第20話 トワトワトの岩#3

「おや珍しい、異人さんかね。」


薄暗い店の奥から、きれいな発音のラフレシア語が聞こえてきた。

値段表の脇から覗きこむと、あかあかと燃える石炭ストーブの前に、小柄な白髪の老人が腰掛け、パイプをふかしながらこちらを見ている。

穏和で優しそうな、恐らくは別の土地からトワトワトにやって来た人なのだろう。

しかしその目は、やはりどこか悲しげに見えた。


「こりゃまた、えらい別嬪べっぴんの異人さんだ。

どちらから来なすった。」


アマリリスは少しためらった。


ラフレシア人から見て、アマリリスは特に外国人らしく映るようだ。

ヘリアンサスは一度もないのに、アマリリスはラフレシアに来てから何度か、こうして出身を尋ねられたことがある。

そのこと自体は構わないのだが、質問に答えて祖国の名前を出したときの、相手の反応がいたたまれなかった。


戦争、難民、離散、そういったものは、ほとんどのラフレシア人にとっても馴染みがなく、明らかに、どう接してよいか分からずにいる困惑が見て取れた。

それは、雪と氷の国でこそ育まれた、心温くなさけ深い一面だとは思う。

カラカシスやコルムバリアの民族なら、きっと他人の身の不幸を思って心を痛めたりはしない。

ラフレシア人のそういうところは、アマリリスは好きだ。

けれど自分の身に対して、そういうふうに他人から憐れまれたり、気を遣われることは、ひどく居心地悪く感じる。

かといって、うまくはぐらかすようなラフレシア語は知らなかった。


「ウィスタリア」


もっと愛想よく伝わる答え方をいくらでも知っていたが、

敢えて、言語に不慣れな外国人みたいな返事をした。


「ほう、それはまた遠路はるばる。」


・・・どうやらこの老人は、ウィスタリアの現状を知らないらしい。

或いはウィスタリアという国そのものを知らないのかもしれない。

拍子抜けしたが、おかげで気が楽になった。


「旅行ですかの。こんな世界の果てへ。」


「いいえ。

住んでいます、トワトワト臨海実験所に。」


「トワトワト臨海実、、、

あぁ、オシヨロフの検潮所かね、マグノリア大学の。

先生と娘さん二人で住んでると聞いてたが、

ずいぶんお若いが、学生さんですかな?」


「まぁ・・・そんなようなものです。」


このちょっと気取った言い回しは、平和だった頃、学校のラフレシア語の授業で習った。


「何とあなたのような綺麗な方が、幻力マーヤーの森で学業とは。

魔族に取り憑かれんようにして下さいよ。」


幻力マーヤーの??

あの辺の森をそう言うんですか?」


「いやいや。

異界の森のことを、ラフレシアではそう呼ぶのですよ。」


老人は笑った。


「ですから、この町のすぐ裏の森も、もちろんオシヨロフのあたりも、そしてずっとずっと北、樹木がなくなってツンドラに変わる所まで、一面が幻力マーヤーの森、ということになるの。」


幻力マーヤー。。。

魔族が住む森だから、幻力マーヤーの森、なんですか?」


「いや、

こういう、太古から続く、人手の入ったことのない森というのは、森それ自体が幻力マーヤーを帯びて来るものなのですよ。

そして、入ってくる人間を惑わし、取り込んで二度と帰さんようになる。

この町でも何人も、森に行って帰らんかった者がおります。」


「はぁ。。」


アマリリスは微妙な表情をした。

それって単に迷子になったか、事故に遭ったとかじゃ。。


「異界とは本来、人間が立ち入ってはならない場所なのです。

くれぐれも、それをお忘れなく。」


「はい。。。

ありがとう、ございます。」


やがて話すこともなくなり、アマリリスは老人の言葉を反芻はんすうしながら、旅券屋の前を離れた。


幻力マーヤーとは、魔族が持つと言われる、不思議な魔力とか、妖力のようなものだ。

何でも魔族は幻力を使って人間に取り入り、相手を意のままに操ったり、不思議な幻覚を見せて惑わせたりする。

それどころか、幻力の作用だけで人を殺すことだって出来る。

という、その名の通りまぼろしのような、伝説の妖力だ。


この科学と進歩の世紀に妖力なんて、と思うが、魔族が現に生き残っているくらいだし、何か、まだ発見されていない未知の力があるのかも。。。

ここで、アマリリスははたと立ち止まった。


まぼろし。


アマロックと会ったときの、あの鮮やかなみどりと色とりどりの花の映像。

あの時は何も考えず、錯覚というか、アマロックの演奏によって呼び起こされたイメージなのだと思っていたが、あれが、アマロックが幻力マーヤーを使って見せた幻影なのだとしたら。

・・・それでアマロックは、何を?


「あーっ、いたいた、こんなトコに。」


考えても何か考えつくわけもなく、通りをぶらぶらしていたアマリリスは、ヘリアンサスに呼び止められて我に返った。


「ダメじゃんか、勝手にどっか行っちゃ。

博士心配してるよ。」


「・・・あー、ごめん。」


そろそろまた体が冷えてきたアマリリスは、子犬のように元気な弟に連れられて船へ、そして臨海実験所に戻った。

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