第21話 副将サーベージ・ドノバン


『救国の英雄』

サーベージ・ドノバンは、そう呼ばれている。


8年前、ハイドラがある国より侵略を受けた折――、

一人で千の軍団を迎え撃ち、壊滅に至らしめ、あまつさえ敵の本部隊が拠点としていた場所を町ごと焼いて、侵略阻止に著しく貢献したことより、そんな二つ名で呼ばれるようになったらしい。ハイドラにサーベージありと他国まで知れ渡り、黒狼軍の二番目の席に就いたのもそのタイミングだったそうだ。


僕はその話を聞いた時、素直にすごい男が隣の国にいるのだと思った。

だが同時に、それは『英雄』というよりも、『鬼神』と呼ぶべきではないかとゾッとしたものだった。


――そんな男が、すぐ目の前で座ってこちらを見ている。

四方から騎士たちの騒ぎ声が聞こえる中、ここだけ取り残されたようなように感じられ、僕の背筋に冷たい汗が流れた。


「……氷魔法を見せてくれ」


「――――」


しばらく眺め回すような視線を僕に向けていたサーベージがふと言った。

しかし、僕は一瞬その意味が分からず固まってしまう。

サーベージはかすかに眉を顰め、再度言った。


「氷魔法だ」


「!」


それが命令であることに気が付いて、僕は反射的に手に魔力を込めた。


氷の礫が宙に浮かぶ。

すると、サーベージはそれに鼻先を近づけて覗き込んだ。


果たしてこれは一体どういう状況なのかと、僕は思わずルベンを窺う。

しかしいつの間にか、さっきまでいたはずの場所に彼の姿はなく、食べかけの皿だけが取り残されていた。

逃げたな、と辺りを見回すがすでに遅い。気持ちは分かるが、新入りにこの状況を押し付けて去るのは指導役としていかがなものか……。


そこで、食い入るように氷魔法を観察していたサーベージが、ふと手のひらをこちらへ突き出したので俺はまたも驚く。サーベージは淡々とした口調で問うた。


「――どうすればまとまった一塊になる」


夜の平原の中、サーベージの手のひらがぽうっと光を帯びる。

そして、その中で小さな粒がきらめいているのが分かった。


それが氷魔法を会得する際の初期段階であることに気付き、僕はようやく質問の意図を理解する。サーベージは水魔法の使い手であり、氷魔法についてのアドバイスを求めにやってきたのだ。一つ唾を飲み込み、僕は答えた。


「氷魔法は、あくまで水魔法の応用です。肝要なのはその過程を――、あるいはイメージを、脳内で省略しないことです」


「……イメージ?」


「まず水の粒がそこにあり、その粒ひとつひとつの動きを限りなく抑制することで氷となる――。それが氷魔法の仕組みです。氷のイメージばかりが先行すると、この魔法はうまくいきません。水から氷へ変化させる過程を丹念に反復練習することが、最短経路かと思います」


僕は氷の礫を一度落とし、水魔法を発動し直した。

水の粒が集合し、塊になり、動きを止め、たちまち氷へと変貌する――。その過程を意識的にゆっくりと披露して見せた。


「…………」


サーベージは無言でその様を見つめる。

果たして彼の問いへの答えになっているかは自信がなかったが、僕の言葉と目の前の光景を、入念に咀嚼しているように見えた。


氷魔術の上達を目指す上で、必ず壁となるのがこのイメージの問題だ。

王都魔術学校においても、数年前から氷魔法がカリキュラムに組み込まれているが、それでも実用レベルまで至る生徒はごく僅からしい。

氷魔法の実在が判明した。その手順も解明された。マギア王国中の有望な若者が勢ぞろいしている。

それでもなお、既存の水魔法のイメージを上書きするのは一苦労なのである。


さしもの『救国の英雄』と言えども、その例外ではないだろう。

僕がそんなことを考えながら氷魔法を維持していると、厳しい表情をしていたサーベージがすっと身を引き、小さな声で言った。


「――――理解した」


「え」


立ち上がり、右手のひらを閉じたり開いたりして見せるサーベージ。

そして手のひらの上に、大きな水の球を生じさせた。

と思った次の瞬間、


ビキッ……!


と言う音を立てて、水の塊が白く冷気を放つ氷の塊へと姿を変えた。


「…………」


サーベージは自らの眼前に浮かぶそれを、無表情で眺め、適当な場所に向けて勢いよく射出する。

握り拳2つ分ほどの巨大な氷塊は、固く均された地面にえぐるように食い込み、辺りに土をまき散らした。


「――――!」


魔術学校の生徒や、マギア王国騎士団員が会得に多大な労力を要している氷魔法を――。あるいは、僕が何年もかけてなんとか物にした氷魔法を――、目にしたその日に、たった一言のアドバイスだけで会得してしまったことに、言葉を失う。


天才ならば見たことがある。

この世界には、僕など及ぶべくもない天才がいることも知っている。

しかし、目の前の男が見せたものは、そういった天才性とも異質であるように思われた。その違いをうまく説明は出来ないが……。


「感謝する、ヨハン・F・ナラザリオ」


「――――あ……」


返事も待たず、サーベージは元来た方向へと去って行った。

暗がりに消えるその背中を見つめながら、僕は改めて、ハイドラ王国黒狼軍副将、サーベージ・ドノバンと言う名前を頭に刻み込んだのだった。





「ローレン殿。これ以上の訪問は難しいかと思います。本日はここまでと致しましょう」


馬車に乗りかける俺に、サイモン・ボイシーチから声がかかる。

俺はすっかり夜となり星さえ瞬き始めた空を見上げ、同意した。


「……そうですね、さすがに今日はもう諦めます。わがままに付き合わせてしまって申し訳ありません」


「いいえ、我々の仕事は顧客の要望を叶えることですので」


俺は小さく会釈をして、馬車へと乗り込んだ。


ボイシーチ商会でのやり取りを終え、俺たちはこの日の午後いっぱいを使い、サイモンの言う心当たりのある取引先を訪ねて回った。

セイリュウの新しい拠り所となる霊水晶を見つけるためである。


その結果得られた、いいニュースと悪いニュースがある。

いいニュースは、霊水晶を保有している収集家は、意外にも少なくなさそうであるという事。本日、日暮れまでに訪れることが出来た取引先は4件。

そのうち霊水晶を保有していたのは2件。拝見できた霊水晶の数はなんと8つ。

正直、精霊窟やナラザリオの水晶と比べれば、大きさも純度もかなり落ちる。中にはビー玉サイズのものもあった。しかしそれでも、現在のペンダントに比べれば全然マシだと言えた。


悪いニュースは、その8つの霊水晶のうちに、セイリュウのお眼鏡には適うものはなかったという事である。


「いやあ、ビビって来ないもんだねえ。というかむしろ、変に潜り込もうとするとビビッて弾かれちゃう感じなんだけど。いやぁ参った」


ペンダントから顔だけ覗かせたセイリュウが、他人事のようにぼやく。


「色や大きさは問題じゃないんだろ?」


「そこは大丈夫。ボクはむしろ、他の精霊が先住してたらどうしようと思ってたけど、そこも心配なさそうだったね」


「彼らが持っていたのは、スザクが言う所の加工済みの霊水晶だった。だが精霊が住んでいるわけではなかった。それは何故だ?」


「さあ、何でだろう……。見る限り、内在する魔力の量にそこまでの違いはなかったけど」


「何にせよ、物件が空き家なのは好都合だがな」


「ううん……」


セイリュウは心底不思議そうに首をひねる。

訪問先をめぐる間中、俺はせめてセイリュウが求める条件を絞れればと考えていたのだが、セイリュウ自身にもいまいち掴めていないらしいのだからしょうがない。

ならば試行回数を増やす以外に方法はなく、何らかの法則性が見えるまで様々な水晶を見てみるしかないというのが、一日目の探索終了時点の結論だった。


地道な情報の積み重ね作業自体は苦ではない。

ゆえに問題は、セイリュウを連れ回しての霊水晶探しに、ハイドラに滞在する数日間という厳しいタイムリミットがあることと、霊水晶を所持している心当たりも数に限りがあるということだ。


「……ごめんね、ロニー」


セイリュウがいつになく申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「自分ですると決めたことだ。俺に謝る必要はないが……、問題はサイモンさんやアニカさんを連れ回すこと、そして目当てのものじゃないという言い訳にも限度があるってことだな。俺たちにもよく分からないんだから、なおさら疑問に思ってることだろう……」


「そうだよねえ……。声が届くなら、ボクから謝るんだけど」


「無駄な気を回すな。今日はもう大人しく寝てろ」


セイリュウが大人しく頭をひっこめたのを確認し、俺は馬車の座席に背中を預けて息を吐いた。


「ハイドラに滞在できるのは、明日、明後日、明々後日の3日だ。明後日の夜、ハイドラの王宮で大規模な酒宴が予定されていること、明々後日にマギアへの帰りの船が出ることを考えれば、まともに探せるのは多めに見積もってもあと一日半……」


あるいは、ノノ王女に交渉をして、一人この国に残してもらうという最終手段もある。その場合、滞在場所や、マギアに残して来たテルビーたちのことなど多くの問題が生じてくる。何よりも金銭的な問題はいかんともしがたく、ぶっちゃけノノ王女や騎士団に工面を依頼するしかない。

知り合いの厚意に甘えるような真似はしたくないという思いと、背に腹は代えられないという思いが俺の中でぶつかりあう。


「――――あ……」


そうして俺がハイドラ王宮があるらしい方向へと首を向けたところで、ふと今まで思い付いていなかったアイデアがよぎる。


それは、この近辺の収集家が加工済みの霊水晶を保有していたことを考えれば、ハイドラ王宮に保管されていても何ら不思議はないということだ。

むしろ、ハイドラ王家こそ何百年も前から続く旧家の筆頭であり、王国各地からの宝物も収められているはずだ。そして、もし交渉を試みるならば、ノノ王女から同行の許可を得て遠征に参加した今回しかないのでは――……。


そこへ、コンコンとドアがノックされる。アニカだった。


「――どうしましたか?」


「本日、ノイオトに宿を手配しており、そちらに今から向かう予定だったのですが、サイモン様よりあるご提案がございまして」


「提案?」


「本日ボイシーチ邸にお招きしたいと。ご夕食と、一晩お部屋も用意いただけるとのことでございます」


「――それはまた、急なお誘いですね」


「ローレン様さえよろしければ、手配している宿は取り消しが可能です。如何いたしましょう」


「こうも連れ回した挙句、自宅にまで招いていただいては申し訳ない限りですが……、なおのことお誘いを断るのは無礼でしょう。是非にと伝えていただけますか」


「承知いたしました」


アニカはそう頭を下げ、ボイシーチ商会の馬車の方へ歩いていく。

その数分の後、馬車は緩やかに出発した。


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