第37話 花園の警戒

その日の午後。


今度はアマリリスが、夏草の繁る斜面の上に、息を潜めて腹ばいになっていた。

指ひとつ動かさずにじっと、、、していなければならないのだが、さっきから虻がうるさい。

スゲの穂が頬に擦れる。


一帯はなだらかな傾斜の谷で、ハイマツの茂みが、どこかの庭園の植え込みのようにいくつもの群落を作り、その間にはコマクサの赤やキンポウゲの黄が混じる草原が広がっている。

谷の中央は涸れた沢になっていて、崩れてきた岩の列の両側に、赤茶けた土の面が見えている。

赤土よりもやや薄い毛色をした動物が、沢筋と草原の間を行ったり来たりしていて、さっきからサンスポットはそれを狙っているのだ。


日によってはこの草地で、アカシカが草をんでいる。

今も手前の斜面には、オオカミたちが先週に仕留めたシカの残骸が転がっている。

数日前までは、アナグマやワシが群がっていたが、今は黒ずんだ肋骨が見えているだけで、カラスも寄り付かない。


今、アマロックたちの縄張りにアカシカはいない。

そんなとき、オオカミたちは手に入る小動物を片っ端から平らげて食いつないでいる。

こういう開けた場所に住む地リスも彼らのメニューの定番で、アマリリスは今までも何度か、ベガかデネブかアルタイルが捕まえて、森の中を運んでいるのを見かけたことがある。

けれど、狩りの現場を見るのはこれがはじめてだ。


ずんぐりした体を短い足で支えた平和な生き物は、天敵から身を守る武器は何も持たず、敏捷そうにも見えないが、かわりに堅固な巣穴に守られている。

アマリリスの位置から見える範囲で、土手の斜面の上の方に穴が3つあり、草地の中にも複数の出入り口があるようだ。

全部が、地中で繋がっているのだろう。


巣穴を出て食事をしている仲間のために、所々に見張りがいて、危険を察知すると鋭い警告音をあげる取り決めのようだ。

かなり用心深く、さっきからアマリリスが虫を払ったり、どこか掻いたりしただけでも、ともすれば感づかれ、あっという間に巣穴に飛び込んでしまう。

これでは、いくらサンスポットがすばしこくても、牙が届く遥か手前で逃げられてしまいそうだ。


ところが当のサンスポットには真剣さがまるで感じられず、

巣穴からもぞもぞ出てきたり、また逃げ込んだり、を繰り返すジリス達の間をだく足で歩き回り、かと思えばろくに隠れもせず、巣穴が散在する草地の真ん中に寝転んだりしている。

まるで、ムキになって走り回ってもどうせ捕まらないのが目に見えているから、形だけ狩りのふりをしています、とでも言うように。

一体何をしているのだろう?


いい加減飽きてきた頃、アマリリスは妙なことに気づいた。

サンスポットは相変わらずトコトコ走っては座り込んだりしているが、地リスのほうが、あまり警戒の鳴き声を上げなくなってきた。

天敵のやる気のなさを見て、警戒の必要なしと思ったのか、ひょっとして存在自体を忘れてしまったのか。

すぐそばをサンスポットが歩いているのに、何匹かがのそのそと草地に出てきて、草をかじり始めた。

・・・これが狙い?


心臓がどきどき鳴りはじめた。

ああ、そんなに巣穴から離れたら、逃げられなくなっちゃう、ほら後ろ後ろ・・・


さっきまでと一転、今は地リスの方に、心の中で必死に呼び掛けていた。

やがて草地の端のほうの巣穴から出てきた一匹が、しきりに左右の地面を嗅ぎながら谷の下の方に這っていって、草の根を掘りはじめたとき。

突然サンスポットが身をひるがえした。

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