第81話 朝霧の狩場

「ふぇ、っふ、、ぶへっ☆くち」


オオカミの姿のアマロックが、射るような冷たい金色の瞳でこちらを見る。


”ごめんて”


アマリリスは目で詫びを言って、小さく鼻をすすった。


最近めっきり寒くなった。

昨日は、せめてもの風よけになりそうな、ダケカンバの大木の蔭で寝たのだが、カゼでもひいたろうか。


携帯食の鱒の燻製も食べきってしまい、アマリリスは空腹だった。

いつもだったら、明るくなるのを待ってすぐに臨海実験所に帰るのだが、今日は途中、アマロックたちに行きあった。

この湖水の岸に広がる丘陵地で、彼らは朝食を手に入れる準備の最終段階に取りかかっていた。



はまなすの密生する茂みの向こうに、3頭のアカシカの姿が見える。

いずれも、枝が2本の角、ということは、まだ若い雄鹿だ。


すらりとした、どこか痛々しいような華奢な姿。

茂みのかげに頭を下ろし、ちょっと草を噛んだかと思うと、すぐに頭を上げ、不安そうに辺りを見回している。


数分前に、アフロジオンと、3兄弟の1頭がアマロックのもとを離れ、ヤナギの茂る川岸のほうへ消えていった。

サンスポットともう2頭も、どこかに潜んでいるはずだ。


時おりどこか遠くで、キツツキが幹を叩く音がする他は、辺りはとても静かだった。

少し霧がかかっていたが風はなく、ひょっとすると、アカシカたちが草をかじる音まで聞こえそうだった。


オオカミたちは、木々に隠れて忍びより、襲う気なのだろう。

アフロジオンはあっちから、サンスポットはこっちから、と取り囲んで、一斉に飛びかかる。

そういうことをするには、いろんな段取りや取り決めが必要そうだが、

音を立てられない、姿を見せるわけにもいかないこの状況で、どうやってやりとりをするのだろう?



展開の読めない中、時間と海風だけが過ぎていった。


アマリリスはそっと手袋を外し、薬指を深く曲げて手のひらに触れた。

ひんやりと乾いていた。

大丈夫、ビビってない。

アマリリスは自分も狩りに参加しているように嬉しかった。


アマリリスには感じ取ることのできない、音か、匂いか、あるいは気配のようなものか、

何かを捉えて、アマロックの耳がはたと動き、鼻面がかすかに上を向いた。



ほぼ同時に、3頭のシカは何かに怯え、いっせいに走りだした。

はまなすの茂みの向こうから、アフロジオンがものすごい速さで走ってくるのが、一瞬だけ見えた。

アマリリスははね起きた。

丈の高い灌木にさえぎられて、オオカミの姿はよく見えない。

アカシカは追い立てられて、みずうみの方に向かっている。

アマロックはまだ動かず、3頭の動きをじっと目で追っている。


動きが変わった。

シカは右に折れ、こちらに向かってくる。

ようやく、アマロックが動いた。

灌木を飛び越えて斜面をかけ下り、ダケカンバの木立ちの中で、両者の進路が交わった。


茂みが大きく揺れた。

ややあって、木立ちからシカが飛び出し、走り去っていった。

数えられたのは、2頭。


悲鳴も唸り声も、吠え声ひとつなく全ては終わった。

木々の梢に遮られて、結果がどうなったのか、目で見ることはできなかったが、気配によって分かっていた。

何か重いものがぶつかり合う、鈍い衝撃の気配というか、手応えのようなものがあった。


もっと言えば、茂みを縫って走るオオカミたちと、追い立てられるアカシカがいて、

迎え撃つアマロックが踏み出したその時に、狩りがどのような進行を辿り、あの木立の中で、どのシカが倒されるかまで分かっていたと思った。


木立の奥のざわめきは静まり、しかし、オオカミたちが動き回る気配は続いていた。


さて、どうしよう。

行けば、アマリリスの空腹を満たす量ぐらいは、分けてくれそうな気がする。

でも。。。


新鮮なステーキの山は魅惑的で、数日ぶりに会えたアマロックたちと、言葉も交わさずに別れることも、心残りではあったが、

アマリリスは結局、そのままその場を離れた。

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