第27話 厄介なこと


ゴツゴツとした岩石地帯の隙間を縫うこと数十分。

俺の乗った馬車は開けた平原に出て、ゆるやかに止まる。

扉が開かれた瞬間、砂を含んだ風が俺の鼻をくすぐった。


土も草も全てが渇いた平原に、黒と白のテントが点々と立っている。黒が黒狼軍、白がマギア王国騎士団のものだろう。

そしてそれを見下ろせるよう組まれた5メートルほどの高さの櫓。上部には煌びやかな椅子が二つ並べてあり、誰が座るための物か一目で分かる。


中央、大きく開けた広場では、数百の兵士たちが剣と魔法をぶつけ合っている。さすがに大規模な演習、気合の入り方も違うようだと、俺はしばし訓練風景を眺めていた。

響く金属音、逆巻く風、飛ぶ水刃、弾ける火花。

甲冑姿のマギアの騎士とハイドラの軍団員は睨み合い、汗を飛ばし、怒号さえ聞こえる――。


「…………それにしても、気合が入りすぎじゃないか……?」


と俺が呟いたところで、向こうから大柄な騎士が歩いてくるのが見えた。

鬣のような茶髪を風になびかせ、眉間にしわを寄せた様子は、辺りの風景も相まって獅子のような印象に拍車がかかっている。


「ベルナールさん」


「厄介なことになってすまんな」


マギア王国騎士団第一騎士団長、ベルナール・バーミリオンは開口一番不機嫌そうに言った。


「仕方ありません。他ならぬハイドラ王国第一王子の命ですから」


「そうか、ヴォルーク王子に直接お目にかかったのだな」


「昨夜の夕食の席に呼ばれまして」


「……王子とノノ王女の夕食の席に、か」


「そうです」


「ヴォルーク王子は氷魔法に大層興味をお持ちだそうだからな。……しかしそれにしても、胃の具合が悪くなりそうな晩餐会だな」


ベルナールが同情するような笑みを漏らす。

彼の言葉から察するに、ベルナールはいまだヴォルークに謁見していないようだ。


「――ともあれ、本日の共同演習を終え、宴会をすませれば、明日の朝にはマギアへ帰還だ。そう考えれば胃痛も今しばらく我慢できようというものだ、お互いにな」


「大丈夫ですか、騎士団長殿がそんな愚痴を漏らして」


半分茶化すようにそう言うと、ベルナールはその辺に転がっていた丸太に腰掛ける。


「愚痴くらい漏らさんとやってられんさ。お前も管理職だから分かるだろう」


「幸いにしてマギアで留守番をしているうちの研究員は優秀で、どちらかと言うと俺は愚痴を言われる側ですが……。まあ、これだけの数の兵士たちがひとところに集まれば、トラブルが起きない方がおかしいでしょうね」


「人の数だけ問題は起こるものだ。しかし、今回の負傷者の規模は想定外だった。ハイドラに残すわけにもいかん。船や馬車の座席の数は圧迫されざるをえず、王宮に帰っての報告業務も手こずるだろう。おかしいな。マギアへ帰るのも億劫になってきた」


ベルナールがやれやれと大げさな素振りで言ったのに対し、俺は首を傾げて尋ねる。


「……そんなに負傷者が出たんですか?」


「ん?」


俺とベルナールはお互いにきょとんとした表情で顔を見合わせ、兵士たちが演習を行っている平原を横目で見やり、また視線を戻す。


「聞いているはずだろう。昨日の演習中に新入り達の間で諍いが起き、両軍ともに数十人規模の負傷者が出たと」


「……いえ、そんなトラブルが起きていたとは、今初めて知りました。両軍ともに? 諍いの原因は何だったんです」


ベルナールは不思議そうに眉を寄せながらも、俺の問いに答えてくれる。


「お互いがお互いに『向こうが喧嘩を売ってきた』と主張しているらしい。先に怪我を負ったのがこちらの騎士だったことを考えれば……。いや、推測で相手を貶すのはさすがにまずいな。ともあれ、きっかけとなった数人の言い争いが、戦闘に発展し、周りの者たちも巻き込んだようだ」


「なるほど、よくある喧嘩が大規模なものに発展してしまった、と」


「普段の訓練中にもよくある。競争心というのは得てして暴走しやすいものだからな。他国の似た立場の者が相手となれば尚更だが…………」


ベルナールはその先の言葉を言うかわりに、眉間を揉んで嘆息した。

そもそも此度の共同演習の目的が、両国の良好な関係性、堅固な信頼関係を示すものだというのに、怪我人を多数出すほどの喧嘩が起こったというのでは本末転倒だろう。何事もお題目通りには行かないという訳だ。


しかしそれにしても……、俺がこの一件を聞き及んでいなかったことに、ベルナールが意外そうな反応をしたのは何故だろう。

そもそも彼の第一声、厄介なことになったという台詞に、謝罪が付け加えられていたことにも違和感を覚えたのだ。


「ローレン、ヴォルーク王子から何と言い渡されている?」


「ハイドラに氷魔法の有用性に疑問を抱いている兵士たちがいる。その者たち30人と真剣試合をせよ、さすれば皆納得するだろう、と。それが水晶との交換条件だ――。そう仰せつかりましたが」


「そこから先の話は」


「先の話……?」


首を捻る俺に、ベルナールが何か説明しようとしたその時、背後からどよめきが聞こえた。先ほどまで剣を打ち合っていた音がぱたりと止み、皆が一方向に目を向け、姿勢を正している。


ヴォルークとノノの乗った馬車が到着したのだ。


ベルナールは一瞬だけ逡巡したのち、俺との会話を切り上げて、マギア王国の騎士たちに大きな声で「訓練止め、整列!!」と大呼した。





総勢千人にも及ぼうかという数の視線が、一段高い櫓の上に立つヴォルーク・H・アフィリオーに注がれる。

首元まで伸びた黒髪、無造作に伸びた髭に、赤のガウンを羽織る様子は、鉄の甲冑に身を包んだ兵たちの姿とはあまりに対照的だ。

しかし彼の姿が視界に入った途端、黒狼軍の兵たちの表情が緊張に引き締まったのは気のせいではないだろう。一見怠惰に見える一挙手一投足にも不思議な迫力があり、目を惹きつける何かがある。それは強者にしか纏いえぬものだ。

マギアの騎士団の一人が、ハイドラの王子は愚か者だと小声で噂するのを聞いたことがある。しかし少なくとも、黒狼軍の兵士から畏敬の念を抱かれていることは間違いないように思われた。


ヴォルークは整然と等間隔に並ぶ兵士たちを眺め、口を開く。

しかし、距離があるのであまりよく聞き取れない。

マギアとハイドラがなんとか、氷魔法がどうとか、そんなことを言ってるらしかったが、そのほとんどは砂塵とともに風に流されてしまう。周りの人々も粛然とした表情を浮かべているが、似たようなことを考えているのだろうと思う。


聞き取ることを諦め、うっかり欠伸など漏らしてしまわないようにと腹に力を入れたところで、ふと、ヴォルークが言葉を切り、視線を巡らせた。

そして、わずかに片頬を持ち上げて言う。


「形ばかりの挨拶は退屈だろう。さっさと本題に入る」


その言葉は、先ほどまでが嘘のように、はっきりとこちらの耳に届いた。

ヴォルークは手すりに手を置き、右後ろを振り返る。誰かに呼びかけているようだった。


「――――」


ヴォルークの背後、薄暗がりの奥から細身の男が音もなく姿を見せる。

瞬間、心臓がどくりと音を立てた。


まさか、どうして。騎士団でもないあの人が、何故ここにいるのか。ひょっとしたら他人の空似なのではないか。

そう思い、僕は目を細める。


しかし、そんな考えを即座に否定するようにヴォルークの言葉が響いた。


「この者が、他でもない氷魔法発見における第一人者、ローレン・ハートレイである。是非この機会に、その魔術を披露してもらいたいと思い、この場に招いたのだ」





なんだか全校集会を壇上から見下ろしてる気分だな――。

そんな場違いな感想を抱きながら、俺はヴォルークが挨拶を行う様を背後から眺めていた。

無論、言葉をかける相手は制服姿の学生たちなどではなく、全身を武装した屈強な兵士たちである。無数の甲冑が、頭上からの冬の日差しを受けてぬらぬらと光る光景は、さながら鉄の絨毯のようだ。


「ハイドラとマギアの大規模的共同演習という、いまだかつてない行事がここに執り行われたことを、非常に喜ばしく思う。この機会を両国発展の足掛かりとし、なお一層の関係を築いていくことこそが――――」


ヴォルークは、当たり障りのない言葉をよどみなく並べる。

なんとなく意外に思いながらそれを聞いていた俺は、すぐに、最前列でカンペを掲げた臣下が立っていることに気が付いた。


内心で、なるほどと納得しつつ、俺は先のベルナールの言葉について考える。俺がヴォルークから聞いていた話に、何やら先がありそうだという不吉なものだ。


こうして演習場に運ばれてきた以上、交渉自体が破談になったわけではないだろう。アニカもノノも、何か話が変わったとは言わなかった。

すると気になるのは、昨日の演習で起きたという若い兵士たちの諍いである。ベルナールの言い方は、その事が今日の真剣試合に関係があるという風だった。


厄介なこと。

ベルナールは何を指して、そう言ったのだろうか。


そこでふと――、いつの間にかヴォルークの挨拶の声が聞こえなくなっていることに気が付いて、俺は視線を上げた。

ヴォルークは一つ息を吐き、頭を掻く。

どうやら台本を読み上げることに飽きたらしかった。


「――形ばかりの挨拶は退屈だろう。さっさと本題に入る」


そう言って、ヴォルークはこちらを振り返る。

口元に笑みを称えながら、好奇を帯びた視線が俺に向けられていた。


「ローレン・ハートレイ、立て」


「――――は?」


「何を間抜け面を浮かべている。ここに来い」


意味が分からずただ視線を返すばかりの俺の腕を、ヴォルークは力強く引っ張る。俺はよろけながら、前へ数歩出た。

瞬間、夥しい数の視線が俺へ突き刺さる。ぞわりと、周りの空気の温度が下がったような錯覚を覚え、体が針金を巻き付けられたように強張る。


「この者が、他でもない氷魔法発見における第一人者、ローレン・ハートレイである。是非この機会に、その魔術を披露してもらいたいと思い、この場に招いたのだ」


ヴォルークは、一段声を張り上げて言う。


「マギアで氷魔法が発見されたことに驚かなかった者はいないだろう。誰しもが思い描きながら、絵空事だと諦めていたものだ。しかし、氷魔法はここに存在した。ローレン・ハートレイは魔術の歴史に大いなる転換点を生み、これから氷魔法は人々の日常に溶け込んで行くに違いない」


功績をたたえているように聞こえるが、まるでいい気がしない。むしろ晒上げられているかのようだ。


「しかし、理解することと受け入れることは違う。氷魔法の実用化について、いまだ疑問を覚えている者もいるだろう。それもまた、まともな感覚だと考える」


ヴォルークが表情を探るような視線をこちらに向けているのを感じる。

俺は目を合わせないように、表情に出さないように努めることしか出来なかった。


「百聞は一見に如かず。氷魔術の有用性を示すには、実物を肌で感じるしかない。そこで、わがハイドラ黒狼軍の有志数名とローレン・ハートレイの手合わせを行おうと考えた。だが――」


ドン、

とヴォルークの拳が手すりを叩いたので、俺は驚く。


「ここでひとつ、あってはならぬことが起きた。昨日の演習、マギアとハイドラの兵の間で諍いが起こったと言う。余は呆れかえった。……一体、何に呆れたと思う」


ヴォルークの鋭い視線が、黒狼軍の兵士の方へゆっくりと動いた。


「貴様らの不甲斐なさにだ」


「――――」


黒狼軍の兵士たちが一斉に息をのんだのが分かった。

彼らは直立不動と無表情を崩さないが、動揺と恐怖は隠しようもない。鎧の内側の震えがこちらまで伝わってくるようだ。


普通、人が叱られているのを横から見るとき、なんとなく優越感を覚えるものだ。

しかし、今の俺はとても他人事のようには考えられなかった。ヴォルークが何に呆れているのか、怒っているのか。その結果が、自分にどう返ってくるのかが恐ろしくて仕方なかった。


「争い結構、諍い結構。強さを求むる上ではごく自然。そのくらいあって初めて健全だ。――だがしかし、黒狼軍とはハイドラに生まれた強き狼たちの群れなれば、牙を折られるような軟弱者は不要である。

先に手を出しながら、無様に負け恥を晒すなど言語道断である。挙句、一人の騎士見習いに複数人が打ち負かされたなど……」


「!」


「マギア王国騎士団には、我が軍の非礼を深く詫びねばならぬ。遠路はるばるハイドラへ赴いてくれたというのに、教育の至らぬ愚か者たちが噛みつき、迷惑をかけた。それに対してマギア王国騎士団の洗練されようはどうだ。先輩騎士を助けるために勇気ある行動をし、責任を押し付けることもせず喧嘩両成敗とした。氷魔法以外にも、我が国はマギアに多くのことを学ばねばならぬようだ」


この場にいる、ヴォルーク以外の全員が戸惑っているのが分かった。

両国の友好を築くための象徴的なこの場で、自身が率いる軍団の愚かさを叱咤し、詫びている。昨日の彼の言動を思い返せば、それはあまりに意外な態度だった。


しかし――、真に俺が戸惑ったのは、その部分ではなかった。

ヴォルークの言葉に何気なく含まれていた『一人の騎士見習い』という部分。

そんなはずはない。厳密に言えば、まだ騎士団へは見習い入団もしていないはずのあいつが。ひょっとしたら、別の騎士見習いのことだろうか。


半ばそう願うように、俺は数百人の騎士団員たちの列を見る。


「くしくも、マギア騎士団の見習いは優秀な氷魔法の使い手であるという。そこで、余は演目を変更することとした。マギアの優秀な氷魔術師2人の試合を執り行い、その技術、魔術への姿勢を学ぶ機会にしたいと思う。構わないだろう――、ローレン・ハートレイ?」


「――――」


俺は何か返答をせねばと理解しながら、言葉を喉から先に出すことが出来なかった。

騎士団の長い隊列の最奥――、かすかに肩を揺らす一人の団員と目が合ったから。見つけてしまったからである。


時が止まり、音が消えうせる。

4年前のナラザリオ邸での記憶、3週間前のダミアン邸での光景がよみがえり、そして自分たちが今から何をせねばならないのかを理解し、俺はがくがくと顎を震わせた。



「ヨハン……、そんな――……」


辛うじて絞り出されたその声を聞いた者はいなかっただろう。

あるいはただ一人、ヴォルーク・H・アフィリオーだけが、その呟きを聞き取ったかもしれなかった。


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