第2話 法律で決まったことです

 市役所からの封筒を貰ってから数日が過ぎた。まだ返信はしていない。

でも、正直なところ、気になって仕方がない。電車に乗っていても、仕事をしていても落ち着かない。

 四月十日の金曜日の夕方、仕事先の電話工事会社の事務を終え、帰りの電車に乗った。同い年の友人たちにもあの封筒は届いているはずだから、聞いてみようと思いメールを打ち始めてふと気が付いた。オワリをいつにするか、決めるためには財産の有無がかかわってくる。でも、学生時代の友人とも、仕事で知り合った知人とも、お互いの財産について話したことは一度もない。このことで連絡すれば、互いの財産についての話はまぬがれない。友達への相談はやめることにした。

メールを打つのをやめて、インターネットのサイトを見ていたら「お悩み相談コーナー:オワリを伸ばす財産がありません 六十歳男性」というのが目に留まった。

 悩みの内容は、「オワリのヒアリングが来た(私のもらったやつだ)けれど、財産がないので75歳でオワリにしなければならないようだ、しかし、自分は晩婚で、十年前に結婚して、九歳の子供がいる。妻は年が離れていて二十歳年下だ。自分が七五歳でオワリになると子供は二十四歳で父なし子になってしまう」という切々たる内容だった。

 それに対する回答はというと「お悩みは良くわかります。確かに七十五歳でオワリになり、お子さんとお別れするのは辛いですね。しかし今回の法律はそうしたお子さんの補償もしっかりするようになっていますので、市役所に相談してみてください。安心してください」とあっさりしたものだった。

 こんな声が日本中に満ちているに違いない。けれど、国会で決まったれっきとした法律に基づく事なのだ。回答者はその事実を述べているだけだ。

 疲れてしまったので、夕食は外食にしようよ、と夫にメールすると、OKが返信されてきた。自宅近くのイタリアンレストラン「サンタマリア」に先に行っているよ、と書かれていた。夫はイタリアンが好きなのだ。週に一度はサンタマリアに出かけて、すべてのメニューを制覇している。子供むけに用意されている「まちがいさがし」も大好きで、熱心に見ている。夫は、私より六歳、若い。オワリの書類が来るのは6年後なのだ。

 今日も、最後の一つが見つからないまちがいさがしをずっと見ていて、話しかける雰囲気ではなかった。夫はラム肉の串焼きをおいしそうに食べていた。私も同じ串焼きを注文した。串焼きには、調味料が一緒に添えられていた。コショウやクミンなどのハーブが混ざっていていい香りがする。羊肉の独特の臭みを消すためだが、癖になるおいしさだった。ハーブの香りの中で夫に話しかけた。

「昨日のオワリの書類のことで相談なんだけど」

「うん、なに」

「私、財産もないしさ、七十五歳でオワリでいいかなと思っているんだけど、どうかなと思って」

「いいもなにも、財産ないんだからしょうがないじゃん。この法律は、事実上、日本人はみんな七十五歳でオワリですよって法律だからさ。それ以上生きたい人はあらかじめ申し出ておきなさいよってこと」

夫はいつでも話し方が理路整然としている。その通りなのだ。夫の言う通りなのだ。私が迷う余地はないのだ。

「じゃあ七十五歳って書いて出しておくね」

「侑子は寿命あと二十年ってことだよねえ。まあそれまで仲良くやりましょうかね」

 夫が落ち着いているので、何だか私も落ち着いてきた。法律の通りに記入し投函する。十九年後に生きていれば、オワリ準備のお知らせが送られてきて、一年間オワリのためのロードマップ通りに暮らし、オワリを迎える。きっと難しいことはない。これまで通り普通に暮らしていけばいいのだ。

 

 

 

 

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