第2話 仮面たちの密談


グラスターク領はマギアの最南端、レイジア山脈間近にある。


広大な土地のほどんどを岩石地帯が占めているので人が住む場所は限られているが、その分中央部には人が密集し、貿易の要所として栄えている。

また、巨大な歓楽街があることでも有名だ。


くたびれた商人が、酒と肉で疲れを癒やして、眠る。

まさしく砂漠の中の煌びやかなオアシスと呼ぶべきだろう。


そんな大都市がナラザリオの隣に位置しているのに、俺は今まで訪れたことがなかった。

正確には「連れて行ってもらったことがない」かもしれない。


初めてくるグラスタークの空気は、ハイドラとどこか似ていて、きな臭いような感じがした。





「黒狼軍はレイジア山脈を超えて、まずグラスタークの兵と交戦することになります。

しかし、これは建前です。裏で結託している両者は被害を最小限にとどめ、休息をとり、物資を蓄えて王都を目指す予定になっています。……ただ逆に言えば、素通りするわけではないということです」


「寝返ったということをギリギリまで悟らせないため、でもあるわけだね。

ここには王都騎士団も派遣されているはずだけど、まるごと寝返ったってことなの?」


「仔細は分かりませんが、身の安全と金をチラつかせているのではないかと」


フィオレットがそう説明すると、ヨハン様ふうむと唸った。

隣に座るノノはジッとマギアの地図を睨んでいる。ハイドラ軍を撃退できるかどうかの要がすでに敵側に回っているのだから、表情が険しくなるのも当然だろう。


一方、俺はどうにも周りが気になり、集中できないでいた。

着替えをすませ食事を摂り、疲れを癒やしたにも関わらず、あまり話が入ってこない。視界の端で動く人影に意識が裂かれてしまう。


「――な、なあ、フィオレット。もう少し人目がないところに行くことはできないのか。こんな開けた誰がいるかも分からない場所で、こんな重要な話をしてはまずいだろう」


我慢しきれずにそう言うと、フィオレットは小さく微笑んだ。

いや、微笑んだような気がする、か。


「人を隠すなら人の中。ここではそもそもお互いの素性を探ることが御法度ですから、領主の娘がいようが、王女がいようが誰も構いません。こういう時に怖いのはむしろ密室の方です」


「理屈はわかる。理屈は分かるんだが、しかしそれにしても――」


そこに、会話を遮るような大きな歓声が響いてくる。

会場中央に設けられた大きなテーブルに大勢が集まって、激しく熱狂しているのだ。何が行われているのかは分からないが、おそらく賭け事で、おそらく法に触れるようなことだろう。前世の知識から参照すれば『裏カジノ』と呼ぶべきかもしれないがが、パッと見た印象では『巨大な穴蔵』もしくは『アングラ』と言う方が印象に合っている。


円形の会場は真ん中だけが明るくて、端に行けば行くほど薄暗くなっている。ところどころに設置された扉からはぼおっと人が現れ、ぼおっと消えていく様子はかなり不気味だ。


しかも、その全員がのだから尚更である。


この場にいると言うことは、無論、俺たちも仮面をかぶっているわけだが。


「まあ、兄様としては殺されかけた連中のねぐらにいる訳だから落ち着かないよね。右も左も正面も仮面だらけでさ」


対面のヨハンが、自分の仮面の輪郭をなぞるように言う。

その仕草にさえも背筋がゾワっとして、脳裏に祠がある丘の風景が浮かんだ。


「――ああ。言われて気付いたが、俺は実は仮面恐怖症になっていたのかなあ」


確かにそのくらい発症していてもおかしくないような経験はしている――、と思い、少し離れた場所に座る2人を見た。

シィアはもちろん、マーチェスもここでは仮面をかぶっている。ナラザリオで遭遇した時には異様さが際立っていたその仮面も、この場所に限っては、注意を引かないありきたりなものになっていた。人を隠すなら人の中――、仮面を被ればなお安心、か。


「お兄様。そこについては私も詳しく聞いておきたいんですけれど」


ふと、フィオレットが俺に問いかけてくる。


「ん?」


「結局、どういった経緯で屋敷を去られたんですか? 彗星の如く現れた天才魔術師ローレン・ハートレイが、実はロニーお兄様であると聞いた時は、ベッドから転げ落ちるかと思いました」


「驚かせただろうなぁ。しかし何から説明していいものか……。そもそもフィオレットはどこまで知っているんだ? グラスタークにマーチェスを派遣したんだから、大体の事情は知ってるんじゃないのか?」


フィオレットは背筋を伸ばし、首を左右に振る。


「いいえ、実はよくわかっていないんです。私が聞いたのは、父がお兄様を殺そうと計画し失敗したこと、ローレン・ハートレイの正体がお兄様で、お2人が運悪くグラスタークにいらっしゃるということくらいです」


「……聞いた? どういうこと?」


俺の代わりに、ヨハンが首を傾げた。

たしかに伝聞形式というのは不思議だ。ここまでのフィオレットは、両国の画策や俺たちの内情まで詳しく知っているように見えていた。その上でマーチェスファミリーを雇ったのだと。しかし、そうではないらしい。


フィオレットは、一瞬だけ上の方に視線を向けてから答えた。


「マルドゥークがそう言ったのです。屋敷から私を逃したのも彼ですわ」


「「「マルドゥーク?」」」


3人が声を揃えて言った。

俺たちにはそれぞれにマルドゥークを知っている理由があったからだ。


「ど、どうして今、マルドゥークの名前が出てくるの? 彼はあくまでフィオレットお付きの騎士だろ? 尚更、事情を知っているのはおかしいじゃ――」


ヨハンはそこまで言って、何かを思い出したように口を閉じた。

4年前、ヨハンとマルドゥークはナラザリオ邸の裏庭で決闘を行ったことがある。俺の部屋に穴が空いたり、ヨハンが気を失ったりといろいろ大変だったのだが、その中でマルドゥークは自身の過去を明かしたのだ。

うっかり口からこぼれてしまった、という感じだったが、その内容が鮮烈だっただけに記憶に残っている。それに、王都生活の中でもその名前を耳にする機会が何度かあった。


「ヨハンの思い当たった通りだと思う。マルドゥークというのは、10年ほど前の第二騎士団長と同じ名前だ――。そうですよね、ノノ様」


俺が横を向くと、ノノが口元に手を当てて言う。


「やはり、そのマルドゥークなんですね? 急に名前が出てきて驚きました。そうです。子供の頃、シャローズと一緒に遊んでもらった覚えがあります。銀髪で、顎髭のある――。ある時期から見なくなってしまいましたが……」


フィオレットが静かに頷いた。


「その男です。団長だった彼はとある事件で王都を追放され、傭兵に落ちぶれたあと、グラスタークへ流れてきたのです。最初に出会ったのは、私が8歳くらいの時でしょうか」


「とある事件って何なの? 確か、部下を殺したって言ってた気がするけど」


「そこまでご存知でしたか」


ヨハンの問いに、フィオレットは思案顔を浮かべているようだった。

簡単な経緯を知っている俺には、その気持ちがよく察せられる。


あの事件には騎士団の腐った体制や、王国の闇が深く関わっている。騎士団見習いの立場で聞くような話ではないし、何より話すと長くなるだろう。


「それは、お前が勝ったら教えてもらうっていう約束だったんじゃないか?」


と俺が誤魔化すように言うと、ヨハンは一瞬キョトンとした後あわてて手を振った。


「あっ、いや、それはまあ確かにそう言ったかもしれないけど。あれは子供の頃のやつで――。ん? ちょっと待って! 何で兄様がその約束のこと知ってるの?!」


……あ、しまった。

あの夜、俺が盗み見していたことは内緒にしていたのだった。


「はあ?! 嘘。あれ見てたの?! ちょっと待って、それ聞き捨てならないけど!?」


「い、いいじゃないか、そんなことは。今はそんな話してる場合じゃないだろ」


勢い立ち上がりかけるヨハン様を、慌てて宥める。

フィオレットの方は脱線しかけた話を元に戻した。


「つまり、今回の采配のほとんどはマルドゥークがしたということなのです。マーチェスさんとのつながりを得たのも、私をこの場所まで逃すよう支持したのも、ハイドラへの救出計画も、全て。私が決めたのは、彼らにいくらお支払いするかということくらいでした」


なんとも妙な話だが、元王国騎士団長という役職があるだけで不思議ではないような気もしてくる。ヨハンが問う。


「そのマルドゥークはどこにいるの。このことを王都に連絡は?」


フィオレットは小さく首を振った。


「表向きにはグラスターク兵の陣頭指揮を取っていることになっていますが、実際は屋敷の地下に幽閉されています。理由は、ハイドラと結託することを拒否したからです」


「えっ。トゥオーノ侯爵に表立って逆らった、ってこと?」


「そう聞いています。父は激昂し、ひどい乱暴を加えたそうです。かくいう私も何週間も会っていません。かろうじて生かしてあるそうですが……」


声が、かすかに震えたのが分かった。


「本来ならば、屋敷を抜け出した時点でグラスタークの寝返りと戦争が起こる可能性をいち早く王都に伝えるべきでした。しかし、父とは違い王都関係者との繋がりはないので、兵を動かすには至らないでしょう。それに、万が一【フィオレット・グラスターク】の名前が漏れれば、入れ替わっている影武者とマルドゥークの命が危ぶまれました」


「……フィオレットを逃し、王国の危機を伝え、本人は捕まっているわけか」


鎖で繋がれたマルドゥークの映像が浮かんだ。

フィオレットは膝に手を置き、深々と頭を下げる。


「国家の一大事であることは重々承知です。王女様を一刻も早く王都へお連れするべきということも分かっております。しかし、あえて一個人としての我儘を言わせてください。私は彼を――、マルドゥークを置いて行くことができません。ヨハン様、ロニーお兄様、彼もともに王都へ連れて行っていただくことはできませんか」


その奇妙な光景を、俺はしばらく黙って眺めていた。

グラスタークの地下――、誰の素性も分からないような怪しげな空間で、侯爵令嬢がじっと頭を下げて動かない。


驚いていない、と言えば嘘になる。

彼女の言う通り、火急の事態の真っ只中。俺たちに足踏みをしている暇はない。

しかし、彼女側の経緯を聞けば、当然の要望であるとも思った。

何より、命の恩人を見捨てて自分たちだけが逃げるというのは如何なものか。


フィオレットは頭を上げて、小さく鼻を吸った後に付け足した。


「無論、個人的なお願いだけで申しているわけではありません。マルドゥークはグラスターク指折りの実力者であり、兵にとっては精神的な支柱です。父は今、彼の名前を使って兵たちを唆し、裏切りを正当化しています。だからこそ、ひっくり返れば敵の計画は大きく崩れるでしょう。ひいては王都への侵攻を食い止める楔ともなるはずです」


ヨハンが「なるほど」と小さく呟いた。

王都から派遣された騎士団員たちがトゥオーノに従っているのは、マルドゥークの存在が大きいのだろう。前線の兵士たちからは全体像が見えず、わかりやすい大きな影に向かいたくなるのは人間の心理だ。


そして、それはこちらも同様。

既に戦争が始まっている状況では、大きな存在の決定によって絵図が動いていく。

川の中途に刺さった杭で水の流れが変わり、渦が起こるように。


「いかがされますか」


俺たちの視線は、自然とノノ王女へと向かった。

彼女もまた、自分の役割をよく理解していた。グラスタークどころではない、彼女こそマギアという国の象徴である。


ノノは「分かりました」と短く言って、胸元へ手を伸ばした。

ブチリ、という音とともに宝石の埋まったネックレスが引き抜かれる。

俺たちは何事かと眉を顰めた。


「今重要なことは二つあると考えます。王都へ、現在の詳細な状況を知らせること。そして、ハイドラの侵攻を少しでも遅らせることです。ハイドラ軍がグラスタークに到達すれば狼煙が上がり、異変は伝わるでしょう。しかし主戦力が失われ、完全に後手に回っていると伝わるのはまだまだ先です。悠長に兵を準備していたのでは、いくつの町が焼かれるか分かりません」


ノノはマーチェスへ向き、はっきりとした口調で尋ねた。


「書状を書くので、王都へ届けて下さい。私の筆跡とサイン、そしてネックレスがあれば本物であることは伝わるでしょう。お願いできますか?」


「ええ、もち――」


「――ちょ、ちょっと待って下さい」


マーチェスが応じかけたのを見て、俺は慌てて止める。


「ノノ様はまだここに留まられるのですか? 王女様にはなるべく早く安全な王都へ帰っていただかなければ……! 宝石を証明にされなくても、ご自身からお伝えになればよろしいでしょう」


「あら、ではローレン様も付いてきてくださりますか?」


「えっ、いや、俺は――」


「今最も安全なのはローレン様のお側でしょう? 王都に帰るなら一緒に、です。それに私を連れて行っては馬の脚は遅れてしまいます。この書状は最短で届けていただきたい。どうでしょう、マーチェスさん」


「ええ、可能でございますとも。ただし、そうなりますと」


「勿論、依頼料は言い値で払いましょう。届け終えた後ならばその宝石を差し上げても結構です」


「それはそれは。我がマーチェスファミリーは国内の各所、王都にも仲間がおりますから迅速なお届けが可能です。宛先はどちらへ?」


「お父様――、いえ、ヨルクお兄様へお願いします」


「承知致しました。そのご依頼、しかと承ります」


マーチェスは深々とお辞儀をすると、いつの間に用意していたのか足元から質のいい紙とペンを取り出した。何か耳打ちをして、シィアが席を立ちどこかへ消える。ファミリーのメンバーを呼びに行ったのだろうか。


俺はただ言葉を失ったまま、それを眺めているしかできなかった。

ノノはいつからか吹っ切れたように、危険な手段を避けなくなったように思う。

それはきっと、彼女にナイフが振り下ろされたあの瞬間からだ。


元々原稿が出来上がっていたように、ノノは文字を書いていく。

合同演習が罠だったこと。サバーカ王の死。ハイドラの宣戦布告。プテリュクスの枝の情報が漏れていたこと。兵の規模。ノノの現在地。そしてグラスタークの裏切り。

書かないといけないことは山盛りにあった。これが王都に届くかにどうかで、戦況は大きく変わるだろう。


通信機器がないこの世界だからこそ、情報には極めて価値がある。

俺はせめて「絶対に失敗するなよ」と言ったが、すぐ後に今更念を押すようなことではなかったと思う。マーチェスも大体同じ感想を抱いたのだろう。「王宮の地下からお前を連れてくることに比べたら、子供のお使いみたいな依頼だな」と言った。


「王都に書状が届き、内容が真実だと分かれば大勢力がこちらへ向けられるでしょう。マギアとしては出来るだけ王都から遠い場所で迎え撃ちたいところですが、下手をすると喉元まで迫られてしまいかねません。今我々が最前線にいることは、千載一遇のチャンスと言うこともできます」


フィオレットがはっと息を呑み、「それはつまり」と尋ねる。


仮面をかぶった王女は、書きかけの書状から顔を上げて言った。



「マルドゥークを救い出し、寝返った騎士団員を吸収します。それが最も効果的な一手だと思います」

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