第37話 断罪のナイフ
マギア王国騎士団第一騎士団長、ベルナール・バーミリオン――。
自分の名前を言うときに大袈裟な役職が付きまとうようになったのは、もう6年も前だ。私はいまだにこれに慣れない。
そもそも私が騎士になろうと志願したのも、その持て余したでかい体を有意義なことに使って来いと追い出されて仕方なくのことだった。幸い、王国騎士団員としてそれなりに働きを評価してもらっていたが、右を見ても左を見ても猛者揃いで、クビにだけはなりたくはないものだといつも戦々恐々としていた。
なので、騎士団総長から昇進を告げられた時、私は心の底から驚いた。
そしてすぐさま辞退した。
魔術と武術において私より優れている者は大勢いる。それこそ新入りながらに破竹の勢いで武功を上げるリーキースなどと比べれば、恥ずかしくなるほどだ。
あまりに荷が重い。器ではないと。
しかし総長は認めず、もう一度同じ人事を言い渡した。
なぜ私なのかと問うても、「お前がやれ」以上の返答はない。
どうやら、それは命令らしかった。
上からも下からも反感を買うだろう。それがあまりにひどければ、総長もお考え直しになるかもしれない。そう半ば自暴自棄になりながら、私は騎士団長という役職に就いた。
果たして、実際の反応は、私の想像していたものではなかった。
騎士たちは口を揃えて、お前がその役職に就くのを待っていたと言ったのだ。
私より武に秀でた者も、魔術に秀でた者も、賢い者も、お前の下でならば死ねると言った。私はなぜかと問うた。しかし彼らもまた答えなかった。
結局今に至るまで、器に足りているとは思えずじまいだった。
いつか自分で納得できる日が来るのだろうか。
来るとすれば、それはいつなのだろうか。
○
「サバーカ・H・アフィリオーが殺された――。
我が父サバーカは一昨年より床に臥せていたが、此度のそれは老いや病による死ではない。何者かによって殺されたのだ。両国の絆を確かめ終えようとしたまさにこの時に、だ。率直に言おう、余は怒りに打ち震えている」
ヴォルークの言葉によって、酒宴で盛り上がった会場の熱は、完全に失われた。
いや、正確に言えばほろ酔いの彼らは一様にキョトンとした顔を浮かべ、人形のように固まってしまっていた。果たして、すぐに事の重大さを理解した者がどれほどいただろうか。
かくいう私も、――ローレンからの忠告もあり、身構えていたはずなのに――、全身の血の気が潮のように引き、体と脳が切り離されたような不思議な感覚に陥っていた。告げられた事実には、それだけの衝撃があった。
国王の死とは、ただそれだけで重大な意味を持つ。それがよりにもよって殺害されたなどと、歴史に残る大事件である。全員が同じ疑問を抱いただろう。
なぜ、いつ、どのように――。
しかし、それを王子に問う者はいない。既にそのようなことが許される雰囲気ではないからだ。ヴォルークの体は小刻みに震え、その様子は、『これが趣味の悪い冗談だ』という可能性一切を否定していた。5分前まで快活に笑っていた面影はどこにもない。
「毒を、盛られたのだ」
怒りに歯ぎしりを漏らしながら、ヴォルークが言う。
「傍らにグラスが割れていた。血を吐いて倒れた父の傍らに、薬を飲むための水が入ったグラスが。お労しや、かつてその武勇を轟かせた名将がなぜこのようなつまらぬ死を迎えねばならぬ。どうしてこのような悲劇が起こり得る……!」
ヴォルークの足が、再び床を踏み鳴らした。
会場全体がズンと揺れた気がした。それをきっかけに、蝋人形のように固まっていた騎士たちが呪縛を解かれたように動き、やにわに狼狽えはじめる。顔を見合わせる彼らの表情は濃い不安と、深い同情の色に染まっていた。
ヴォルークの怒りはもっともだ。今マギア王国騎士団がここにいること自体が、サバーカ・H・アフィリオーの功績の一つである。顔を合わせたことのない老齢の王といえど、決して他人事とは思えない……。
そこまで考えたところで、騎士の内の数名の表情にまったく別種の動揺がよぎった。
見開かれたヴォルークの瞳に、自分達が映っていることに、気が付いたから――。
自分たちが疑われていることに、気が付いたからだった。
「え」
誰の口からともなく、掠れ声が漏れた。
最初は聞き取れないほど小さいものだった。しかし、それは次第に数を増し、重なり、大きなどよめきとなった。
まさか、目の前に立つ若き王子は自分達を咎めているのか。一体誰がそんなことをする。まったく思いもよらないことだ。騎士団の中にそんな恐ろしいことをする者がいるはずはない。楽しい宴を終え、あとは眠るだけのはずではないのか。誓って我々に、やましいことなど……、
「――――黙れ」
唸るような低い声が、どよめきを制する。
会場に再び沈黙が降りるが、先ほどまでと違って、首を絞めて押さえつけたような沈黙だ。
「余が何よりも憎むのは裏切りだ。相手の厚意を踏みにじり、かけてきた苦労を無駄にし、積み上げてきたものを台無しにする。
これは、これ以上ない裏切りである。余に対してだけではない。ハイドラという国、ひいては歴史への裏切りである。アフィリオー王家に残された唯一の者として、必ずや父の無念を晴らさねばならない」
ヴォルークが一歩前に出た。
そして――、懐から一振りのナイフを取り出し、眼前にかざす。
頭上のシャンデリアによって粒のような光がナイフの刃先を走るのを見て、騎士団員たちは声にならない悲鳴をあげた。
「――――」
正直に言えば、私も悲鳴を上げたいような気分だった。
しかし、自分が彼らを守る立場であることを思い出し、私は腰の剣に手を添えた。ほとんどの騎士団員が武装を解除している中、それをしなかったのは、こういった事態を恐れていたからに他ならない。
「恐れながら、ヴォルーク王子、そのナイフをおさめていただきたい。さもなければ私もこの剣を抜かざるを得ません。――こちらへ、ノノ様」
私は傍に来るようにと、椅子に座ったまま凍りついたような表情のノノ王女へ呼びかける。だがヴォルークは私たちを見比べ、首を振った。
「動くな、立場を弁えろバーミリオン」
「……私は、自分の立場を弁えた上で行動しております」
「殺人の幇助をした立場として、か?」
「全くの濡れ衣です。私はマギア王国騎士としての誇りを持ってここに立っているのです。その誇りにかけて、謂れのない疑いを容認することはできません。どうか、お納めください」
「貴様らの誇りなど知ったことではない!! 王を殺されたのだぞ!!」
「それが濡れ衣だと言っている!! 何故、はなから私たちがしたと決めつけておられるのか、納得できる理由を説明すべきではないのか!!」
広大な会場に、怒号が飛び交う。
しかし、分が悪いことは誰の目にも明らかだった。私のすぐ横には黒狼軍の副将と、軍団長2人が並び立っているのだ。一歩でも動けば、全員に抑え込まれるだろう。
私はやや離れたところで、こちらに視線を送っているローレンを見た。腰を浮かしていつでも動ける状態ではあるが、様子見の姿勢も保っている。騎士団員ではないが、彼もまた守るべきマギアの宝である。
私は舞台上を眺めまわし、互いが互いを牽制し合う様子を確認した。
この状況をどう打開すべきか。
この場での最善は何か。
果たすべき役割は何かを考える。
しかしあらゆる意味で主導権を握っているのは、今にも暴れ出しそうなこの男だ。ヴォルークは私の言葉を受けて、苛立たしげに歯を覗かせた。
「説明だと? 説明ならばもうしたであろう」
「いいえ、今の状況はあまりに一方的です。裏切りと言うならば我々の台詞でしょう。少なくとも、死の真偽も確かめないうちに取るべき行動ではない」
「ほざきおる。余が嘘をついていると申すか?」
「……ヴォルーク王子は確か、先ほど宴席を立たれましたな。しかしわずかな時間だけだ。とてもその間に王宮へ赴き、御父上の状態を確認できたとは思えませんが」
「サーベージがしかとその目で確かめた。サバーカ王は殺されていたと、そう言ったのだ。余の忠臣は真実しか述べぬ。なればこそ、疑わしき者を逃がさぬために急いで戻る事を先決とした。余の言う事におかしな点があるか」
「明らかに状況確認が不足しておられるでしょう。その一事をもって、我々が疑いをかけられる意味が分かりません。外部から王宮に忍び込んだ曲者の可能性はお考えになられましたか。マギアとハイドラが晩餐会を行っているタイミングを見計らって第三者が暗殺を企てた可能性です。その者は、こうしている間にどこぞへ逃げおおせているかもしれないではありませんか」
私は十分にあり得ることだと考え、可能性を提示した。
しかし、ヴォルークはきっぱりと否定してこう言った。
「それはない。王殺しはこの場にいる」
余りに断定的な物言いに、私は思わず口ごもってしまう。
「――な、何を根拠に、断言なさっておられるのですか。どうそれを証明なさいます。騎士団員一人一人を拷問にでもかけられるおつもりか」
「拷問など行う必要はない。既に犯人は分かっている」
「……な、んですと……!?」
「聞こえなかったか。犯人は分かっていると、そう言ったのだ」
「――――」
王が殺された報が寝耳に水だったと言うのに、犯人が既に判明している?
この中の誰かが疑われているという状況ですらなかったと言うのか?
事態に思考が追いつかない。
その様子を見たヴォルークは小さく吐息を漏らし、視線を右に振った。
「王の口に入る物は、これ以上ないほど入念に安全を確認している。なれば毒を盛るには飲み掛けのグラスに細工をするしかないわけだが、父の寝室は王宮の最奥にある。裏庭の警備兵の監視の目をかいくぐり、足がかりのない王宮の壁を登りえたとして、窓は開かず、割って入るほかはない。しかし、そのような形跡は一切なかったという。……そうだな、サーベージ」
問いかけられた隻眼の副将が、直立のまま口だけを動かして答えた。
「左様です、殿下」
「間違いないか」
「この命に賭けまして、真実でございます」
「つまり、毒を盛った犯人は正面の大扉以外に侵入する術がないということになるな。外部の者が王宮内側に忍び込み、気付かれずに寝室にたどり着くことは可能か」
「いいえ、殿下」
「では、わがハイドラ王宮に王殺しを企てるような不届き者はいるのか」
「いいえ、殿下」
「――だそうだ。バーミリオンよ」
ヴォルークは私に視線を戻す。
頭が痛くなってきた。眉間のしわも深くなるばかりだ。
「ヴォルーク王子、繰り返し申し上げます。それでも我々が疑われる理由にはなりません。外部犯ではない、身内にも不届き者はいないはずというのでは、ただの消去法です。それに同じ理屈で、我々がサバーカ王に毒を盛ることは不可能ということになりましょう」
私がそう返すと、ヴォルークはふむと頷いた。
だがそれは、こちらの発言に納得したのではない。想定通りの反応が返ってきたのが愉快だという様子だった。
「確かに卿の言う通り、その方ら騎士団員が王の寝室に無断で侵入することは不可能だ。ハイドラ王宮の警備は鼠一匹見逃さぬと有名でな」
「ならば」
「しかし、その理屈が効かぬ者が一人いる」
「……理屈が効かない者……? 誰のことを、仰っておられるのですか」
「暗殺を企てた者が不正に侵入したという考え自体が誤っているのだ。もっと視野を広く、先入観を捨てて考えてみろバーミリオン」
「何、を――――」
なんだ、目の前の男は一体何を言っている。
王が殺された。犯人は分かっていて、この場にいる。しかし寝室に侵入を試みたわけではない……。
いっこうに像を得ない問いに、私は困惑する。
その様子を眺めるヴォルークは口元を歪めて――、笑った。
ゾッとした。
思わず漏れてしまったというような笑いだった。
決して、先程まで父の死を嘆き、怒っていた男から漏れていい笑いではなかった。
何よりも恐ろしかったのは、その時初めて、目の前の男が本性を曝け出したように思われたことである。それは私の心胆を寒からしめるに十分だった。
「分からぬか? いるであろうが。王の寝室に足を運び、対面し、あまつさえ二人きりで言葉を交わした者がな――!!」
「!!」
ヴォルークがナイフを振り上げた。
その瞬間、私はようやく理解した。
近くにいるから危ないどころではなかったのだ。ヴォルークは始めから、ナイフを振り下ろす先の間近に立っていた。
私は剣を引き抜いた。
同時に、私の脳裏にあり得ないはずの光景がよぎる。
王の寝室――、一瞬の隙を見計らってグラスに毒を滑り込ませる彼女の姿が。
その悍ましい想像が、判断にかすかな淀みを生む。
これが取り返しのつかないものにならないよう、半ば祈るように、私は腕に力を込めた。
たった数歩が、無限に感じられる。
まるで自分の体が鉛になったように重く、鈍い。
こんなことをしている間に、刃が王女の頭上に降り注がんとしているのに――――。
「ノノ様ッ!!」
私の視界を、誰よりも早く動いた影があった。
その影は振り下ろされるナイフに身を固めたノノ様に手を伸ばし、引き寄せて、巨大な光魔法を展開した。
ガキン――、という音が大広間にこだまする。
ナイフを透明な障壁に阻まれたヴォルークは、両頬を持ち上げて、愉快そうに言った。
「……なるほど、卿か。ローレン・ハートレイ」
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