第42話 崩れ落ちる影
マーチェスの言った通り、地下道の中はかなり窮屈だった。
高さは2メートル、幅は1メートルほど。明かりはなく、ただ真っ暗なトンネルが続いているだけ。時折やってくる別れ道を、慎重に確認しながら進む。
後ろから足音が追いかけてくる様子はない。
しばらく進んだところで、マーチェスが俺たち3人に布のようなものを手渡した。
「黒狼軍から掻っ払ってきた装備だ。走りながら着替えろ」
それからは、汗とカビが混じったような不快な匂いがした。
暗闇の中では前後ろもろくに分からないし、王女にこんな汚いものを着させるのかと文句も言いたいところだが、いかんせん緊急事態だ。ノノもその点重々承知しているようで、着ていたドレスを大胆に引きちぎると、黒狼軍の服を躊躇なく被った。どちらかというとヨハンの方が嫌悪感を示したくらいだった。
俺は先頭を走るマーチェスに問う。
「この先に、軍団員が待ち構えてるんだな?」
「要所要所に配備されてる。少人数ではあるが、手荒な方法は避けたいところだな」
「……殺し屋の台詞とは思えないな」
俺が皮肉を込めてそう言うと、マーチェスは馬鹿にするように笑った。
「殺しなんぞ、金を貰ってなきゃまっぴら御免だぜ。別に俺は快楽殺人者じゃない。知らないだろうが、人は殺すと死んじまうからな」
「それは、お前の部下にも言えるのか」
「ああ、忘れてた。俺の部下は快楽殺人者だった」
「…………」
どこまで冗談か分からない物言いに会話をする気も失せたところで、最後尾を走るヨハンが耐えかねたように尋ねてくる。
「いい加減説明してもらっていい? 案内してくれてるその人は誰? 何で助けてくれたの? そのわりに殺し屋とか快楽殺人とか、出てくる単語が物騒すぎるんだけど」
当然の疑問だった。
俺が無言で解答を催促すると、マーチェスは面倒そうに頭を掻いた。
「俺は金を積まれりゃ何でも請け負う委託屋だ。こいつと知り合いなのは、過去にロニー・F・ナラザリオの殺しを請け負ったことがあるからだ。まあ、失敗したんだがな」
「兄様を殺し――って、じゃあ、あの事件の犯人ってこと!? ちょっと待って、これ100%罠じゃん!!」
ヨハンが思わず声を大きくする。
マーチェスは不愉快そうに舌打ちをした。
「うっせえな、何年も前の話だ。もう終わった話なんだよ。今回の依頼は、お前ら兄弟を依頼主の元まで送り届けることだ」
「その為に金を積んだ誰かがいるってこと?」
「ああ、目玉が飛び出るほどの大金をな」
「誰」
俺も気になっていたことをヨハンが口にする。
しかしマーチェスは「それはまだ言えねえ」と答えを濁した。ヨハンの表情はますます曇るばかりだ。
「殺し屋に、誰かも分からない相手からの依頼……。そんな危ない橋をノノ王女に渡らせて大丈夫なの?」
そう言われると辛い――、と俺が振り返ると、すっかり黒狼軍姿のノノは布の隙間から目を覗かせた。
「いいんです。ローレン様がいなければ、私はあの時、ヴォルーク王子のナイフによって死んでいたのですから、あとはもう運命に身を任せます。それよりも私は、兄様という方が気になります。お二人はご兄弟なのですか? ダミアンの親戚というのは?」
これもまた当然の疑問だ。
俺は一度ヨハンと視線を交わしてから、頷いた。
「……ええ、俺は元々ナラザリオという伯爵家の長男でした。魔法が使えないために親に殺されかけて、ダミアン様に拾っていただいたんです」
「魔法が使えなかったって、まさか。ローレン様が?」
「本当です」
「ではつまり『ロニー・F・ナラザリオ』というのが……」
「俺の本名です。もうローレンの方で名が通ってしまいましたから、変わらずお呼びいただいて結構ですが」
「――――」
ノノは信じられない、という表情で俺を見つめた。
じっさい、このタイミングでのカミングアウトになるとは思わなかったが、もはやノノに嘘をつき続ける意味はない。マーチェス自身が4年前の依頼は終わっていると断言した以上、バレて問題があるのはむしろドーソンの方だろう。
「止まれ」
マーチェスがそう言い、全員が足を止める。
少し後に、角の向こうで松明が光る明かりが揺れていることに気が付いた。
向こうもこちらに気づいたのかどうか、カチャリと甲冑が鳴る。
「…………」
俺たちが頭の黒い布を深く被り直したことを確認すると、マーチェスは声色を変えて、道の先にいる相手に声をかけた。
「――よお、おつかれさん。仕事は終わりだ。すぐに王宮に向かえとさ」
地下通路いっぱいの体の大きな男2人は顔を見合わせ、小さく何かを囁き合ってから言った。
「まだ、交代には早いんじゃねえか」
男たちはマーチェス越しに、俺たちの身なりを眺めている。
その探るような視線に、じんわりとした汗が浮かぶ。本当に俺たちは黒狼軍団員に見えているのか、自信がなくなってくる。
「所属を言え」
「第三軍団北部警備第四分隊所属、スニク・アンダルネだ」
「分隊長の名前は」
「アラン・ポポヴィッチ」
「後ろの3人は」
「――おい、いい加減にしてくれ。悠長に雑談をしている暇はないんだ、分かるだろ? 出兵の準備を始めろというお達しだよ」
マーチェスが呆れたようにそう言うと、男たちはハッと表情を変えた。
「なにそうか。つまり、奇襲作戦は成功したのか」
「成功も大成功さ、ハイドラに来たマギア騎士団精鋭は完全に壊滅した。ヴォルーク王子は兵を整え、出来る限り速やかにマギアへの侵攻を開始されるおつもりだ。地下道なんかを警備している場合じゃないんだよ。分かったら、王宮に戻る道すがら他のところにもそう伝えてやれ。俺たちはこの先の連中に伝えるから」
軍団員2人は手を叩いて喜び、手早く荷物を回収し、横にある梯子を登っていった。やがて、鉄の扉が開いて閉じる音がする。
全員がふう、と息をはいた。
マーチェスは目元を歪めて「頭が弱くて助かったぜ」と笑った。
俺たちは、その調子で30分ほど走った。
暗い地下道をひたすら逃げるという行為は、思っていたよりずっと大変だった。次の角でまた敵に出くわすかもしれない、もしくは後ろから軍団が迫ってくるかもしれない。そんな恐怖心を殺して、ただ走る。真っ暗なので距離感も時間感覚も分からなくなり、酸素も薄いので息が切れる。
いや、これは単純に俺の体力不足のせいかもしれなかったが――、とにかく、ヨタヨタ走りでもいつかは出口に辿り着く。
マーチェスが指示したのは、まだまだ真っ直ぐ続く道から細く枝分かれした、うっかり見落としそうな横道だった。警備もなく、一番マギアに近い出口らしい。
梯子をのぼり、鉄の扉を押し開くと、星空が見えたのと同時に冷気が舞い込んできた。
そこは、王宮から北に進んだ岩石地帯の中だった。
巨大な岩と背の高い草に隠されて、まさに秘密通路の出口という感じだ。
聞こえるのは風が砂をさらう音だけ。岩々の隙間にハイドラ王宮が遠く暗闇の中にぼうっと建っているのが見えたが、松明で照らされるそれはあまりに平生通りで――、そのことに言いようのない恐怖を覚えた。
出口のすぐ先に2頭の馬が留めてあった。
マーチェスが前方に聳える高い高い山を指して言う。
「ここからは馬で移動する。奴らもいずれここを通るだろうが、なんとか躱して先にマギアに到着する必要がある」
「……え?」
ふと、そう首を傾げたのはノノだった。
「ハイドラもここを……? 私たちを追いかけてくる、という意味ですか?」
マーチェスは手綱を解きながら頷く。
「いいや、大隊がここを通る。元々の計画通りにな」
「まさか、黒狼軍は冬のレイジア山脈を越えてマギアへ侵攻するつもりですか? 何故。海路を使った方がいいはずなのに」
俺も遅れてノノが言っている意味に気が付いた。
マギア騎士団がハイドラを訪れるのに船を選択したように、今の季節、安全かつ早いのは圧倒的に海路のはずだ。わざわざ危険な道のりを選ぶ意味が分からない。
マーチェスは少し沈黙した後に、低い声で言った。
「……黒狼軍はグラスタークを目指すつもりらしい。その為に、陸路を選択するんだとよ」
それを聞き、俺たちはさらに首を捻る。
マギア王国最南部グラスターク。そこは王国随一の広大な所領を持つとともに、ヨハンの許嫁フィオレットのいる土地でもあった。
たしかにグラスタークは海岸線からは離れており、もし目指すのであれば陸路の方が早いかもしれないが、はじめに攻め落とすには大きすぎる。
万が一、攻め落とされれば形勢が一挙にハイドラへ傾くことは間違いないが……。
「悪いが俺が聞いてんのはここまでだ……、っと」
マーチェスは会話を切ると、手の先で鋭く水魔法を回転させた。
そして真横にあった岩を切り崩すと、無遠慮に穴の下へ蹴り落とす。脱出口とその奥の通路はあっという間に岩と砂で塞がってしまった。
俺は慌てて、マーチェスの腕を掴んだ。
「おい、何してる!?」
マーチェスは何を責められているのか分からないという風に言った。
「……は? 見ての通りだろうが」
「ここを塞いだらあとから来る騎士団員はどうなる! こんな場所で立ち往生したら!」
「んなもん知ったこっちゃねえよ。俺が気にしてるのはてめえらが帰りつくことだけ、もっと言えばそこの女だって助ける義理はねえ。ああ、それともお前が金を払ってくれるのか? 騎士団全員分てんなら相当高く付くなぁ?」
「ふざけるな……! 彼らは今、マギアに帰る為に死に物狂いで戦ってるんだぞ!」
「じゃあ、この通路から黒狼軍が追ってきた時にも同じことを言えんのか!? そんなに全員救いたいなら、あの場に残るべきだったんじゃねえのか!! それが出来なかったから、こうして無様に逃げてんじゃねえのかよ!!」
「…………ッ!」
マーチェスが乱暴に手を払いのけ、俺がよろけたその時、
遠くの方からズズン――、という地響きがした。
漆黒の向こうでハイドラ離宮の影が崩れ、もうもうと土煙が上がっていた。
場にいる全員が息を呑む。
これでもはやベルナールや、騎士団の無事を確認する術はない。
ただ無事を祈ることしかできない。無様に逃げている言葉が、胸に厳しく突き刺さった。
マーチェスは「ふん」と鼻を鳴らし、馬に飛び乗る。
ヨハンがもう一頭の馬に乗り、ノノがヨハンの後ろにつくことになった。
「兄様」
ヨハンがぎゅっと唇をかみしめるように呼びかける。
俺は土煙の影を見つめながら、自分自身に言い聞かせるように言った。
「……分かった」
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