第4話 ジョアンナ・グラスターク


嬉しい。嬉しい。嬉しい。

もうすぐアタシの念願が叶う。

アタシの、そしてお父様の念願が叶う。

アタシはもうすぐ王族になるんだ。そうしたら今よりもっと偉くなる。今でもアタシは充分偉いけど、でもまだ完璧じゃない。お父様もそう思ってる。まだ完璧じゃない。王族って国の一番上だ。全員が見上げて、全員を見下ろす場所。


ヴォルーク王子はノノ王女との婚約を蹴ったらしい。

なら新しく選ばれたアタシは、王女以上ということになる。

これからはジョアンナ・グラスタークじゃない。

ジョアンナ・H・アフィリオーだ。

すごい。すごい。すごい。上り詰めちゃった、アタシ。自分でも怖いくらいに興奮してる。

やっぱりお父様はすごい。昔から、お父様の言うとおりにしていれば全部うまく行く。そう決まってるんだ。


アタシは舞台女優で、誰よりも美しく舞う。

誰よりも美しいから、誰よりも拍手を浴びる。

アタシ以外はみんな端役か、観客。美しいものを輝かせるためだけにあるもの。ゴミみたいなものだけれど、使い方がある。そう、アタシはそのあたりもよく弁えている。上に立っているから俯瞰的に物を見ることができるのだ。


その点、妹のフィオレット。

アイツはダメだ。

勉強ができても、魔術ができても、侯爵令嬢としての立ち振る舞いがなっていない。

お父様にもなにかと反抗的だ。今回のハイドラとの計画もよく思っていないらしい。あまりにも視野が狭すぎる。一つの国にこだわる必要なんてない。機転よく立ち回って、さらなる上のポジションを狙う気概がなくては。


今、フィオレットは外に出してもらえないから、部屋にこもってる。

アイツのお気に入りの騎士も、お父様に歯向かって酷い目にあったらしい。

ざまあみろだ。そうだ。一回、どんな顔をしてるか見に行ってもいい。いつもすまし顔をしてるアイツがゲンナリしている様子を見てやろう。


そう思い立ったら、楽しくなってきた。





洞窟のような酒場に、下卑た笑い声が響く。

蝋燭が灯り、壁に掲げられた赤と黄色の縞模様の横断幕を照らしている。その中央には白抜きの文字で『デリバリー・マーチェス』と書かれていた。


「殺し屋が派手な旗を掲げてどうするの」


僕が呆れながらそう言うと、酒場の端に腰掛けたマーチェスが首を振る。

ノノ王女から受け取った手紙は、既に出発済みらしい。


「ヨハン殿は勘違いしておられるようだが――」


「ヨハンでいいよ」


「勘違いしてる様だが、俺らは殺し屋じゃなくて運び屋だ。金を積まれりゃどこでも行くし、何でも運ぶってだけのな。だから手紙もうまくやるさ」


「でも兄様を殺そうとしたじゃない」


「そりゃあ、あの時の荷物が『奴の死体』だったからだ」


「殺し屋って言うんだよ、人はそれを」


とは言っても、マーチェス達へ怒りを感じている訳ではない。

よくも兄を殺そうとしたなという感情の矛先なら、向ける先が違う。

彼らは依頼内容を実行しようとしただけだ。兄様も昔似たようなことを言っていた。卓越した技術や膨大な力もすべて使い方次第だ。現象自体に良し悪しはなく、それを実行した者とされた者、あるいは時代が勝手に決めるに過ぎないと。


酒場には合計8人ほどの人影があり、マーチェス以外全員、仮面をかぶっていた。

仮面の奥からじめじめとした視線を感じる。こちらの視線もきっと感じているだろう。


「それで、ヨハン。お前の役目は情報収集か?」


「グラスタークにはさっきみたいな賭場がいくつかあるんでしょ? そこには社会の裏事情に通じる人間が大勢いる。なにか役立つ情報が得られないかと思ってるんだけど」


「あそこは……、まあ噂なら無限に転がってるだろうが、有益な情報があるかどうかは定かじゃねえな。少なくとも見ず知らずの奴に漏らす程度の情報じゃ意味がないだろ」


マーチェスは壁に背中をもたれかけながら、天井を仰ぎ、しばらく何か考えている様子だった。僕はそれを待つ間、マーチェスの横顔をじっと観察する。この男は自分の顔を自在に変えられると聞いた。実際にこの目で見たわけではないが、今この場で1人だけ仮面をかぶっていないのも、多分そういう――――、


「おいおいおいおい、マーチェス。あんた、また性懲りも無く可哀想なのを拾ってきたのかよ。もう増やすつもりはねえって言ってたのによお。なあバーズビー、お前もそう聞いただろ?」


そこで、2人の人影が歩み寄ってきた。

片方は細く背が高くて、もう片方は背が小さい。小さい方は酒瓶を手にし、千鳥足だ。僕は仮面を深くかぶり直した。


「でもさ。でもさ。スピン。このやり取りも毎回だよね。新しいファミリーが増えるたびにさ。これで最後だって言うんだよ。マーチェスって」


背の高い方が独特の口調で言う。

声色からすると僕よりも年上のようなのに、子供のような喋り方だ。


「そうだ、それでシィアにまた叱られんだよ。学ばねえっつうか、結局バカなんだよな、マーチェスもよ」


「えっ。馬鹿じゃないよお。マーチェスはすごいよ。マーチェスが馬鹿だったら僕どうなっちゃうの?」


「おいおい、バーズビー。バンナビー・バーズビー。そんなに自分を卑下すんなよ。聞いたぜ、最近掛け算ができるようになったらしいじゃねえか? 昔は足し算しかできなかったのによぉ」


「で。ひへ。ひへははは。そうなんだ。まだ小さい数だけだけどね。2かける4とか。3かける3とか。この前殺したやつはこう脅したんだ。僕は掛け算もできるんだぞって。そしたらすごい驚いて。簡単に死んじゃった」


「……あ? なんだと?」


「だからね。脅したらあっさり死んじゃ――」


「だからじゃねえよ、この馬鹿がッ!!!」


唐突に、スピンと呼ばれた小さい方が拳を振り上げ、もう一方を殴った。

バキッという鈍い音が酒場に響く。

バーズビーと呼ばれた方は顎をもろに殴られて、後ろにころげ、一回転した。


「……!?」


行くあてのなさそうな会話を黙って聞いていた僕は、急な展開に言葉を失う。

さっきまで仲が良さそうに話していたのに、何がどうしたのだろうか。

スピンが甲高い声で叫ぶ。


「気のつかねえバカだなお前はよぉ!! 新人の前なんだぞ!! 殺すとか、死ぬとか、びびらす様なこと言うんじゃねえよ!!」


「……えぅ。あ。あ。ごめん。ごめんね。スピン」


「俺じゃなくて!! こいつに謝んだよ!!」


「ご。ごめんね?」


そんなことで人の顔面をぶん殴ったのか……? と、僕は驚愕する。

しかも自分の方が大声で死ぬとか殺すとか言っているじゃないか、と思うのに、バーズビーは反論もせず、四つん這いのまま、カクカクとした動きでこちらに頭を下げてくる。

その動きはあまりに異様で気持ちが悪い。


「――――」


助けを求めるように後ろを振り返ると、マーチェスは全く平常通りに「いいところに来た、お前ら」と笑い、信じられないことを言った。


「お前ら、こいつを連れてグラスターク兵団に潜り込んで来い」


「はぁ?!」


思わず驚きの声が漏れ、僕は慌てて仮面の口元を押さえる。

この2人と潜入……!? この、今僕の目の前に現れてイカれたやり取りを繰り広げている2人と?? 冗談じゃない。


「待ってよ、話が違う。あんたが付いてきてくれるんじゃないの?」


「俺には俺でやることがある」


――なら、1人で行った方がマシだ、と思う。

マーチェスという男の優秀さは、ハイドラからここまでの道中で分かっている。腕が立つからこそ、経歴はさておき、兄様も手を組むことをよしとしているのだ。

でも、目の前の2人はどう見ても信頼に足る相手じゃない。部下だかファミリーだか知らないが、こちらは国の存亡がかかっているのだ。


そんな僕の内心を読み取ったのか、マーチェスはいたずらっぽく片頬を持ち上げた。


「こう見えてこいつらは、グラスターク兵団名簿に籍があるんだ。あっちの宿舎の場所や規則も把握してるし、知り合いもいる。複数人で動いてりゃ、いざと言う時、連絡も送れるしな」


「グラスターク兵団に籍が……? いや、それにしたって!」


「緊急事態のさなかだ。迷い込んだネズミ3匹程度、誰も気づきゃしねえよ。スピンとバーズビーは頭は弱いが、仕事となったらそれなりにやる方だ。何かしら役に立つ」


到底信じられない。

僕は両手で頭を抱えた。


こちらのリアクションが見えていないのか――、任務を命じられた2人はすっかり承諾した様子で、つけていた仮面を外し、僕へ握手を求めてきた。


「なーんだかよく分かんねえが、ま、とりあえずよろしく頼むぜ。潜入のコツは疑われたら殺せ。スピンだ」


金色の尖った髪型に、犬みたいにギザギザの歯をした少年が言う。


「えへ。そうするともしかして。僕の後輩ってことになるのかなあ。よろしくね。マーチェスの言うことを聞いてたら大丈夫だよ。僕はバンナビー・バーズビー」


薄紫色のウェーブした髪型、隈の酷い目元、唇の端から微かに血を流した男が言う。


ついさっき再会を誓い合ったばかりで泣き言を言いたくはないが、兄様とノノ様とシィアが屋敷に入り、フィオレットは影武者と交代して帰宅している裏で、僕はこのイカれた凸凹コンビと兵団へ潜入するって、おかしくないか? 明らかなる采配ミスでは?


「ああ、あとちなみにそいつらもロニー・F・ナラザリオ暗殺一味だ。ナラザリオの思い出話でもしながら、まあ仲良くやってくれ」


「こいつらも!?」


僕が叫ぶと、スピンとバーズビーは嬉しそうに肩を組んでくる。


「おっ、ナラザリオの武勇伝が聞きたいのか? いいぜ、聞かせてやる。ありゃあ今までの仕事の中でも指折りに大変な仕事だった――」


「兵団の詰所まで案内するよ。こっちから上に出るんだよ。大丈夫。大丈夫。グラスタークは僕らの縄張りだからね」





「フィオレットがいない?」


思ったより大きな声が出て、廊下に響いた。

しかしせっかく部屋にこもっている妹を心配して、姉が出向いてあげたと言うのにいないというのはどういうことだ。こういうところが、ほんとに可愛くない。


「つい先ほど、探し物があるとおっしゃられて1階に下りられました。もちろん従者が付いております」


「1階になんの探し物があんのよ」


「そこまでは伺いませんでしたが」


「なんでよ。使えないわね」


「――は、申し訳ありません」


アタシは衛兵のスネを蹴って自分の部屋に戻りかけて、やっぱり方向転換した。なんとなくフィオレットの所在を確認しておいた方がいいという直感が働いたのだ。

廊下をわたって、階段を下りて、使用人にフィオレットがどこへ行ったか尋ねる。見ていないという答えが続いた後、ようやく「倉庫に入った」という情報が出てきた。


アタシの直感がまたピクリとする。


倉庫というのはお父様の骨董品などが納められた場所のことで、フィオレットには別に用もないはずだ。まさか退屈だから芸術でも鑑賞しようなんて訳でもないだろう。


企みの香りがする。

奴のお付きのマルドゥークが今ひどい目にあっていて、フィオレットはお父様に反発している。お父様は今お忙しくてそれどころではないが、アイツには昔から小狡い知恵があるから、こういう時こそ油断ならない。

それに、もしフィオレットの怪しい挙動を抑えたら、アタシはますます可愛がられるだろう。そうだ。そのシナリオはかなりいい。


アタシは、フィオレットが入って行ったという倉庫の扉を開けた。

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