第28話 兄弟喧嘩


一体なぜこんなことになってしまったのか。

この状況に陥った要因はなにか。

ダミアン邸で一瞬の邂逅を果たしたことはまだ分かる。

しかし、数日間の船旅を経てやってきたハイドラの、しかもこのような大きな舞台で1対1の試合が組まれるなど、なんという天文学的確率。


まるで別の道を進むと決めた俺を、運命が許さないと言っているようではないか。





周りを大きく円状に囲う兵士からの無数の視線。

櫓の上から向けられる好奇と心配の視線。

そして――、真正面に立つ甲冑姿の青年からの鋭い視線。


「…………」


「…………」


ヨハンは足元を均しながら、こちらをじっと見つめている。

俺はかける言葉を見つけられず、誤魔化すように手元に目を落とすばかり。セイリュウが見たら尻でも叩かれそうだが、気まずいのだから仕方なかった。


「両者とも、準備はいいね」


そう確認するように問うたのは、黒狼軍軍団長が一人、バルドーアという男だ。

大柄な体格と左頬の大きな縫い傷から得る印象とは反対に、口調は穏やかである。


「試合は一本勝負。どちらかが降参をするか、戦闘不能とこちらが判断をするまで続く。ヨハン・F・ナラザリオ、剣はこれを使うように」


そう言ってバルドーアは自らの腰に差していた剣を手渡す。


「ローレン・ハートレイは不要、ということでよかったかい?」


その言葉には、多少の不利は承知しているよなという確認の意味が込められている。しかし元より剣術の素養のないので無駄な質問だ。

俺は黙って頷いた。すると、不意に身を傾けたバルドーアが俺の耳元に囁く。


「ヴォルーク様から言伝だよ。『取引を忘れてはおるまいな。せいぜい満足のいく余興を見せよ――』とさ。まあ安心してよ、そう簡単には試合中止は宣言しないから」


「…………」


返答を待たずに、バルドーアはヴォルークの足元まで引き下がって行く。


30人との試合が演目変更となったついでに、昨夜提示された条件のいくつかもなかったことにならないだろうかという、淡い期待はたやすく打ち破られる。

ヨハンに手渡されたのは真剣で、氷魔法以外使うなという条件もそのままだろう。怪我をしてはならないというノノからの命令もある……。


俺はせめて、ペンダントを首元から外し、お尻のポケットへと避難させた。

横目でヴォルークを見るが、この距離からでは表情を窺うことは難しい。

直後、壇上の銅鑼がけたたましく鳴り響き、試合の開始を告げ――――、



「――ッ!」



次の瞬間、俺は後ろに大きくのけぞり、あわやこけそうになった。

すぐ鼻先を冷気が通り抜けていく感覚に、背筋が凍る。

背を逸らしたままに視線を前へ向ければ、こちらを鋭く睨み、まっすぐと手を伸ばしているヨハンの姿がある。


目を逸らしていた。

集中を欠いていた。

あるいは――、いきなり全力で攻撃をしてくるはずがないと、たかを括っていた。


その愚かさを自覚し、俺は慌てて右手に魔力を込める。

袖に仕込んだ杖の先が光る。

しかしその時にはすでに、ヨハンはいくつかの氷の弾丸を用意し終えた後だった。


「ぐっ……!」


ガキンッ、ガキンと、なんとか放った氷の弾丸が、ヨハンのそれとぶつかって、空中で霧散する。相手の攻撃を防ぐにも光魔法には頼れない。しかもノノからの命令がある以上、一撃でも食らう訳にはいかない。

だから今のように、氷魔法を防ぐには氷魔法を使わざるを得ず……。


そこまで考えて、俺は震えた。ぶつかった氷の塊がその場で砕け散ったという事は、氷と氷は同等の大きさ、そしてスピードだったということになるのではないか。

そんなことが、今まで氷魔法の使い手との対戦において、あっただろうか――。


「……なめるなよ、ローレン・ハートレイ」


「!」


ほんのすぐ目の前から、低く威嚇するような声がした。


こちらを見下ろすようにヨハンが立っている。

右手に持った剣の先が白い光を帯び、命を断つために作られたことを示していた。

ヨハンの視線には落胆の色が含まれ、がっかりだと言わんばかりである。


「あんたにとってこの戦いはただの余興か、それとも取引の為の手段なのか……。なんにせよ馬鹿にしてる」


「――――ヨハン、き、聞こえて……」


「気を抜いたのは、この試合が勝って当然のもので、あとはどんなふうに勝つかを考えていたから。そうじゃないのか」


「――いや、そんな、ことは……」


そう言いかけて、俺は否定できない自分に気が付いた。

ヨハンの指摘は的を射ている。その通りだ。俺はヨハンと戦う羽目になったことを災難だ、早く終わらせなければと考えていた。

無意識のうちにヨハンという存在に甘えていた。侮っていた。安堵さえしていたかもしれない。


ヨハンはもう一度、言葉の意味を飲み込ませるように言う。


「なめるなよ。僕はもう覚悟を決めた」


「――――」


息をのんだ俺に対し、ヨハンが剣を振りかぶった。


ブンッと風を切る音とともに、振り下ろした剣が俺の服をかすめる。かすめる。かすめる。

俺は不格好な後転でそれをなんとか躱すが、ヨハンは体勢を立て直す暇を与えない。さらに、剣戟の隙間から発射される氷の弾丸――。


俺は耐え切れず、氷の障壁を二人の間に生み出した。


「……はあっ、はあ……!」


溢れだしたように口から息が漏れ出る。しかしこれだけ開けた広場で、苦し紛れに作った壁など大した意味を持たない。

息を整えろ。魔力を込めろ。右か、左か。

どちらから来る。


遠く離れた観衆から低いどよめきが聞こえ――、俺は身を固める。

しかし正解は右でも左でもなく、頭上だった。

2メートルほどの高さの障壁を軽々と飛び越え、その先端を蹴って、さらに加速して俺に迫るヨハン。


当然の話だが、ヨハンは氷魔法しか使えないなどという縛りはない。

水、氷、風魔法を最大限駆使してくる。


視界に映る光景がスローモーションになり、俺たちの視線が交差する。


「――――」


「――――」


しかし、覚悟を決めたというヨハンの言葉で、俺の脳から外野の騒音はシャットアウトされつつあった。ヨハンの言う通りだ。今目の前にいるのは、魔術師というくくりにおいても、剣士というくくりにおいても、類まれなる天才である。

もう視線はそらさない。

遠慮も、しない。


ガキン――ッ!!


硬いものと硬いものがぶつかる、甲高い音が響く。

それは俺の放った氷塊が、ヨハンの構えた剣にぶつかった音だ。

氷は弾けて地面に転がるが、同時に鋼鉄の刃も大きく刃こぼれをし、それを持っていたヨハンもたまらずに地面に膝をつける。

まともに受けたら剣を取り落とすか、手首を痛めるかのどちらかだ。衝撃をすんでのところで受け流したのはさすがの反射神経である。


間髪を入れず、俺は氷の弾丸――、否、氷の砲弾を生成する。

ひとつひとつがバレーボールほどある氷の砲弾は、引き金を引かれる瞬間を待って、俺の頭上に浮かんでいた。


「……!」


慌てて後ろへ飛び下がる――。

それが普通の人間の反応だ。今の一撃を味わっていればなおの事、距離を取りたくなるのが本能的な挙動である。

しかしヨハンはそうはしなかった。反対に、身を低くして懐へ入り込んできたのだ。

そして狙うのは俺の右手首――、プテリュクスの杖が仕込んである袖口だった。


俺という人間の戦い方をよく知っている者の動きだ。

運動能力が低い事、杖を介してでなければ魔法が発動できない事。それを知った上で、最効率化された動きをしてくる武術にも魔術にも長けた相手。

厄介でないわけがない。王都魔術学校に、この才能が収まりきるはずがない。


「――!?」


しかし一直線に突進してきたヨハンは、急に足を空振りさせ、思わず地面に片手をついた。

滑るはずのない場所で滑る――。

かつてシャローズと手合わせをした時にも使った手だが、どれほど優れた運動神経を持っていようと、不意に足元に現れる薄氷トラップを躱せる者はいない。


俺はその隙に距離を取り、氷の砲弾を発射する。

狙うのは剣。一発目でヨハンの手元から引き離し、二発目で柄と刀身のつなぎ目を破壊する。完全には折れずとも、折れて歪んだ剣はもはや使い物にはならないだろう。


「…………なんで、直接僕を狙わない」


ヨハンが慎重な動作で起き上がりながら、俺を睨んだ。

それは己に対する遠慮を責めるような、いささかの矛盾を孕んだ問いだ。しかし、俺は首を振る。


「直接狙ってもお前は避けていたさ。ならば先に剣を奪っておく方が有意義だ。もう俺はお前をなめない」


「…………」


実際、剣という戦闘手段が失われた意味は大きい。

近接戦に持ち込もうというヨハンの狙いは通用しなくなり、正真正銘の魔法の撃ちあいになる。

試合が極端に長引くことはないだろうと思った。


2人は相手の出方を探り合うように睨み合う。

緊張の糸は張り詰めたまま、しばしの沈黙が流れた。


砂を含んだ風が舞い上がり、氷魔法の白煙と混じり合う。

周りから二人だけを包み隠す光景は、いやがおうにも、ナラザリオ邸の中庭で行われたダミアンとも模擬試合を想起させる。


16歳になったはずのヨハン・F・ナラザリオは、自分で言うのもなんだが、四年前の俺に似ていて。

思わず、言葉が漏れた。


「…………悪かった、ヨハン」


「………………何?」


ヨハンの瞳が一瞬大きくなり、そしてすぐに厳しく睨む視線に戻る。


「悪かったって、それは僕に謝ってるのか……? 今さら何を、謝るって言うんだ。あんなことをしておいて……!」


「許してくれなんておこがましいことを言うつもりはない。ただ、俺はずっとお前を思っていた。狂った兄の戯言にしか聞こえないとしても、これだけは嘘じゃない。俺はお前のためを思って――」


「僕のためを思って!? 僕を置いて出て行ったのもそうだって言うのか!! ならあんたは間違ってる! 僕は、僕は……ッ!!」


ヨハンはその先の言葉を絞り出そうとして、逡巡する。

しかし言わずにはおれない。その問いだけをずっと用意していた、という風に言った。


「4年前、何があったの」


「…………」


「何も起こらなかった。誰もいなかった。これからはお前が長男だ。だから忘れろって口を揃えて言う。誰も本当のことを言わない。みんなが僕を腫物のように扱うようになった」


「……そう、俺が頼んだんだ。お前には何も言うなと」


「何故」


「お前を巻き込みたくなかった。守りたかった。他の誰がどうなっても、お前にはまっとうな人生を歩んでほしかった」


ヨハンの表情が複雑に歪む。そして吐き捨てるように言った。


「――それはエゴだ。身勝手だよ」


ダン、と地面を蹴る音と同時に、ヨハンの姿が消える。

大きく後ろへ跳び退いたのだ。


折よく砂塵が晴れ、ヨハンが再び障壁の後ろへ隠れたことが分かる。

何かを仕掛けてくるつもりだと思った直後、氷の障壁の裏側からいくつかの氷の弾丸が天にめがけて放たれた。

それは放物線を描いて、測ったように俺の頭上へ落ちてくる。

俺は狙いをつけて――――、


「――いや、氷魔法じゃない……!」


そう気づいた時には、俺の放った氷と、ヨハンの放った魔法はぶつかっていた。

辺りに飛び散る輝く粒は、水滴だ。

しかも俺の予想が正しければ、ただの水ではない。


「…………っつう……!」


ザバザバと頭上から降り注ぐのは熱湯のシャワー。

4年前、ヨハンがダミアンを驚かせて見せた、氷魔法と発想を逆にする水魔法の応用である。傍から見ている分にはただの水魔法にしか見えないだろう。むしろそれゆえに、極めて不意打ちとして有用だった。


俺は特大の氷の砲弾を用意し、すぐさま障壁を破壊した。

ガラガラと音を立てて崩れる壁。

しかし、その裏側にはあるはずのヨハンの姿はない。俺が砲弾を放つタイミングを察知し、走り出していた。

否――、滑り出していた。


異常な移動のスピードを、俺はとらえきれない。

ヨハンの足元に見える輝く道の存在に気付き、感嘆する。

ヨハンの天才性はもはや国さえもが認めるところだが、その根幹は今も昔も変わっていない。吸収力と応用力。この2点に絞れば、指南を行ってきた大勢の騎士たち、ダミアンやシャローズ、リーキースさえも敵わないのではないかと思う。


「次から次へと……!」


袖口にたっぷりの魔力を注ぎ込み、足元に向けて魔法を放つ。

放射状に広がる氷の波。それは端に行くほどうねりを増し、凹凸を複雑にしながら、ヨハンに迫った。

平らな地面だから速度を出せた滑走も、地形が荒れれば叶わないだろう。


ヨハンは足先が呑み込まれる直前に飛び上がり、凍てつく荒波の上に着氷する。

俺たちは再度、正面から睨み合う形になった。


「試合が長引けば、遅かれ早かれこうなる……のか」


ヨハンはやや悔し気に、そう呟いた。

同じことを考えているのだろうと理解しながら、俺とヨハンは同時に手を前方にかざす。


浮かぶ氷の弾丸。

冷たく刺さるような静寂。


早く撃てばいいというわけでも、数が多ければいいというわけでもない。

氷にも硬度というものがある。先ほど慌てて作った氷の障壁は大きさと引き換えに硬度はさほどでもなかった。温度を低く、壊れにくく、威力は高く。

これはもはや魔力量の差ではなく、魔法のセンスの話だった。


ヨハンの指が、かすかに動いた。

次の瞬間、


ドガガガガガガガガガ――ッ!!


まるで金属と金属がぶつかり合うかのような、魔術と魔術のぶつかり合い。

両者の中間で鏡合わせのように弾ける氷は、白い煙となって辺りを覆いつくしつつある。俺たちはお互いに見えない煙の向こうに弾丸を打ち込む様相になった。


しかしその先に、確かに存在を感じる。

今動けば、少しでも気を抜けば、撃ち漏らした氷の弾丸に見舞われるだろう。より精度の高い氷魔法の弾丸で、相手の弾丸を打ち砕いた方が勝つ。

これはもはや、そういう戦いだった。


「――――」


思えば、お互いが全力で喧嘩をするなど、一度もなかったのではないだろうか。

俺が生まれながら魔法を使えない体質だったことを差し引いても、拳で殴り合いをした覚えすらない。

俺たちは魔法が使えるとか使えないとか、出来損ないだとか優秀だとか、そんなお互いを埋め合うように寄り添っていた。でもやはり、お互いが胸の内に抱く繊細な部分には触れてはならないと遠慮もしていた。


もしかしたら、一度くらい兄弟喧嘩をしておくべきだったのかもしれない。男兄弟なのだから、泣いたり泣かせたりくらいあって当然だったのかもしれない。

俺は不意にそんな、今まで考えたこともなかったようなことを思った。

いや――、そんな感傷よりも、もっと純粋な衝動が俺の奥底から湧き上がってくる。


勝ちたい。

ただ純粋に勝ちたい。

今相対している男に勝ちたい。

互いの能力を限界まで引き出し合ったこの勝負に勝ちたい。

その後のことは、今は考えない。



局所的に温度が下がったことが原因か、それとも偶然か。

砂を含んだ風が俺たちの間に吹き込む。


均衡状態は長くは続かない。

すぐにどこかに綻びが生まれ、どちらかが押し負ける。


俺は脳裏に浮かんだ方法を実行するならば、今しかないだろうと決心した。

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