第22話 再交渉
到着したボイシーチ邸は、今日訪れたどの邸宅よりも大きく豪勢だった。
さぞかし儲かっているのだろうと感心しながら、案内されるままに中へと進んでいく。すると、両開きの扉が使用人によって開かれた。
ダミアン邸よりもなお広い食堂には、至る所に金箔が貼られ、派手な肖像画が壁にかかり、飾ってある美術品のどれもがギラギラとしている。どうにも落ち着かない部屋だと思いつつも、並べられた肉肉しい料理は否応なしに俺の食欲を刺激した。
食事を終える頃には、俺の腹はパンパンになった。サイモンの突き出た腹の理由を察しながら、俺はやにわに襲ってくる睡魔を感じる。
聞けば既に、熱い風呂と、客室にはベッドも用意してあるとのこと。俺は急なことにも拘らず、手厚いもてなしに驚くばかりだった。
しばし満腹感に身を浸していると、対面のサイモンが俺の胸元をちらりと見てから言う。
「目当てのイハイオット水晶は、残念ながら見つからなかったようですな」
「……申し訳ない限りです。サイモンさんにも、皆さんにも」
「いえいえ、報酬をいただくという約束の上の事ですので気遣いは不要です。魔術研究にあたり、私共には分からない重要な要素がおありなのだろうと推察いたします」
「ええ、まあ、そんなところです……」
俺は少なからず罪悪感を感じながらも、誤魔化したような返事をするしかない。
しかしまさか、うちの精霊が気に入らないから駄目だとは言えまい。
「……明日も引き続き、イハイオット水晶をお探しになられますか?」
「非効率的であることは承知していますが、新たな採掘が見込めない現状では、これしか方法がないんです。ご協力いただけますでしょうか」
「幸い、まだ心当たりのある取引先はいくつか残ってございます。商会の者にも声をかけおりますので、明日の朝にはいくらかの情報は集まっているかと」
「お手数をおかけします。しかし、結局徒労に終わってしまう可能性もあります。そこで少し考えたんですが、ハイドラ王宮がイハイオット水晶を蔵しているという可能性はどのくらいあり得るんでしょう。そもそも交渉の余地があるかはさておき、ですが」
俺がそう問うと、サイモンは苦々し気に目を細めた。
「……かつて保有していたことは確かですが、今もなお残っているかは分かりかねます。何十年か前、宝物庫が火事に見舞われたという事件を聞いたことがございます。事実多大な損害が生じたとか」
「火事、ですか……。しかし、明日一日かけて見つからなければ、そこに賭けてみるしかないと思っています。今は一縷の可能性でも見逃すわけにはいきませんから」
「…………」
サイモンは、そこでふと目を伏せた。
その沈黙に何か意味がありそうに思えて、俺は彼の言葉を待つ。すると、サイモンは椅子を引き、立ち上がった。
「ローレン殿はどうしてもこの遠征中にイハイオット水晶を見つけたい。その為には、手間も費用も惜しまない――、でしたな?」
「――は、はい。その通りです」
「…………すみません、少々だけお待ちいただけますか」
「? それは、構いませんが……」
サイモンは小さな会釈だけ残して、食堂奥の扉から出て行く。
去り際の表情は、なにかを迷っているように見えたがどうかしたのだろうか。俺は首をひねりながらも、一人取り残された広い食堂で大人しく待つしかなかった。
5分ほどして、サイモンは両手に布のかかった何かを抱えて戻ってきた。
「お待たせして申し訳ございません。本日、我が家にお招きしたのには、実は理由があったのでございます。一度、こちらをご覧いただけますか」
サイモンはそうとだけ言い、布をめくった。
瞬間、俺の体にぞくりと鳥肌が立った。
「――――!」
光沢のある丸く大きな水晶が顔を見せたから――、だけではない。無限に蒼く透明なその様が、ナラザリオの祠に訪れた時の光景をフラッシュバックさせたからだ。
「ち、近くで見せていただいても……!?」
「構いません。ただ、手だけは触れぬようにお気を付けを」
俺は勢いよく立ち上がり、水晶へと駆け寄った。
さっきまで重くのしかかっていた眠気があっという間にどこかへ飛んでいき、心臓がばくばくと音を立てている。ある種の確信を抱きながら、俺は小声で(セイリュウ、起きろ……!)とペンダントへ呼びかけた。
「……………………………………」
(セイリュウ!!)
「……………………んん……、なんだよぉ……。ついさっき寝てろって言ったばっかじゃない? いい子のセイリュウちゃんは、ちょうど寝付いたところ…………」
ぬるりと緩慢な動きでペンダントから飛び出し、重そうな瞼をしばつかせる小さな青蛇。見るからに不機嫌そうな寝起きの顔で俺を見上げ、文句を言いかけたセイリュウは――、しかし、台詞の途中で一時停止でもしたかのように固まった。
そしてテーブルの上、四方の灯りに照らし出される青色の水晶を見つけたかと思うと、俺も驚くような速度で水晶へとダイブする。
「…………わぁお……! え、うそ、すっごい! マジか、こいつは予想外だぜ!」
水晶の中から、歓声に近い甲高い声が聞こえてくる。
俺は水晶をよく観察する振りをして、中のセイリュウに声をかけた。
(当たりか?)
「これがビビッて来るってやつだよ、ロニー! あの日割れた水晶が蘇ったみたい! 快適な寝床なんて何年振りかなあ! 見て見て、こんなに尻尾伸ばしても平気なんだ! すごいでしょ!?」
(いや、そっちの様子は見えないんだよ)とツッコんだところで、サイモンが横から顔を覗かせる。
「いかがでしょう、ローレン殿」
俺は立ち上がり、彼の手を握った。
「驚きました、サイモンさん。これこそが俺の探していたイハイオット水晶です……!」
「…………左様でございますか……。それはまた、何と申しますか……」
「これはサイモンさんの個人的な所有物という事になるんでしょうか。それとも商会で取り扱っているものですか? 何にせよ、是非この水晶を買い受けたいと思います。申し上げました通り、出来る限りの対価は支払わせていただきます……!」
降って湧いたうってつけの霊水晶にテンションが上がり、俺は鼻息荒く詰め寄る。
しかし――、サイモンの表情は先ほどまでと同様に、妙に暗いままだった。
自分ばかりが興奮していた事を自覚し、俺は握っていた手を離す。
サイモンが今の今まで、この霊水晶の存在に言及しなかったこと。そのうえで、サイモンが今夜邸宅に俺を招いたこと。きっと何か、彼の表情が明るくない理由があるのだと気づいた。
「……きっと、何故もっと早く言わなかったのかとお思いでしょう。正直、これについて明かすべきかどうか、道中もずっと悩んでおりました。本来であれば、今日訪ねた取引先でご所望の水晶が見つかるのが一番だったのですが……」
「――それはつまり、この水晶の取引の話はしたくなかった、ということでしょうか」
俺が問うと、サイモンは首を縦に振るでも横に振るでもなく、難し気に唸った。
「回りくどい言い方をしても仕方ありませんな。取引をしたくなかったのではなく、出来なかったのです。この水晶は残念ながら、どれだけお金を積まれようとも譲るわけには参りません。何故なら、ボイシーチ家の初代がハイドラ王家よりいただいた褒賞――、家宝だからでございます」
「…………!」
「当商会は、初代ボイシーチが立ち上げたものでございます。それゆえ、今のようにハイドラ中に手広く商いの網を巡らせることが出来ているのですが、幸いなことにハイドラ王家からも厚く御贔屓いただいておりました」
サイモンはそう言って、横の壁に掲げられた肖像画を見た。
そこに描かれているのは、サイモンとよく似た恰幅のいい禿げ頭の男だった。どうやら彼が初代ボイシーチということらしい。
「イハイオット水晶の採掘が全盛期だった折に、精霊教と王宮との取引に多大な貢献をしたということで賜ったものだと聞いております。同時に今代まで続いているという、当家繁栄の象徴でもあるのです」
「……なるほど。ボイシーチ家に精霊の加護があるようにと授けられた訳ですね」
「仰る通りです」
サイモンがこの水晶を見せることを躊躇していた理由に納得し、俺は大きく息を吐いた。
この霊水晶はボイシーチ家の家宝であり、本来なら間違っても取引のテーブルに載せていいものではない。しかし、由来からも分かる通りに出来のよい物であるゆえに、水晶探しに難航している俺の手がかりになるかもしれないと思った……。
ということなのだろう。結果、幸か不幸か、当の精霊がいたく気に入ってしまっているわけで――、
「はぁ~、快適快適。こんな完璧な水晶を今日のうちに見つけ出しちゃうなんて、マジすごいよ。もう出たくない、これ以外考えられない、これでずっと一緒にいられる。ハイドラにまで来た甲斐があったってもんだよ~。ね、ロニー?」
話を聞いていなかったのだろう、水晶の球から顔を出したセイリュウは満面の笑みをこちらに向けてくる。
俺はその生意気面を横目にしながら――、深く頭を下げた。
「……サイモンさん。無理を承知で重ねてお願い致します。なんとかこの水晶を譲っていただけないでしょうか」
このチャンスを逃したら、二度とこんな幸運は訪れないだろうという予感が、胸の内で強く騒いでいた。と同時に、俺はサイモンが部屋を出る前に残した言葉を思い出す。
『イハイオット水晶を見つけたい。その為には、手間も費用も惜しまないか』とサイモンは確認したのである。それはつまり、手間と費用を惜しまなければ交渉の余地があるという事を示唆しているのではないか?
サイモンはコホンとひとつ咳払いをして言う。
「……頭をお上げください。私としても、なにも見せびらかすためにローレン殿をお呼びしたわけではございません。本来ならば、交渉の余地はない当家の家宝です。しかし、他ならぬローレン殿ならば、手立てはあるかもしれないと思ってのお話なのでございます」
「…………他ならぬ、とは?」
「ともかく一度席に。改めて、交渉のし直しを致しましょう」
俺は頷いて、席に戻った。
霊水晶から顔を出し「なになに? これ持って帰っちゃダメなの?」とキョロキョロしているセイリュウに、戻って来るようにと合図する。セイリュウは俺の耳元に顔を近づけて尋ねる。
「ロニーちゃん、結局どういう話になったわけ? お値段交渉?」
(もう少し大人しくしてろ。おそらくここが、この幸運を物にできるかどうかの分水嶺だ。……だがまあ、お前が消えていなくなる心配はなくなったと言っていいのか)
「――ん? 心配なくなったって、ど、どういうこと?」
(この交渉が破談となっても、お前はこの水晶に住めばいい。タダ住みだがバレなければ別に問題ないだろ?)
「ちょ、ちょ、ちょ。ちょっと待ってよ。マギアに帰らず、ここで暮らせって? こんな悪趣味な屋敷で、あ、あのおじさんと一緒に……?」
セイリュウは、小さな顔をしかめながら対面のサイモンを振り返る。
そして言った。
「半年で消えた方がマシだよ……」
(失礼すぎるだろ)
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