屋だったが、ベッドを3つ入れるには手狭で、一人用のベッド2つを並べて結わえつけ、ダブルサイズのベッドのようにしたものに3人で寝ていた。


弟を含む男女の組み合わせが、寝室、まして寝床を共にするというのは、3人の年齢を考えると微妙な気もした。

かといって、ヘリアンサスだけ別の部屋に行け、と言うのは可哀想だし、ファーベルも気にしていないようなので良しとした。

ヘリアンサスもファーベルも、それぞれの事情によって、そういう抵抗感が芽生える年齢になる前に、

彼らを育てた文化から引き離されてしまった。


文明人らしく、きちんと寝間着に着替え、心地よいベッドに入って後は寝るだけ、というのは、アマリリスが臨海実験所でもっとも好きな時間だった。

特に、昨晩、寒さに震えながら地面にうずくまって寝たあとでは、この快適さが身に染みた。


こうして、寝床に入ってから眠りに落ちるまでの時間を、いつもとりとめもないお喋りをして過ごした。

夜空にかかる月を見上げ、窓を打つ雨音、あるいは満潮の波がオシヨロフ湾の小石を転がす呟きを聞きながら、

変化の少ない日常から拾い上げた出来事や、思い出ばなしなど。


今日は、ファーベルは静かに本を読んでいて、アマリリスとヘリアンサスの二人は、久しぶりのウィスタリア語で話していた。


『ファーベルって、可愛いね。』


『・・・』


『ほっぺがリンゴみたいで、むぎゅってしたくなんない?

ブリュネットなのもすてき。いいよねぇ、黒。』


『・・・』


ウィスタリア語さえ使っていれば、何を言っても分からないとアマリリスは思っている。

しかし、、


『ちびっちゃくて、ちょっと声が赤ちゃんぽくて、

ホント、萌えーってかんじ。

あたし、ファーベルみたいな妹欲しかったんだ』


『ん、、』


『んーじゃなくて、何とか言いなさいな。

あんた普段、ファーベルとどんな話してんのさ。』


自分の名前が頻繁に出てくれば、噂話をしていると誰だって気づく。

アマリリスはさっきから5回以上、ファーベルファーベルと連呼しているのだ。

それに対してヘリアンサスが黙っていたり、無愛想に答えるのを、からかわれて照れているという風に受け取ったのだろうか。

余計執拗しつようになってくる。

全く、バカのうえに、ウザい。


救いは、言語が違うと、同じ言葉も発音が違うことだ。

ラフレシア語とは異なるイントネーション、語形活用をもつウィスタリア語の『ファーベル』はラフレシア語の「ファーベル」とは違った音色で耳に響く。

そして多分、ファーベルはこちらの話を聞いてない。


ヘリアンサスとアマリリスが、二人でウィスタリア語で話している時、

ファーベルはそこに居ないかのように、二人の会話とは隔たった立ち位置にあった。


そのはるか遠い国の言語によって語られるものが、いまも周囲にある、何気ない生活の事柄であり、

語彙と文法さえ理解していれば、その内容に彼女も共感したり、楽しんだり意見したり出来るものだ、というふうには考えていないようだった。

だから、こうして話していても、波の音か、風の音と同じようにしか聞こえていないはずだ。


とはいえ、気が気ではなかった。


『言っちゃえよぉ、おねぇちゃんにだけ教えてよ。

ファーベルのこと好きでしょ?

あんたの好みじゃん。』


『なんでねぇちゃんが僕の好み分かるのさ。』


『わかるよ。

あんたロリ趣味じゃん、カワイイ系が好きじゃん、昔から。

初等学校であんたが好きだった子、なんつったっけ。』


『知らないよ、適当なこと言うな。』


『だよねぇ、今はファーベル一筋だもんねー、

ファーベルも罪な女、ヘリアンの過去まで全部忘れさせちゃうなんて』


勘弁してくれ。。。


はいはいファーベル好きですよ、好き好き大好きですよ、

とでも言ってやれば黙るだろうか?

いや、危険すぎるな。

興奮して余計に騒ぐかもしれない。


『知ってる?

おにいちゃんは、ほんとーはキレイ系が好きなんだよ。

自分は里芋みたいな顔して、美人ずき。ぷっ』

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