第7話 理想の島流し
ちょうど3年前の春。
ラフレシア極東州・マグノリア大学付属・生体旋律研究所教授、オニキス・クリプトメリア博士は、
突如、同大学付属・トワトワト臨海実験所付け教官、兼、施設管理責任者に任命され、
重い精神疾患を発症して離任した前任者と交代する形で、この地に赴任してきた。
学内における、彼自身はあまり関心のない政治の結果の、平たく言えば、とばっちりを受けた人事だった。
到着して、絶句した。
単に
クリプトメリア博士も昔研究のために、彼以外の人間が一人もいない北極圏の島で、ひと夏テント生活をしたことがある。
実に清浄な空気、贅沢な空間、有意義な時間だった。
周囲1千キロにわたって無人のツンドラが広がるあの島に比べれば、ここオシヨロフ岬は、樹木も生育し、まだしも人間世界に近い。
あきれたのは、これだけ
何もこんな場所でなくてもいいだろうに。
最も近い隣家は、海上を50キロ南、トワトワト最大の港湾であり、同時に唯一の『町』でもある、オロクシュマ・トワトワト港。
つまり周囲50キロの円内に、人家は一軒もないのだ。
そしてその円外には、むしろ一層、人工希薄な原野が広がっている。
トワトワトというだけで、地の果てへの島流し的な要素を十分に含んでいると言うのに、
さらにもう一段階、人間世界から遠ざけられているのは、自分のような追放者から、帰還への一切の希望を奪うための演出だろうか、と邪推したが、後で知ったところ、そういうわけではないらしい。
この実験所が作られたときの副学長か誰かが、海洋学の出で、信じられないような清浄な環境でのみ可能な、沿岸海洋水に関する研究の必要性を主張し、この場所になった、ということだった。
常人には理解の及ばないこだわりのために、それ以外の全てをなげうって
もともと人間という生物の相手がただただ
彼の長年の研究テーマである水生生物が身近に手に入り、臨海実験所の施設も古いが機材は十分で、
ただ2週間に一度、オロクシュマ港へ食料ほか生活用品を買い出しに行くのが億劫なくらいで、
職場としては非常に清々しく、理想的とさえ言えた。
ただ、ファーベルが哀れだった。
父娘が赴任してきて1年目は、他にもまだ常駐の職員が、
何年も博士論文が書けずに研究を続けている、影の薄い大学院生がいたが、その男もいつの間にか内地に引き上げていた。
2年目までは、夏の2週間、海洋学部の教官と学生が10名ほど、実習のために泊まり込んでいったが、去年はとうとうそのカリキュラムも廃止され、
アマリリスとヘリアンサスがやって来るまで、実に1年以上の間、ファーベルには父以外に、話し相手になってくれる人間もいなかった。
そう、『人間』は。
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