第19話 トワトワトの岩#2

『町に行く』というので、アマリリスは楽しみにしていた。

見渡すかぎりの原生林、無人の異界のど真ん中で、臨海実験所にこもって暮らすのは、さすがにあきあきしていた。


臨海実験所のあるオシヨロフ岬から、外部に出入りする道はない。

実験所前の船着き場から、クリプトメリアが運転するずんぐりしたボートに乗り、海上を南へ約2時間。

最初は甲板に立って、舳先に砕ける波や、右手に広がる雄大な半島の地形を眺めていたが、すぐに寒さに耐えられなくなって船室に逃げ込み、

あとはずっと、塩を吹いて見通しの悪い窓から外を覗いていた。


目的地について船を降りるなり、何だかがっかりした。

くすんだ灰色の玉石と流木、あとはよく分からない海の藻屑に覆われた海岸のすぐそばまで、急勾配の斜面が迫り、芽吹いたばかりのダケカンバの林が、雲か霧かわからないもやかすんでいる。

白く泡だつ川が、谷筋を流れてきて急な流れのまま海に注ぎ込む。

山と海の間、川がわずかに整えた平地に広がるひとかたまりの家屋が、トワトワト最大にして『唯一の町』、オロクシュマ・トワトワトである。

冷たい雨に濡れ、霧にかすむ閑散とした通りを、アマリリスは町の奥の方へ歩いていった。


実際、ヘリアンサスは楽しんでいるだろう。

未開の大半島の入り口らしく、通りには、獣の毛皮を積んだ店があり、銃器や様々な道具を扱う店がある。

そういったものを眺めるのは、確かに飽きない。

しかしどうにも、楽しい気分になれない町だった。


青や赤のトタン屋根の、一様に雨風に痛め付けられた様子の家がとりとめもなく並び、

建物の傍らには、薪や漁具や、壊れた赤錆の機械が置かれ、去年の朽ちた草の茎と、今年の若芽の混じる薮に埋もれている。


時おりすれ違う住人の表情はあまり動かず、稀にアマリリスと目が合うと、友好も警戒も感じられない無遠慮な視線を向けてくる。


アマリリスは白く煙る息を吐き、オロクシュマの巨岩とその向こうの灰色の海、灰色の空を見上げた。

冬に逆戻りしたような、今日の天候のせいもあるかも知れない。

まるで町と、そこに住む人にまでも、トワトワトの重苦しく、暗い苦悩の色が染みついている感じがした。


船着き場から続く目抜通りの沿道には、どういうわけか旅行代理店が目立った。

どこそこまでの船賃が何百ビフロスト(※ラフレシアの通貨)という表を軒先に貼り出した店を、もう3軒見掛けていた。

その1軒の前に立ち、さっきの食堂から持ってきてしまったマグカップを啜りながら、値段表を眺めてみた。


ベルファトラバ島:200ビフロスト

マグノリア:500ビフロスト

アスティルベ:1,100ビフロスト、、、


確かマグノリアと同じぐらいの距離のはずのアスティルベが、マグノリアの倍もするというのは意外だが、下に括弧書きでマグノリア経由、と書いてあった。

直行便は出ていないのだ。


船便とのセットで、鉄道でもっと遠いところまで行くチケットもある。

カリステフス:900ビフロスト

クリサンセマム:1,500ビフロスト、

クリムゾン・グローリー:3,100ビフロスト、、


何と、カラカシス行きのチケットまである。


フィカス:4,500ビフロスト


ピスガ山から救出されて、船で運ばれた北カラカシスの港だ。

こんな所で目にしようとは思わなかった。

しかもこんな世界の果てから、海路と鉄路を結んだ一本の道で結ばれているなんて、何だか不思議な気がする。

が、その旅程につけられた値段は、帰りつく道のりの果てしなさを物語って余りあるものだった。


去年秋、ウラジカラカシスの難民キャンプに入ってしばらく、アマリリスは毛織物工場でアルバイトをしていた。

父が貿易事務所の職を見つけて収入が安定するまで、家計は苦しかった。

朝から夕方まで、週6日働いて、そのときの給料が確か月、50ビフロスト。


つまりカラカシスに帰ろうと思ったら。。。

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