第20話 水晶探し
「結論から申し上げますと、現在この『イハイオット水晶』の供給はほぼ枯渇している状況でございます」
部屋に戻って来るなりそう述べたのは、恰幅の良い50代ほどの男だった。
ボイシーチ商会会長――、サイモン・ボイシーチ。
絵にかいたような太鼓腹と、瓶底のような眼鏡の向こうから丸い目玉を覗かせる様には、信楽焼のタヌキが否応なしに想起される。
今、俺とサイモンが向かい合っているのは、街の大通りに面したひと際目立つ白塗りの建物の一室である。
さすがハイドラ屈指の大商会とあって、商談部屋の内装や装飾は過剰なまでに豪奢で、部屋の隅で直立している金色の甲冑が視界に入った時には少なからずぎょっとした。それが財力を顕示するためなのか、この男の趣味なのかは分からない。
レザートレイに載せられて返ってきたペンダントを、首元へと付け直しながら俺は尋ねた。
「……つまり、現在は手に入れる手段がないという事でしょうか」
「そうは申しません。しかし、ローレン殿が仰るような純度が高く大きな水晶を、今から採掘するのは極めて難しいと言わざるを得ません」
「加工技術についてはどうでしょう?」
「職人に見せて参りましたところ、分かる限りでは、特殊な加工がされている形跡はないということでございました。少なくとも、一般的に加工された水晶などと違いは見受けられないと」
「そう、ですか」
採掘の見込みが薄いという点については、覚悟していたことだ。
しかし、特殊な加工が見受けられないという所感についてはやや意外だ。
一般的な水晶と加工方法が違わないのなら、どうしてスザクは懸念点の一つとして挙げたのだろう。
『人の手を介して初めて霊水晶となる――』
その言葉の意味合いを、俺は受け取り間違えたのだろうか。
しかし幸か不幸か、今はこの問題について頭を悩ませる必要はない。
見つからない石の加工方法を悩んでも意味がないからである。
ゴト、という音を立て、サイモンがテーブルの上に分厚く色褪せた本を載せた。
「『イハイオット水晶』について残っている情報は、残念ながら十分ではございません。800年前の火山噴火以降、溶岩跡から採掘されるようになった――、水晶中の気泡がゆったりと動いているように見える奇妙な水晶――、魔力が多く含まれ精霊教関係者に好まれた時期がある――、という程度。色についても、形や大きさについても記述はまちまちですな……」
俺は差し出された本に目を通す。
精霊窟でも強く感じていたことだが、霊水晶についてのあらゆる情報は、どれもが古く正確性に欠けたものだ。それは、供給が滞ったことにより人々の興味が失われていった様を顕著に表しているように思われた。
「過去の採掘場所を遡り、手つかずの鉱脈を探すということであれば協力は可能です。しかしご想像の通り、手間も人手も時間もかかります。然るに――」
「――採掘に人員や費用をかけるのは無駄。過去に採掘された水晶を保有する人物を探した方が手っ取り早いということですね」
「え、ええ……、仰る通りで」
明け透けな俺の台詞を、サイモンはいささか驚いた様子ながらも肯定する。
「……改めてお伺いいたしますが、ローレン様はそちらの水晶をどちらでお買い求めになられたのでしょう」
「マギアの、ナラザリオという地で見つけたものです。イハイオット水晶という呼び名は今回初めて伺いましたので、そこで採掘されたものではないのだと思います」
「何ゆえ、これをお求めに?」
「魔術研究の素材として有用と判断したからです。魔力が多分に秘められ、その成り立ちについても興味があります」
「……なるほど。魔術研究でございますか……」
俺はなるべく内心を表に出さないように、真実のうわべ部分のみを明かす。サイモンは水晶と俺を交互に見比べるように目玉を動かした後、ふと身を引いて言った。
「わざわざ海を越えてお越しになったのですから、何とかお力添えはさせていただきたいと思います。しかし一般の流通に乗っていない以上、地道に所有者の情報を集めるほかに方法がなく、少なからずお時間をいただく必要がございます。くわえて、商会の長としてこのような物言いをするのは本来恥ずべきことですが……、必ずご希望に添えるかどうかは確約いたしかねます」
「…………」
サイモンの言葉に嘘が含まれているようには思われない。
既に採掘もままならない水晶を探そうと言うのだから、難しい顔をするのももっともだろう。しかし、ここで「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかない。
「急がなければならない事情があるんです。出費については惜しみません。なんなら、持ち主との直接交渉に赴く覚悟です」
出費は惜しまない――、本来ならこんな段階で言うべき交渉材料ではないだろう。
しかし今回のお目当ては、価格表にさえ載っていない遥か昔の遺物だ。
おまけに限られた時間内に手に入れる必要があるともなれば、カードを出し惜しみする余裕はなかった。
「事情と言われましても、持ち主も見つからぬのでは……」
そこまで言っても、依然渋い顔のままのサイモンを、じっと見据える。
「ボイシーチ商会さんなら、目星のつけようもあるのではありませんか。ハイドラに住む骨董収集家、あるいは何世代も前から続く豪家。可能性があれば何でも構いません、出来ればこの遠征中に見つけて持ち帰りたいのです」
「こ、この遠征中に……!? ローレン様、私の話は聞いておられましたか。それはあまりにも無茶でございます」
「この商談室で話し合うだけでは、無茶かどうかも分かりません。お手伝いいただくのが難しいという事であれば、今回のお話はここまでです。……アニカさん、この付近に有力な――――」
「――ちょ、ちょ、ちょっ。お待ちくださいませ、ローレン様……!」
背後のアニカに声をかけたところで、サイモンは両手を前に出して俺の名を呼んだ。
額にはうっすら汗が浮かんでいる。
「……何でしょう」
「事情はともかく、お急ぎであることは痛いほど分かりました。王宮からの紹介でお訪ねいただいたお客様をこのまま帰すというのは、いくら何でも商人としての矜持が許しません」
「と、言いますと?」
「心当たりの取引先がいくつかございます。何よりも、ローレン殿が見ず知らずのところに急に訪ねて行って、持っている宝石類を見せて下さいというのはさすがに無理がございましょう。当商会が仲介をさせていただきますので、しばし準備に時間を……!」
「……ありがとうございます。無論、仲介料はお支払いさせていただきます」
俺がそう言うと、サイモンは困ったように笑った。
「参りますな……、交渉の過程をまとめて飛ばしてしまわれては。我々商人の生きがいでございますのに」
「すみません、本当に切羽詰まってるんです。俺だってこんなに焦りたくはないんですが」
俺は立ち上がり、改めて背後のアニカを振り返った。
アニカは一つ頷くと「いつでも馬車がお出しできるよう、用意してございます」と言った。
〇
遮るもののない満天の星空を見上げ、僕は白い息を吐いた。
別れてマギアを発った第一陣と第二陣が合流した本日――。
ハイドラ王国黒狼軍の所有する広大な演習場にて一通りの訓練を終えた後、マギア王国騎士団はテントを張り野営を行っていた。
遠くには、丸太を組んで火を起こし、その周りで大声で笑い合う男たちの姿が見える。夜の暗闇が覆い被さった平原に、浮かび上がるオレンジ色の炎。甲冑を脱ぎ捨て、国の隔たりもなく肩を抱き合う騎士たちの影。
それはどこかで見た絵本のワンシーンのようで、妙に現実味のない光景だった。
「ハイドラでは16歳からお酒が許可されているそうだよ」
「!」
そう声をかけてきたのは、指導役のルベン・ミコーニである。
「混ざりたいなら混ざってくればいい。今なら色々と無礼講だぜ」
「……いえ。年齢以前に僕はまだ一応学生ですから、さすがに弁えなければ」
「はあ~ん、さすが優等生だねえ」
「そんなんじゃありません、本当に」
と、そこで、僕はルベンが両手に皿を持っていることに気付く。
同時にルベンがにししと笑った。
「はい、余った肉をいただいてきたから食べな。慣れないこと続きで色々と疲れたろ、明日もある事だしさ」
「――ええっと、夕食なら配給分を既にいただきましたが」
「あんなので足りる訳ないじゃないか、食べ盛りなのに。大丈夫大丈夫、ハイドラ軍からのご厚意だからむしろ食べないと失礼だよ。ここは狩りが盛んだから、魚よりも肉を食べる方が一般的だそうだ」
「何の肉なんです?」
「それは知らないけど」
先輩騎士に差し出された食事を無下にするわけにはいかず、また夕食が物足りないと思っていたのも事実だったので、僕は正体不明の肉にかぶりつく。
何とも野性味あふれる味付けではあったが、野外で食べると不思議と身に染みる旨さがあった。しばらくして、思い出したようにルベンが尋ねてくる。
「そう言えば結局、団長は何の要件だったんだい?」
「――ああ、ええっと」
僕は口元をぬぐいながら、つい数時間前のことを思い起こした。
マギア王国第一騎士団長ベルナール・バーミリオンに引きずられ、僕は黒狼軍のテント前へと連れていかれた。
目的は『氷魔法の披露』であり、お披露目の場には黒狼軍の重役らしき人物たちがずらりと並んでいた。一人一人自己紹介をしてくれた訳ではないが、一目で分かるような有名人もその中にはいた。
右目に眼帯をはめた銀髪の男は、黒狼軍副将、サーベージ・ドノバン。
濃い隈の目つきの悪い小柄な女性が、第一軍隊長、ロズヴィータ・インゲボルグ。
左頬に大きな縫い傷が目立つ、縦にも横にも大柄な巨漢は、第二軍隊長、バルドーア。
ハイドラ王国は、マギア王国以上に実力主義の成り上がり社会だと聞く。僕の目の前に並ぶのは、いずれも己の実力を示し、軍を率いるまでのし上がった猛者ぞろい。
その肩書にたがわず、彼らから発せられる威圧感にはただならぬものがあった。
魔術学校で平穏な学生生活を送る同級生たちからは、決して感じられぬ鋭利な覇気だ――。
僕は、間違っても無礼を働かぬよう、言われるがままに氷魔法を披露した。
手のひらの上に氷の礫を回転させ、用意された的に向けて放つ。木の的に穴が開くと、「おお」という歓声が上がった。
そこからいくつかの質問を受けた後、僕は離れた場所に待機しているように言われ、ベルナールと黒狼軍が情報を交わしている様子を、訓練終了の鐘がなるまで眺めていなければならなかった。
「――黒狼軍の重鎮の前で魔法を披露とは、大役じゃないか。すごいな」
「一応反応は悪くなかったようですが、果たして僕が呼ばれる必要があったのかは疑問です」
「王国騎士団の諸先輩方も氷魔法の扱いにはまだまだ手こずっているというのが実際らしい。先日見せてもらった氷魔法を見る限りではあるけど、こと氷魔法においては、これだけ大勢いる中でもヨハンが群を抜いて優秀なんだろうと思うよ。ダミアン様やローレン殿がいれば、また話は違ったかもしれないが……」
「――!」
僕は不意に登場した名前に、あわや手元の皿を取り落としそうになる。
「ローレン……、ハートレイ殿、ですか?」
「おお、ヨハンも名前を知ってるのか。魔術何とかかんとか室長で、マギア王国騎士団に氷魔法の指南をしたのは彼だ。俺より一歳上なだけだけど、噂によれば団長たちとも張る実力の持ち主だとか……。まあ、とにかくすごい人がいるんだ……。ん、どうかした?」
「…………いえ、何でもありません」
「マギア王国に帰ったら会ってみるといい。お忙しいようだけど、たまに騎士団演習場にも顔を出されるからね」
「……そう、ですね」
動揺が表情に出てしまったことを自覚し、僕は誤魔化すように顔を伏せた。
脳裏に、先日ダミアン邸に訪れた時の光景がよぎる。
すると、どうしようもなく胸が軋んだ――。
「ヨハン・F・ナラザリオ」
不意に、低くどすのきいた声で名前を呼ばれて、僕は驚いた。
振り向けば、暗がりからこちらへ歩いてくる人影がある。その人物の顔が、焚火の明かりに照らし出されて、さらに驚くことになった。
ハイドラ王国黒狼軍副将、サーベージ・ドノバン。
右目に黒い眼帯を付けた銀髪の男――、片目が隠れているにもかかわらず、眼光鋭くこちらを射抜いてくる様は、つい先ほど黒狼軍テントで見かけた時の印象と変わらない。
僕と、僕以上に驚いた様子のルベンが、慌てて立ち上がろうとするのを、サーベージは小さな所作で制した。
「不要だ。一つ聞きたいことがある」
「――き、聞きたいこと、ですか?」
「ああ」
サーベージは頷いて、どかっと僕の隣へと腰を下ろした。
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