第41話 脱出
足元の隙間から覗いた暗闇に、なぜか聞き覚えのある声。
何よりも『ロニー・F・ナラザリオ』の名前を知っているという事実。
誰だ――?
この場で俺の正体を知っているのは、ヨハン以外にいないはずなのに。
俺は対峙する相手から目を離さないようにしながらも、4年前の記憶をさかのぼっていた。緑に囲まれた白いナラザリオ邸、一人離れたところにある俺の部屋、見下ろされる街の風景。
少し歩いた先にある丘の上の祠、今はもうないはずのそれは――、
瞬間、痛みと共に蘇る映像がある。
「まさか、お前……」
そこまで言って一度、そんなはずがないと口を噤む。
しかし、もはや他に思い当たる相手もいない。俺が知る中で、もっともアンダーグラウンドに棲む人種。二度と関わり合いにはなりたくないと願っていた相手だ。
「はっ、覚えていただいていて光栄だぜ。俺もお前のことはよく覚えてる。何せ、従業員二人に大怪我負わされた挙句、殺しきれなかったんだからな」
隙間の奥の何者かは、そう言って静かに笑った。
予想が確証へと変わる。お届け物という言葉とも繋がった。
「デリバリー・マーチェス……!」
思わず床を踏む足元が、ギシリと鳴った。
デリバリー・マーチェス。
マーチェスファミリーという、殺し屋のボス。
まだナラザリオ家にいた頃、魔法が使えない不要な長男を排除しようとドーソン・F・ナラザリオ(あるいは、トゥオーノ・グラスターク)が雇った殺し屋だ。その結果、セイリュウの祠は水晶ともども崩れ去り、俺はローレン・ハートレイという新しい人生に踏み出すことになった。
あの時、何度死に瀕したか分からない。
そこで、
「何をコソコソ話をしてる――?!」
対面のロズヴィータが声を張ったので、俺は体を震わせた。不審な挙動を怪しむように、ギッとこちらを睨んでいる。しかし、視線は足元には向けられていない。
俺たちは睨み合う姿勢を、もう一度取り直した。意識だけは足元に注ぎ、その素振りを見せないように注意する。
俺たちだけに聞こえるように、囁き声が聞こえた。
「デリバリーはいつどこにでも出張可能だ。だが今回のお届け物は暗殺じゃねえ。むしろ逆さ」
「…………?」
「脱出経路だ。この下には地下通路が延びていて、それはハイドラの中でもごく限られた連中しか知らない極秘事項。ゆえに、警備も最低限だ」
「!!」
聞き耳を立てていたベルナールとノノも、思わず息を呑んだ。
もし、この情報が事実なら、袋小路の状況に降って湧いた活路ということになる。軍団長がこの状況下に投入されていたのも、いざとなれば秘密の脱出口があったからだと考えれば納得がいった。最後の問題は、情報提供者が信頼あたるかどうかという点だが……。
「賭けてみるしかありません、ローレン様。そうではありませんか?」
ノノが言う。
「――――」
天井から降る瓦礫の雨は、激しさを増していく。騎士団と黒狼軍の拮抗のバランスはいまだ覆しきれず、会場の外に分厚い包囲網が敷かれていることを想像すれば、活路は足元にしかないと思われた。
「俺が案内してやるっつってんだ、ロニー。ああ、あとお前の可愛い弟を呼び寄せろ。どちらも生きて逃がせってのが依頼内容でね」
依頼、という言葉になおも俺は引っかかる。
たしかにマーチェスファミリーは殺しの委託業者であったはずだが、今回も誰かに何かを依頼された、ということなのだろうか。
マギア王国で今回の謀略に気付いた誰かが? だとすれば誰だ? ダミアンやマドレーヌが懸命に情報を探してもつかめなかった組織に?
決断を下しかねる俺を、マーチェスが急かす。
「いいから、はやく呼ばねぇか。俺だって危ない橋を渡ってここまで来てんだ。王女様の言う通り、悩んでる場合じゃねえぞ」
「よかろう、私がやる」
「お?」
マーチェスにそう応えたのは、ベルナールだった。
ベルナールが体に力を入れるのが分かる。すると甲冑に包まれた筋肉がミチミチと音を立てるのが分かった。
「この下はどうなっている。多少、乱暴にやっても隠し通路とやらは潰れないのか」
「ちょうどこの下が空洞になっていて、すぐ横にさらに地下へ通じる石の階段が何本か掘ってある。ハイドラのあちこちに抜け出せるようになってるが、どの通路も二人すれ違えるかどうかって狭さだ」
「分かった」
ベルナールは頷くと、大きく一歩前に出た。
当然、向こう側もそれに気づき、バルドーアが手に持った槍を構え直す。アニカが浮かべた火球はいつでも発射可能な状態だ。
両者の間には、俺の張った光魔法の壁がある。
ベルナールは視線で「合図をしたら、魔法を解け」と指示した。俺は戸惑いながら、彼の挙動を後ろから見守っている。
一体何をするつもりなのだろうか。
次の瞬間、ベルナールが吠えた。
「マギア王国騎士団、ただちに隊を方向転換!!! 全員、この壇上を一直線に目指せ!!! 軍団長2人と火魔法の使い手から、王女を守る壁となれ!!!」
鼓膜が破れるかと思うほどの号令が会場を揺らし、場にいる全員が一瞬、身を固めた。そんな中、バルドーアがいの一番に意味を理解し、バーミリオンに飛び掛からんとした。だが、遅い。
「ローレン、今だ!!」
ベルナールの合図で、俺は光魔法を解除する。
直後、足元から逆巻くような暴風が襲った。風の勢いはあまりにも苛烈で、壁や床板が容易く剝がされるほどだ。ハリケーンさながらのそれは、バルドーアやロズヴィータ、そしてベルナールごと頭から飲み込んだ。
風魔法と断ずるにもあまりに凄まじすぎる勢いに、俺やノノまでも飛ばされそうになる。自分の風魔法が可愛く見えるレベルだと俺が驚いていると、暴風の中からベルナールの声が聞こえた。
「これはお前と違って細かな調整が利かんし、長くも持たん!! 行くなら早く行ってくれ!!」
続けて、軍団長2人のもがくような声も聞こえる。
「ぐ、あっ! どうして地下道に気付い、ぐお――、まずいよロズ!!」
「わか、分かってる、が……! ああ、鬱陶しいクソがよお……! これじゃあヴォルーク様に顔向けができねえぞ……!」
バキバキ、バキッ――!
派手な音がして、ついに床板が引っぺがされた。風の渦に巻き込まれた木の破片は、至るところにぶつかって弾けている。ベルナールの言った通り、調整が利いていないのだとしたら味方側も危ない。
俺はノノを抱きかかえるようにしながら、床板の下を覗き込んだ。
そこには、たしかに石で囲われた地下道へと続く空間があり、一人の男が手招きをしている。
その男は黒狼軍の服装をしており、鼻から下を布で覆い隠していた。ただ唯一垣間見える目元の部分には見覚えがある。猫のように吊り上がったあの瞳に、俺は確かに睨み下ろされたことがあった。
「――――」
とっくに治ったはずの古傷がじんと傷んだ気がした。
奴がマーチェスに間違いないとすれば、これがまた罠である可能性はある。
かといって、俺を殺したいのならば抜け道の存在などを明かす必要などないという考え方もできる。目の前の相手に釘付けになっていた俺を、足元から攻撃する隙だってあったはずだ。何より、バルドーアとロズヴィータの焦りようは、これが計画外であることを示しているように見えた。
「行きましょう、ローレン様」
ノノがもう一度、俺の背中を押すように言う。
「――分かりました」
そう頷いてから、舞台に向かって突進してくるマギア騎士団に目を向ける。
ヨハンを見つけるのは簡単だった。誰よりも前で先陣を走っているのがそうだ。俺は叫んだ。
「ヨハン!! こっちだ!!」
「!」
ヨハンは一瞬でこちらの意図を察して、空中を蹴って高く跳ねる。それを見て、俺とノノも飛び込むように地下空間に降りた。
中では、マーチェスが急げといくつかあるうちの階段の一つを指さしている。
しかし、黒狼軍もそうやすやすと脱出を許す訳はなかった。
着地をした瞬間、昼間になったのかと思うほどの明かりが頭上から照らし、耐え難いほどの熱波に襲われる。
ベルナールの風魔法から逃れたらしい、アニカだった。
「おいおい、やべえのがいんじゃねえか……! ったく」
マーチェスはそう顔を歪めたかと思うと、気だるげに右手を前に突き出した。
飛び降りた衝撃でまだ体勢を戻しきれない。何をするつもりかと、やや離れたところから眺めていると――、
「!?」
今度、驚きの表情を見せたのはアニカだった。
煌々と照っていた巨大な火球が、まるで指でつまんだかのように消えうせたからである。
ガキッ――!
その横腹を、今度は氷の弾丸が見舞い、彼女の体は視界の外へと飛ばされる。
ヨハンが俺のすぐ横に降りてきた。
「今ので合ってましたか、ローレン殿?!」
咄嗟の判断力、実行力、手際。
何もかもが一級品で、俺は感嘆を通り越して、呆れ笑いを漏らしてしまう。
「完璧だよ、ヨハン。まったく頼りになる弟だ」
ヨハンは俺と王女に手を貸しながら、驚いたような表情で尋ねる。
「あれ、もう言ってよくなったの?」
「もう、それどころじゃないんでな……!」
「なるほどね」
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