第38話 うぬぼれ
「――――ヴォルークッ!!!!」
俺がノノを抱き、凶刃から逃れた直後。
大広間に、とてつもない声量の怒号が響いた。
剣を引き抜いたベルナールが、その鬣を膨らませて、王女の命を奪わんとした男を睨みあげている。
「自分が何をしたか、分かっているのかッ!!」
正面に立つだけで吹き飛ばされそうな気迫だが、ヴォルークはまったく意に介さない。どころか笑みをさらに歪め、ベルナールの様子を眺めている。
そこには父親を殺された怒りも、ノノを引き離された焦燥も感じられない。むしろ奪い返させてやったとでも言いそうな雰囲気だった。
ヴォルークは怠惰にナイフを弄びながら、問い返す。
「……やかましいぞ。余が何をしたというのだ、バーミリオン」
「白々しいにも程がある! 貴様は自らの婚約相手を殺そうとしたのだ! その様を数百人のマギアの騎士が見ている! もはや冗談では済まされんぞ! これは――――」
「ほう、これは――、なんだ?」
ヴォルークは悠然と、一歩前に歩み出た。
答えをベルナールに委ね、狼狽する様を楽しんでいるかのようだ。ベルナールは口を開きかけて、思い留まり、唇を噛んだ。
「はっは、卿からは口に出来まいな。しかし白々しいとは卿らのことだ。マギアはもとより平和協定など結ぶつもりがなく、ハイドラを陥れようとしていた。ゆえに軍事演習を企画し、その最中に王と謁見できる機会を工作し、毒殺した……。ナイフを振りおろすに十分すぎる理由であろう」
「全てが戯言だ! ノノ様が――、王女がそのような愚行を犯すはずがない!!」
「しかし、見ていたぞバーミリオンよ。一瞬迷い、足が鈍ったな。考えがよぎったのだ。本当にノノがサバーカを殺したのではないか、ひょっとして自らの知らぬ謀が働いていたのではないかと。安心しろ、それが当たり前だ。いやはや……」
くつくつと笑っていたヴォルークは、不意に、左へ視線を動かす。
「素晴らしき働きだったな、ローレン・ハートレイ。だが不思議でもある。卿には一分の迷いも見てとれなかった。どころか、余が刃を振り上げるより先に動いていたように見えた……」
わざとらしく首を傾げて見せるヴォルーク。
俺はノノを抱き、光魔法を固く維持しながら睨み返した。
「……はじめから、殺すつもりだったのか」
「ん?」
「そもそもこの濡れ衣を着せるために、ノノ王女を呼び寄せたんだろう」
「ほう? まことに卿は面白いな。何故、そう思う」
「――――何が面白い! まずこちらの問いに答えろ、ヴォルーク……!」
視界の端で、ベルナールがじりと足をわずかに動かす。すると奥側に控えていたサーベージ、バルドーア、ロズヴィータもゆらりと前のめりになった。
ヴォルークの刃は振り下ろされ、ベルナールの剣は引き抜かれた。それでも依然、膠着状態が継続しているのは、ヴォルークが目で彼らを抑えているからだ。
コツリ、
水の底に沈めたように静寂な大広間に、ヴォルークの足音が響く。
透明な光る障壁の向こうのヴォルークは、まるで檻越しにこちらを窺う猛獣のようだ。しかもタチの悪いことには、その檻は魔力が途切れれば失われてしまう、ひどく頼りないものだった。
乾いた喉を、ゴクリと音を立てて唾が落ちて行った。
俺がノノを救うことができたのは、ひとえに幸運によるものである。
ヴォルークの言葉がおかしいと即座に断言できる理由を、俺だけが知っていた。
さもなければ、この場の誰よりも足が遅く力の弱い俺が機敏に反応できたはずがない。
そもそもヴォルークが説明したほとんどは、俺たちからは真偽の確認すら出来ない不確かな情報だ。一方的な犯人扱いは無礼極まりなく、当のヴォルークが現場を実際に見ていないなど論外。ベルナールが反論した通り、あまりに状況確認と論拠が不足している。
しかし考える。ヴォルークとはそうも愚かだったか? 臣下を信用しているからと言って、即座にこのような凶行に及ぶか。そうも短絡的で直情的だっただろうか。
――――違う。
そもそもの発想が逆なのだ。
状況確認を怠ったのではない。
確認を行う必要が、最初からなかったのだ。
おかしい点の一つ目。
俺は晩餐会の前に、ノノがサバーカと言葉を交わしたことを聞いている。そのとき彼女は、高齢なサバーカ王のことを心配していた。仮にあの言葉が嘘で、かつ、サバーカ王の死亡状況が相手の言う通りであり、実はノノがハイドラ国王暗殺を謀ったとしても――、晩餐会に参加して事態の露見を待つはずがない。
それではまるで死体を見つけてくれと言っているようなものだ。毒を盛ることが出来る唯一の人物だったのであれば、なおさらである。
加えて、二つ目。
王の死の報告を持ってきたというサーベージ・ドノバンの挙動だ。
もし王宮で王の死を確認したのであれば、先程、ヨハンと連れ立って大広間に戻ってきたという話はおかしい。王の死を発見した瞬間、大至急駆けつけてくるのが忠臣のあるべき姿だろう。しかし彼はそうではなく、離宮裏手でアニカと何かを相談していたという。つまりサーベージは急いでいなかった。タイミングを見計らい、報告を持ち帰ったという体裁を取っただけだ。
そう、最後にアニカのこともある。
彼女は水晶を持ち帰ると言いながら、何も持たずに素知らぬ顔で帰ってきた。
トラブルがあったのでも、受け渡しに手間取って遅れたのでもない。これもまたポーズだったのだ。ヴォルークには元より水晶を渡すつもりなどなく、意味のない交渉を持ちかけて俺を弄んでいたのである。
胸から下げたペンダント――。眠っているはずのセイリュウと、ノイオトの精霊窟で俺たちの再訪を待っているはずのスザクの顔がよぎる。
これらのことを理解した時、俺の体は勝手に動き出していた。
しかし、身の底から湧き上がっていたのは、突然のことに対する驚きとも、理不尽に対する怒りとも違うようだった。それよりももっと――、
「はじめから……、か」
独り言のように呟くヴォルーク。
俺はノノを窺う。言葉を失い、体を小刻みにふるわす彼女は、ナイフを振り下ろした相手から目を背けるように俺の袖を掴んでいた。
あと一瞬何かが誤っていれば死んでいたという恐怖は想像を絶する。しかし、真の恐怖がそこではないことを俺は理解していた。
ノノはきっと見たのだ。
ナイフを振り下ろそうとするヴォルークの、一切温度のない瞳を。
その行動には、躊躇も遠慮も存在しなかった。
ただ殺そうとした。
ただ殺し損ねた。
どちらもただそれだけのこと、と言わんばかりの瞳が。
言いようもなく恐ろしい。
俺を突き動かしたのもまた、どす黒い恐怖だった。
「はぁ」とヴォルークがため息をつく。怠惰そうに首を回し、そして、手に持っていたナイフを落とした。しかし、武器を手放したという雰囲気ではない。むしろ何かしでかしそうな雰囲気が増した気さえする。
「悪くない筋書きだと思ったのだがな」
「…………何……?」
「まあ、よかろう。この筋書きは卿らの為に用意したものではない。この一件を後で知った者たちが、真実と信じこむためのものだ」
「何を、言っている」
「何を言っている? こちらの台詞だ、この期に及んで分からぬはずもなかろう。ローレン・ハートレイ。余は卿を高く評価している。どうだ、今なら間に合うぞ。こちらに寝返る気はないか」
ヴォルークは口元を醜く歪めながら、しかし、いたく真剣にそんな提案をする。
ぞわりと、嫌悪感に鳥肌が立った。
「水晶もやる。卿の望む役職を与えよう。我が軍は完全実力主義、実力は既に披露済みゆえに、文句をつける者はいない。――言っておくがこれは卿の為の提案だぞ。よく考えよ、卿ならば大局を見ることが出来る。その上で正しい選択をしろ。ハイドラは力を重んじるが、知を軽んじているわけではない。昨夜語った遠大な夢がここで潰えてしまうのは、余としても不本意なのだ」
「――――」
「理想だけでは大望は遂げられぬだろう。現実を受け入れた先にしか道は続いてはいないのだ。そして案外、そうしたところに新しい扉が待ち構えていたりもする。絶望と希望は常に隣り合わせだ。卿が今抱いている感情など、極めて刹那的なものだ。数年後には忘れてしまう程度のな。だから冷静になり、正しい選択をしろと言っている。どうだ、ローレン・ハートレイ、はやく答えろ」
ヴォルークがまた一歩こちらへ距離を詰める。
その言葉が、表情が、所作が、神経を逆なでし、心を削っていく。俺は光魔法を維持するために伸ばした腕が震え始めていることを自覚していた。
「……その場合、ノノ様や、ここにいるマギアの兵士たちはどうなる」
乾いた喉で、絞り出すように問う。
俺は知っている、この問いが無意味であることを。
だが、問わずにはいられない。
ヴォルークは、馬鹿にするような笑いを漏らした。
「はっはは、馬鹿を言うな。今、話しているのは卿の処遇についてだけで、こやつらの運命は変わらない。それとも卿に、余の気が変わるような条件でも提示できると言うのか? 出来まいが。余は卿を買っているが、王女とマギアの兵士たちとは釣り合わん。それはさすがにうぬぼれがすぎるな、ローレン・ハートレイ」
ヴォルークの目の奥が、際限なく深く黒く沈んでいく。
そこには本来人間が持っているはずの、光というものが一切ないように見え――、
「――――」
そこでふと、腕の中からかぼそい声がしてハッとする。
涙をためた目で、ノノが俺を見上げていた。
「はいと、お答えくださいローレン様……」
その言葉に俺は驚く。
「ノ、ノノ様……?」
「なんとお詫びを申し上げてよいかも、もはや分かりませんが……、この状況を招いたのは私です。きっと既にこの大広間は包囲され、あの男の言う通り、どう転んでも最悪の結末が待っているのでしょう。しかし、ローレン様だけはそれを避ける道が用意されています、ならば――」
「まさか。何を言っておられるのですか。ノノ様やここにいる騎士たちを見捨てるなど」
「私たちは元より避けられない運命でした。しかし、ローレン様だけは違います。ローレン様は私が、無理を言って今回の遠征に連れてきてしまったのです。そうでなければ貴方はマギア王宮にいて……、貴方は、決してこんな所で――……」
そこから先は言葉にならない。ノノの瞳の端から、玉のような涙が流れ落ちた。
絶望と、諦めと、後悔と、悲しみと、遠いマギアへの望郷が混ざりこんだような涙だった。
誰だ、王女にこんな思いをさせるのは。
ただひたすらに優しい彼女に、涙を流させるのは。
俺はぐっと腕に力を込め、視線を真正面へと戻した。
透明な壁の向こうで、猛獣がニヤニヤと舌なめずりをして「腹は決まったか?」と問う。そこで俺はようやく気付いた。
怒りの前に、恐れの前に、俺はこの男が嫌いだ。
どうしようもなく、嫌いなのだ。
「お前の思い通りにはならない、俺たちは必ずマギアへ帰る」
「ああ、最も愚かな答えだ。そしてうぬぼれているな。よかろう、ならば――」
ヴォルークが右手を高く掲げ、魔力を込めた。
「――貴様も、ここで死ね」
瞬間、四方から勢いよく扉を開ける音が響く。大広間に備え付けられた二階席――、先ほどまで音楽隊が演奏をしていたはずの場所に、武装をした黒狼軍がなだれ込んで来た。そしてその勢いのまま、騎士団員たちがどよめく階下に、大きな樽を投げ込んだ。
樽は石の床にぶつかって派手な音を立てる。すると、中から黒色の液体が飛び散り、華やかだった宴席を塗りつぶしただけでなく、卓上の蝋燭の火を受けてぼうっと燃え上がった。
赤々とした炎が瞬く間に広がり、騎士たちはどよめきをあげる。
しかし上からさらに油が注ぎ込まれ、魔法の火の玉が降って来るので、足元に気を払っている暇はない。
大広間はあっという間に、阿鼻叫喚の様相に変わった。
ベルナールが咆哮し、大広間に飛び降りんと駆け出した。
しかしその横腹を突くように、二人の軍団長が滑り出る。ガキンという金属がぶつかり合う音が響いた。
副将サーベージは、その隙間を縫うようにヴォルークの側へと身を置く。
ヴォルークはいまだ、こちらを見降ろして不気味な笑いを浮かべていた。俺は横目で広間の惨状を見て叫ぶ。
「まさか、この離宮ごと焼き落とすつもりか……!?」
「驚いている場合か、その前に貴様が皆を救い出して見せるのだろう? それに、焼け落ちたところで別に構わん、ちょうど本宮に空きが出来たところだからな」
「――ッ!! やはりお前だな、王を殺したのは!!」
「弱肉強食がハイドラの在り方だ。それを教えてくれたのは若き日の父だが、歳をとるたびに平和主義に落ちぶれて見るに堪えなかった。……何が平和協定、何が同盟だ! 魔法大国などという薄っぺらな看板に増長したマギアから用意された不平等な条約を、どうしてハイドラが甘んじて吞まねばならん! 欲しければ奪うのだ! 逆らえば殺すのだ! 戦争の方が、何千倍も、単純で分かりやすいだろう!?」
自らが犯した罪をもはや隠し立てする様子もなく、完全に開き直った様子で、ヴォルークは手のひらの先に火球を浮かべる。バレーボール大のそれは、今まで見た火魔法のどれよりも、赤黒い、邪悪そうな色をしていた。
「余に逆らった貴様もここで死ぬのだ、ローレン・ハートレイ。そうだな、その愚かな女の希望通り、一緒に火葬してやるのがいい」
「黙れ!! これ以上、この人の気持ちを踏みにじるな――!!」
俺は光魔法を展開したまま、ノノを硬く抱いて裏手口の扉方向を確認する。そこからも黒狼軍の兵士がなだれ込んでいるが――、もう片方の手で氷魔法の砲弾を放つと、ドミノ倒しのように道を開けた。
再度ヴォルークを振り返る。手のひらの先の火球が、放たれる時を待って回る。
「俺はお前には殺されない。この人も殺させない……!」
「わが軍の兵士など物の数ではない。余の魔法も怖くはない。そういう顔だな。しかもそれを言えるだけの実力と、根拠がある。貴様はこれまで、自分以上の魔術使いに出会ったことがないのだろう。
――――いいや、違ったな。貴様が、魔術に目覚めてからと、言い直すべきか?」
一瞬、ヴォルークの言った言葉の意味が分からなかった。
何故、奴がその事を知っている? 精霊教会騒動は知れ渡っているとして、そのことと俺の関係性まで聞き及んでいるとするならば、それは一般的に広まっていないマギア王国の重要情報を知っているという事になる。
だとすれば、それは、
俺の思考が追い付かないままに、ヴォルークは続ける。
「氷魔法の発見は素晴らしい。しかし、もう一方の発見もまた極めて有益だった。まったく、感謝してもしきれないくらいだ。そのせいで、戦争が激化し、貴様も命を落とすことは皮肉だがな。――――――紫髪ッ!!!」
突如上げられた大声。
それは、騒然とした会場内の人々の意識を一瞬こちらへ向けさせるだけの、途轍もない迫力を有していた。
直後、視界の奥の暗闇から人影が躍り出て、まっすぐこちらへ駆けてくる。
その姿はすぐに、照明のもとに曝け出された。
紫色の髪で、右目を隠した女性。
アニカだった。
アニカがこちらに向けて手を伸ばしている。その袖口に、わずかに見えた白く細長い何か。ただの木の枝だが、魔法が扱えない者にとっては、運命を変え得る魔法の杖――。
彼女の手の先から極大の火球が生み出され、そして、光魔法の壁ごと、俺とノノを飲み込んだ。
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