第3話 闇魔法


「闇魔法? 闇魔法が何だって?」


虹色のシーサーみたいな仮面が、カクリと首を曲げた。

中身はヨハンだが、全く知らない相手に向かって話しているような気にもなって、なんだか変な感じだ。俺は同じ台詞を繰り返した。


「だから、マルドゥークはお前に、闇魔法を使ったんじゃないかと言ったんだ」


「ええ?」


それは、ヨハンがふと漏らした「それにしてもあの決闘の最後、なんで気を失っちゃったんだろう」という独り言に端を発した話題だった。

薄暗い地下通路――。

ただ人を待つのも退屈なので、温めていた考えを話してみようと思いついたのだ。


「えっと、ごめん。正直、闇魔法ってほとんど馴染みがないんだけど……、有害な毒を発生させる魔法だよね? つまり僕は毒を盛られたってこと? それで気を失ったの?」


馴染みがないのも当然。闇魔法の適性者の割合は全体から見るととても少ない。水魔法が10人に4人ぐらいだとしたら、闇魔法は100人に1人いるかどうかだ。魔法は6属性でそこに優劣はないと謳われているが、適性者も少なければ、扱いも難しく、肩身が狭いというのが闇魔法の実情である。


「毒、あるいは有害物質を生み出す。それが一般で認識されている闇魔法の効果だ。水魔法で生成した水は一定時間で魔素に戻るが、闇魔法で生成された毒素は長時間残りやすい。害獣の駆除、除草、一部薬品への転用とかが表向きだが……」


「他の属性に比べたらパッとしないよね。でも、だからこそ、裏の世界では活躍しているんだろうけれど」


ヨハンはそう言って、大蛇の体内のように真っ暗な通路の先を見つめた。


「……証拠も残らず、一瞬で仕込める毒物。重宝する輩は大勢いるだろう。想像はしたくないけどな」


「じゃあ、あの戦闘の最中にマルドゥークは微量の毒を発生させて、隙を見て僕の体内に入れた。それで3日間ほど気を失ったってこと? 器用だなあ」


「その可能性も0ではないが、俺の予想では違う。

闇魔法にはもう一つ別のアプローチがあると思うんだ」


「?」


「俺が雪山の上で爆発を起こしたのを覚えているか?」


ヨハンは一瞬間を空けてから頷いた。


「爆発――、ああ、うん。ドカンと弾けたやつでしょ?」


その反応を見て、火薬が発明されていないこの世界においては爆発という現象はポピュラーな事象ではないのだと思い出す。他の自然現象と比べて、爆発というのはかなり稀有だ。(まあ以前の世界でも生で見る機会はそうないだろうが)


「爆発の定義というのは少し曖昧で、急激な化学反応、圧力の発生または解放によって熱や音を伴う破壊現象ということになるんだが――、一旦は激しい燃焼のことだと思ってもらっていい。通常の火魔法では可燃性の気体を発生させ発火現象を起こしている。そこから気体の配分や密度を調整し、燃焼の伝播速度を跳ね上げたのが雪山のやつなんだ」


「うわあ……、きた。懐かしいなこの感じ」


「ん? なんだって?」


「なんでもない。続けてどうぞ」


ヨハンは何か呟いたようだが、よく聞こえなかったので気にしないことにする。


「逆に言えば、発火させなければ可燃性の気体だけが魔素空間に存在した状態になる。普通に呼吸をしている空気とは違い、いわば毒素が充満した空間だ」


「んー。もしかして、水魔法で球体を作る前の状態と同じ? それなら覚えてるな」


「ああ、まさにそれだ。ニュートラルな状態――、普通の人たちが特段意識していない魔法の前段部分ということだな。これが大別すれば闇魔法側に入ると、俺は思っている」


ヨハンは少し俯いた後、人差し指を立てた。


「闇魔法には大きく2通りの使い方がある。毒性の液を生み出す方法。毒性の空気を生み出す方法。空気を変化させて『人が呼吸できない状態』を作り出し、それを相手に吸い込ませれば――、ってことだ」


「その通り。たとえば酸素、たとえば窒素、たとえば二酸化炭素。空気というのはどの気体が多すぎても少なすぎても人間の体に弊害が起きるようになっている。それこそ高山病になる原因もそれだ。頭痛がしたり、吐き気がしたり、昏倒したりな」


「サンソ、チッソ……、って何?」


「空気を構成している成分の種類だ」


「ふうん? たとえば料理の調味料みたいなことでいいの? 一つ量を間違えるだけで、味が変わっちゃうみたいな」


「この例え上手め」


さすが神童。

科学的な素養がない世界で、この理解の速さはすごい。

頭を撫でそうになって、もう16歳の青年だということに気づく。


「じゃああの時……、決闘の後に僕が気を失ったのは闇魔法の応用だったんだ」


ヨハンが地面に倒れ、マルドゥークがそれを見下ろす姿が思い起こされる。

決着の瞬間を見逃すはずだ。傍目からは、腕を伸ばしているようにしか見えないのだから。


「実は、俺も食らったことがある。俺の時は意識を失わせようと加減されたものじゃなかった。あと一歩であの世行きだったけどな」


「食らったって誰に」


「マーチェス」


「……あー…………、なるほど」


祠へ逃げ込んだ俺を殺そうと、マーチェスは右手を伸ばした。

その直後襲った頭痛と眩暈と嘔吐感。前後不覚に陥ったあの症状は、脳への酸素供給が絶たれたからだったのだ。それに気付いたのはかなり後だったが、考えてみれば単純なことである。


空気の配合を変える。

たったそれだけで、見えない毒が生成される。

液体の毒とは成分そのものが違うが、イメージの根幹はきっと同じだ。


「殺したい」

 あるいは

「死にたい」


それが闇魔法発現のスタート地点であり、適性者が少ないことの最大の要因なのだろう。

扱えるが気付いていないという人間も多いと、俺は思っている。

そこでふと、ヨハンは気づいたように言った。


「――ってことは、兄様も闇魔法が扱えるってことじゃない」


「ん」


俺は内心でぎくりとする。

道中、今扱えるのは闇以外の5属性であると伝えていた。それはそれで「もう無茶苦茶だね」という呆れるようなリアクションを獲得していたのだが……。


「やろうと思えば、正直、多分出来る。そもそも火魔法が扱える時点で闇魔法も扱えていると言えなくもないしな。……ただ本格的な実践をしていないんだ。それでは扱えるようになったとは言えないだろう?」


「ああ、そういう事か」


ヨハンは納得したように言った。

闇魔法が実用的かどうかを判断するには、生成されたものがどれほど有害で、毒性が強いのかを確認する実験が必要になる。それを後回しにしてしまっていたのだ。

ナイフはある。だが切れ味を確かめるのを躊躇っている。

そんな感じだ。


「ただ、ここから先は――……」


そう言おうとした瞬間、横の扉が開いた。

中から3人の女性が並んで出てくる。

先頭に立っていたのは、知らない人物だった。


「オトコハキガエガハヤクテイイネ」


一発でシィアだと分かる。仮面を外して現れたのは、黒の髪に通った鼻筋、切長の目、口の両端から覗く八重歯が特徴的な背の低い女性だった。


これからいよいよグラスターク邸へ侵入しようという段になり、俺たちはそれぞれ格好を変える必要があった。俺はグラスターク邸の使用人風の格好、フィオレットは元の黒のドレス、ノノとシィアはややくたびれたメイド服を召していた。


王女様はおそらく生まれて初めて着たであろうメイド服の具合を確認している。


「ローレン様。どうでしょうか、おかしくありませんか?」


「おっ、おお、おかしくありません。とてもお似合いですよよ」


自然に褒めようと思ったのに、口がバタついてちょうど気持ち悪い感じになる。それでもノノは嬉しそうにスカートを左右に揺らした。その姿は普段とは違った麗しさがあり、俺は心配になって言う。


「しかし、さすがにバレないか。一国の王女が使用人に混ざっていたら」


シィアは軽い調子で「ダイジョウブ」と言って、布を口元に巻いてハタキを持ってみせた。ノノも急いでそれを真似する。

長い髪が後ろで結われていることもあり、印象は大きく違う。そもそも写真もない、映像もないこの世界だ。一国の王女といえど、実際の顔を知っている者はそれこそトゥオーノ侯と側近くらいなのだろう。


「グラスターク邸は広大で使用人の数も膨大です。特に今は、色々な人が出入りしていますから余程身元が割れることはないでしょう。それでも万が一ということがありますから注意だけは怠らないようにしてください」


「こちらはローレン様がいるので大丈夫です。ね?」


「ええ、全力を尽くします。俺たち2人はシィアと行動するとして、フィオレットはどうするんだ?」


いくらなんでも、屋敷の持ち主が使用人に扮するのは無理がある。

フィオレットはやや緊張した面持ちで答えた。


「私は一度自分の部屋に戻り、影武者さんと交代します。軟禁とは言っても多少身動きは取れますから、お兄様たちの援助が出来るよう尽力するつもりです」


自然と順番が回り、唯一仮面姿のままのヨハンが言う。


「僕は屋敷の人たちに顔を知られてるし、かといって本人として訪ねるわけにもいかないから、地下で情報収集をしようと思う。あとは騎士団宿舎の方とか。良きところで合流するよ」


「マーチェスニツイテクトイイ。モウスグモドッテクルカラ」


「分かった」


シィアはそこで小さな紙を取り出して、4人に配った。

それはグラスターク邸を簡略的に描いた見取り図らしかった。パッと見るだけで迷子になりそうな広さだったが、一番下の部屋に赤い丸がしてある。

階段を下った先、同じサイズの部屋が等間隔に並ぶ場所だ。


「そこに、マルドゥークが?」


「ソウ。モチロン、ミハリガイッパイ」


シィアが八重歯を見せて笑う。

俺は地図を見ながら、衛兵が行き交う、薄暗い地下の牢獄を思い描いた。

騒ぎにならないために極力激しい戦闘を避け、迅速にマルドゥークを救出する必要がある。


――であれば、闇魔法はうってつけだ。

実験をしていないことも、もはや関係ない。ここは敵地の真っ只中で、武器の切れ味をいちいち確かめている余裕はないのだ。


脳裏で爆音が響いた。

雪の表層が崩れ、その下、さらに下の雪を巻き込んで巨大なうねりになっていく光景がリプレイされる。俺は既に多くの人間を殺した。

より大きな爆発を生むためのイメージをした。マギアの人間を守るために、ハイドラの人間を殺すことを選択した。そういう意味では、闇魔法を扱うに充分なステージに立ったのかもしれない。


「ここからは手分けをして行動する。ハイドラ軍も間も無くグラスタークに到達するだろう。そこから先の展開は未知だ。フィオレットの言う通り、何が起こってもおかしくない。ただ同時に、国の命運を分ける分水嶺でもある。だから――」


薄暗い地下道で、バラバラな格好をした4人が向かい合っている。


次に必ず会える保証もない状況だ。

何か気の利いた言葉で送り出したい。


そう思うものの、色々な言葉が渦巻いて、喉元まで出そうでなかなか出てこない。


結局出てきたのは、


「――が、がんばろう」


という緊張感もへったくれもないものだった。

ヨハンが「なにそれ」と笑い、ノノとフィオレットもくすりと微笑む。


不幸中の幸い的に場が和んだあと、俺たちはそれぞれの道へと別れた。

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