第39話 活路はどこだ


再現性とは、科学における極めて重要なファクターだ。


同じ条件下で、同じ手法を用いる場合、同じ結果が得られるかどうか――――。それが科学の肝である。電灯は誰がスイッチを押しても点かなければならない。

再現性があるからこそ、科学は科学たり得ている。

科学文化の根底を支える重要な概念であり、精霊によって成り立っていたこの世界の魔法に足りなかったものであり、だからこそ、見出したいと思っていたものである。


四年前、ナラザリオにあるほとんど忘れ去られたような湖で、俺はプテリュクスの枝を拾った。それは魔法を扱えなかった俺の、魔力排出口の役目を果たした。

しかしこの時点では、科学的再現性は確約されていなかった。それこそ、精霊の加護によるものと説明された方がよっぽど納得できそうな『奇跡』と映った。


これが覆ったのが精霊教会騒動。

魔法を扱えないがゆえに聖堂上階に軟禁されていたダネル・モロゴロスは、プテリュクスの枝を使って、衆目の前で魔法を披露したのである。


この因果関係を知る者は少ない。

影響を受ける者が極めて限られるにもかかわらず、過度な話題性を孕み、社会問題さえ起こしかねないため当面は機密とすることが吉――、と判断されたからだ。

なので、俺とダネルの他に知っているとすれば、ダミアン、マドレーヌ、先進魔術研究室の2人、マギア王国第一王子ヨルク、および事情聴取にあたった王宮関係者複数名。あとは、俺とダミアンの魔術試合を目撃したナラザリオ邸の人々……。


どこから情報が漏れたのかについて特定することは難しいだろうが、ともかく問題は、またひとつプテリュクスの枝の科学的再現が為されたということだった。

俺の発見した学説は正しかったという証拠が手に入った。

だがしかし、これが喜ばしいことだとはとても思えなかった。



どちらかと言えば、自分が造った拳銃を、こめかみに押しつけられたような。

そんな気分だった。





前方から、上から、横から、途方もない熱気が押し寄せて、俺は訳もわからないままに後ろへ飛んだ。広く展開した光魔法がなければどうなっていたかなど、想像もしたくない。しかしそれもまた、激しい炎とぶつかり合ったことでほとんど魔素に還元されてしまった。


壇上の床に黒く大きな焦げが広がり、煙がもうもうと立ち上り、晩餐の食器も散乱して、何が何だか分からない。

煙の向こう側からヴォルークの声が聞こえた。


「後の処理は任せたぞ、紫髪。何を為すべきかは分かっておろうな」


「ローレン・ハートレイを決してこの広間から逃さない事でございます」


「そうだ」


影が舞台袖の方へ歩み去る気配がある。

俺は湧き上がる怒りのままに叫んだ。


「待てッ!! ヴォルークッ!!」


俺は、魔力の限りに生み出した特大の水球を無遠慮に叩きつける。

しかしそれと同じ大きさの火球がまたも立ちふさがる。水魔法は炎の熱によって魔素へと変わり、火魔法は大量の水によってかき消される。白い煙が辺りを支配した。

ヴォルークの足音は平然としたリズムで遠ざかり、やがて舞台の両側の扉から鍵を閉める重い音がした。


「――――くそ……ッ!」


鍵など知ったことかと踏み出した俺をひるませたのは、間髪入れずに発射された無数の炎弾だ。俺は急ぎ水魔法の弾丸を用意して相殺させた。いや、相殺させざるをえなかった。

それでもなお炎の勢いは抑えきれない。舞台袖のカーテンは火の粉を受けて燃え上がり、水飛沫さえも追いつかないほど火の手を広げていく。

先ほどまでここで華やかな宴が催されていたことが夢かのようだ。


許し難いことに、この状況を生み出した張本人が、そそくさと舞台をあとにしようとしている。しかし、激しい熱気と絶え間無い火球が行く手を阻み、追うことができない。


今まで俺は、16年間分の魔力という圧倒的アドバンテージを以て、ダミアンら優秀な魔術師と渡り合ってきた。技術不足や経験不足を、火力で誤魔化してきたのだ。

それはたとえば、みんなが自転車をこいでいる横で、バイクに乗って「速いだろう」とふんぞり返っていたに等しい。


それが、突如目の前にバイクに乗った敵が現れた。魔力の蓄積年数を考えればあちらの方が性能は上かもしれない。うぬぼれが過ぎると笑ったヴォルークの声が脳内で反響する。臓腑がぐつぐつと煮えたぎるが、それが怒りゆえか、本当に焼かれているからかは分からない。とにかく――――……


「ローレン様!!」


不意に、背後から名前を呼ばれて、俺はハッとした。

ノノが俺の背中に手を添えて、叱るような口調で言う。


「より多くの命をお救い下さい!!」


「!」


その言葉を聞いた瞬間、頬を叩かれたような気がした。

狭まっていた視野が開かれ、マギア王国騎士団員の姿が映った。

彼らは今まさに迫りくる炎の渦に懸命に抗っている。広間入口の巨大な大扉は固く閉ざされ、扉を開けようと試みる者の上には防ぎきれないほどの魔法の弾が降ってくる。

その様子は見るに堪えない凄惨なものだったが、それでも彼らはまだ生きている。生きて、戦っている。

俺は、自分がこの場にいる理由を思い出した。


背中に身を寄せ、ノノが囁く。


「ここはまさしく敵の胃袋の中、逃れるのは並大抵のことではありません。すべてを賭しましょう。シャローズほどではありませんが、私にも光魔法が扱えます」


「――――」


4年前――、はるか遠い昔のように感じるが、ナラザリオ邸の地下牢で濡れ衣を着せられ、実の父に裁かれようというその前夜。

ロニー・F・ナラザリオは絶望の底に落とされて、全てを諦めかけた。

しかし、それに対して叱責をしたのは他でもない俺自身だった。人間ならば死ぬ直前まで考えることをやめるべきではない、と。


たしかに状況は複雑だ。国、王、条約、新魔術、人間の業が絡まり合いこんがらがった末に、この地獄絵図が実現してしまった。絶体絶命という言葉はこのような状況のためにあるだろう。


しかしそれでも、考えることをやめてはいけないのだ。


俺は息を大きく吸い込んだ。

煙と水蒸気と熱気と塵が入り混じって、不快な味がしたが構わない。


「ノノ様。合図をしたら、俺たちの前に光魔法の壁を出来る限り厚く展開してください。一瞬でいいですから」


「分かりました」


そう頷き合う最中にも、水魔法と火魔法の撃ち合いは継続している。

魔力量だけを鑑みれば、俺が押し負ける目算が高い。

しかし、俺のアドバンテージは16年間分の魔力量のみではなかったはずだ。魔法形成の正しい理解、放出における正確なイメージは、今はまだ俺の頭の中にしかない。


馬力で劣るなら、ハンドリングで勝ればいい。


俺は水の弾丸へ注ぐ魔力量を調整しつつ、同時に氷魔法の弾丸を足元へ用意する。

時間はかかるが、一つ、また一つと氷の弾丸が用意されていく。

俺は叫んだ。


「アニカさん! やめましょう、こんなことは!」


返事はない。

NOを示す火球だけが、変わらず放たれ続けている。


「ここで俺を足止めしていては、今にあなたも火の手に巻き込まれますよ!」


返事はない。

足元に並ぶ氷の弾丸はさらに増えていく。


「奴隷から救われた恩などくだらない! 奴はあなたの忠誠心を身勝手に利用しているだけです! 今なら間に合う、協力して扉を壊せばまだ助かる余地がある! あの男の首を押さえれば戦争も止まる!!」


返事はない。

俺は弾丸が10ほどになったことを確認し、さらに強く叫んだ。


「その力の使い場所は、本当にここなのか!! 貴女の人生の終わり方はこれでいいのか!! 奴隷から解放されて、力を得た先の結末が焼身自殺か!? この戦いは貴女が望んだものじゃないだろう!!」


「――お黙りください」


「!」


煙幕を隔てた向こう側から、かぼそい声が返ってきた。


「私の命など使い捨ててしまって構いません。私がここであなたを食い止めれば、家族が救われるのです。だからどうか、お諦め下さいませ」


やはりそういう事情か、と俺は納得した。

朝の王宮で見かけた育ての親、奴隷の家族のことだ。アニカがヴォルークの命を成し遂げれば、彼らが恩赦を受けられると。しかし。


「その約束にどれほどの意味がある? 国家間の取り決めを反故にするような男が、あなたの家族を守ると本気で思ってるのか。これは、大きな戦争になる。そうすれば貴方の家族も戦火に巻き込まれる。……本当に家族を救いたいならちゃんと考えろ! 言われたまま命令に従っているだけなら、それは奴隷と変わらないだろ!!」


「――――」


一定のリズムを保っていた火魔法によどみが生じた。

今だ、と俺は氷魔法の弾丸をまとめて一点に向けて放った。回転が加わった氷の弾は、ライフル銃のごとく水蒸気を切り裂いて進む。


ボォン! という爆発が、アニカの声がしたはずの場所で起こった。予期せぬ攻撃に対応しあぐねての誤爆に違いないが、その規模も魔力相応、諸刃の剣である。

俺は背後のノノに向かって叫んだ。


「今です!」


「はいっ!」


合図とともに、光魔法の壁が展開された。

俺はその隙に、ありったけの魔力を水魔法へと変換し、出来る限り巨大な水球を生み出す。


標的はアニカではなく、炎の海と化す広間だ。


水球が落ちて会場を揺らし、ジュオオオオオ、ビキビキ、という音を立てながら炎を飲み込んでいく。


テーブルの上の狭い足場で戦っていた騎士たちが目を見張り、上階から一方的に魔法を放っていた黒狼軍はどよめいた。上下の不利は変わらないが、足元の憂いがはらわれたことは大きいはず――、と安堵する間もなく、目の前で火花が弾ける。

アニカが放った火球が、ノノの盾にぶつかったのだ。

吹き飛ばされそうになるほどの熱風に顔をしかめながら、俺は重ねるように光魔法を展開し直した。


「ローレン様」


小さく息を切らしたノノが、正面を指さす。

障壁の向こうに、右手を伸ばし、左腕をだらんとぶら下げたアニカが垣間見えた。傷が浅くないことは、ここからでもわかる。欲を言えば完全に無力化したいところだったが、攻撃を半減させられただけでも大きい。


そこへ、甲冑をまとった巨体が吹き飛ばされるようにこちらにやってきた。

舞台がずしんと揺れる。ベルナールである。


俺とアニカが戦っている奥で、軍団長を相手にしていたはずのベルナールは、全身に負った手傷に顔をしかめながら、すぐに体勢を立て直す。


「無事でしたか」


「よくやってくれた、ローレン。さすがに動揺したらしいぞ」


「状況は」


「ヴォルークとサーベージは外へ逃がしてしまった。だがまだ、軍団長が二人足止めを――……」


ドゴォ……ッ!!


派手な音によって、俺たちの会話は中断させられる。

光魔法の盾に何か大きな塊がぶつかった。床に転がったのは、普通よりも二回りは太い鉄の槍だった。展開した光魔法に大きな亀裂が入り、そこから光の粒が漏れていく。


俺とノノ、そしてベルナールは対面に立つ三人を睨む。


片手でも巨大な火球に魔力を注ぎこむアニカ。

その後ろでこちらを凝視するロズヴィータ。

脇に何本も特大槍を抱えて仁王立ちするバルドーア。


「――――」


ハイドラ王国随一の猛者と、俺以上の魔力を備えているであろう覚醒者。

彼らを退け、ノノを守り、この大広間から逃げ出して、マギアへ帰る……?

途方もなさすぎて、意識が飛びそうになる。


そこで、視界の端でひとつ光が煌めいた。

会場の後方、頭上から襲われているマギア騎士団員の中で、踊るように跳ねる人影。

ヨハンだ――、そう気づいた瞬間に俺の中のエンジンがもう一度稼働する。


カードはまだ尽きていない。

状況を打開する術は、必ず残されているはずだ。

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