第40話 お届け物
足元を浸していた水がざぶりと音を立てた。
そう思った瞬間、大広間の後方で津波のように巨大な波が立つ。それは二階席まで容易く届き、飲み込み、そして凍り付いた。
氷の階段の上を滑るように駆け上がり、黒狼軍団員の波を切り裂くたった一人の影。
ヨハンだ。俺ははっきり見ずとも、そう確信していた。
こんな芸当ができる奴はそういない。
黒狼軍団員にどよめきが湧く。
軍団員たちは慌てて魔法を発射するが、素早いその影を捉えることは出来ず、むしろ同志打ちの形になった。ヨハンは必要以上に深追いはせず、すばやく階下へ飛び下りた。
それを見たベルナールが、大きく息を吸い込んだ。
「マギア王国騎士団!! まさか諦めかけていた者はおらんだろうな!! 足元の憂いは消え、反撃の道が生まれた!! 兵を片側へ集め、隊形を立て直し、上下の不利をひっくり返せ!! まだマギアへの帰途は塞がれてはおらんぞ!!」
ベルナールの喝は、想像以上の効果を生んだ。
それまで頭上からの攻撃を防ぐのに精いっぱいでバラバラに散っていた騎士たちは、命令を理解した直後に3人態勢をとった。
ヨハンの作った氷の橋には、器用なことに階段が用意されている。身を寄せ合いながら騎士団が足場を目指せば、自然とハイドラ側の攻撃もそこへ集中するが、光魔法を盾に一歩一歩進めば被害は最小限におさまった。
ハイドラ側が潰そうとムキになれば、その横面を別小隊が叩く。
さっきまで整然としていた黒狼軍はみる間に形を崩し始め、さらに動揺が伝播する。そう言っている間に、もう一つ氷の階段がかけられた。
しかし、そんな状況を見ながら、
「無駄な足掻きさ、ローレン・ハートレイ」
軍団長の一人、ロズヴィータ・インゲボルグがそう笑った。
「運良く出れても、この離宮自体が取り囲まれてる。宴会に参加せず、酒も飲まず、今か今かと合図を待っていた軍団員によってね。港でもちょうど、アンタらのご立派な船がさぞ見事に燃え盛っているだろう。だから、アタシの誘いに応じていたらよかったのさ。後悔してももう遅いけどね」
数時間前、ロズヴィータが俺の部屋を訪ねてきたことを思い出す。
妙に強引だったのは、宴会の結末を知っていたからだ。そう思うと腹が立つ。だからと言って後悔をしているわけではないが。
「俺たちが今、何重にも重ねられた袋の鼠であることは承知してる。しかし、同じ袋に軍団長2人も閉じ込めるのは大胆すぎるんじゃないか。あのままだったら会場は焼け落ちていたのに。まるで、あなた達まで捨て駒扱いだ」
「ハッ、そりゃあ――……」
ロズヴィータは何かを言いかけて、後ろにいたバルドーアに首をぐいと引っ張られた。大槍を脇に抱えた巨漢が前に入れ替わる。
「君たちには理解できないかもしれないけど、僕たちにとって死ぬことは名誉なことなんだよ。ヴォルーク様は我々に、身を挺して君達をここで殺すようにと命じられた。僕たちはそれに結果でもって応えなければならない。その命令に応えられないならば、同じように死んでも構わない」
バルドーアはそう言って微笑みを作った。
その目の奥が笑っていないのを見て、ぞっとする。虚勢やこちらを脅すためのポーズではなく、本心からそう言っていることが分かる。
「人の命をなんだと思ってる……」
「人間の命だけが価値あるものなんて、それこそ驕りだよ。他の動物たちと同じように、この世には狩る者と狩られる者しかいないんだ」
価値観が違い過ぎて、クラクラする。
しかし、甘っちょろいことを言っている場合ではないのは事実。舌戦にばかり熱がこもっても、この場から逃げられるわけではない。
そう分かってはいるが、両国の主戦力が相対したこの状況は今、完全に膠着状態となっていた。
例えるなら、互いに拳銃を向け合い、引き金に指を添えているような状況だ。どちらかが引き金を引けば、もう一方も引くだろう。
ヨハンに加勢して、一息に脱出すべきか。
いや、銃弾がマギア王国騎士団員たちに向けられたらおしまいだ。マギア側が状況を盛り返しているのは、アニカたちをここに引き付けているからに他ならない。
ヴォルークが消えた扉を目指すか。いずれにしろ、逃げるためには動かなければいけない。しかし動けば背後を取られる。逃げた先にもハイドラ軍団員が大挙している。
まさしく袋小路。
何よりも恐ろしいのは、彼らの捨て身さだ。
俺たちの退路を断つために、自分たちの退路を捨てることも厭わない。そんな相手を振り払って逃げることが出来るだろうか。
ズズ……ゥン!!
俺の思考までが袋小路に陥りかけていた時、会場全体が大きく揺れた。
向かいの3人も少し驚いた顔で音がした方向を見上げる。
直後、会場のど真ん中に巨大な石の塊が落ちて砕けた。飛び散った破片が足元を掠め、ベルナールが信じられないという風に言った。
「馬鹿な、本当に味方ごと生き埋めにするつもりか……!?」
少し後に、俺も同じ結論に思い至り戦慄する。
見上げた先――、ドーム型の天井には穴が開いて、そこから微かに人影が垣間見えた。
ロズヴィータがケタケタと笑う。
「火を消しちまったから少々段取りが変わったらしいね。まあ、焼け落ちるのも崩れ落ちるのも、大した違いはないさ」
「――――」
言葉が出ない。本当に、俺たちと心中してもいいと思っている。
マギア国第一騎士団長、先進魔術研究室室長、マギア王国第二王女と、アニカ、軍団長2人を引き換えにしても構わないと。
彼らの計算上は割りに合っているのだろうか。周到に用意された殺戮劇で、最後のオチがそんなにお粗末でいいのか……?
ドーム状の天井はまたひとつ崩れ、落ちてくる。
まるで俺たちの余命をカウントダウンするかのように。
「……ローレン」
ベルナールが、呟くように俺の名を呼ぶ。
そして低い声で言った。
「私が
「!? な、なにを……ッ!?」
「言い合っている暇はない。立場上は私が責任者だ。命令には従ってもらう」
「従いかねます! ベルナールさんを犠牲にして逃げるなど、出来るはずがないでしょう!」
俺がそう言うと、ベルナールは横目でギッと睨んだ。
「状況は一刻一秒を争うのだ。お前だけではない、ノノ王女や、騎士団員たちが一番多く生き残る道は、あそこから逃れて道を切り開くことだ。それが今とれる最善の手だ」
「待ってください、他にも道はあります……! ベルナールさんがいなければ、マギアへは辿り着けません!」
ベルナールが俺を睨む視線は厳しいが、どこか優しく諭すようでもあった。
まるで駄々をこねる子供を叱る親のような視線。それが、すでに彼が決意を固めてしまったことを物語るようでやりきれない。
「ローレンよ。私は別に逃げ延びることを諦めたわけではない。お前たちが出たことを確認したら、こちらも適当に引き上げるさ」
「――――」
嘘だ。俺も納得させるための嘘だ。
しかし内心ではどこか、それが最善の道だと思っている自分がいた。
理性と感情に挟まれて首を縦にも横にも振りきれない。
後ろに控えていたノノもまた、俺を諭すように言った。
「ベルナール団長の命令に従うべきです、ローレン様。こうした死線をくぐりぬけて、くぐりぬけて、第一騎士団長に任じられておられるのですから」
「――――」
ズズゥン、と会場が揺れる。
またひとつふたつと瓦礫が落ちてきて、天井の穴はさらに広がっていた。
下唇を歯で噛んで、口の中に血の味がし始めた。
心臓が体の中から胸を叩き、
分かりました、という言葉が喉から出かかる。命と命が天秤にかかり、しかも急がなければ両方が失われる。苦しい。この場には、守りたいものが多すぎる。
その時――、
「下だ。ロニー・F・ナラザリオ」
どこからか、急に声がした。
ベルナールでも、ノノでも、対面する3人でもない。
しかし、俺はその声に聞き覚えがあった。どこで聞いたのだろうか、かなり昔の記憶が刺激されている気がする。頭の奥がズキリと痛む。
「下だって」
もう一度声がする。言葉の通り、俺は足元を見た。
するとちょうど真下にあった床板が、カチリと音を立てて回転し、下から空洞が覗いた。湿った洞窟のような匂いの風が噴き上げてくる。
その奥に、誰か人が潜んでいる気配があった。
「久しぶりだな、ロニー。お元気そうで何よりだ。いや、お元気そうではねえな。まあいいや、とにかく……、お届け物だぜ?」
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