第17話 案内役


ハイドラ王国へ無事到着したマギア王国騎士団第二陣は、錨を下ろしてそのまま、港町モロニで一夜を過ごした。


宿が手配されていたとはいえ騎士団員全員分には足りず、ほとんどの団員は、せっかく港に着いたのにも関わらず波に揺られて眠ることになった。

幸いなことに――、というか、ひとえにノノ王女の計らいで、俺は豪勢な宿の一室を割り当ててもらうことが出来た。

しかし、船を下りてもずっと体がゆらゆらして、寝付くのに妙に時間がかかってしまった。


あくる朝、王国騎士団とノノ王女を乗せた馬車がハイドラへと出発する折。

てっきり俺も着いて行くと思い乗り込みかけたところで、『ハイドラにおいて手広く鉱石を取り扱う商人が、イハイオット火山麓の街を拠点としている』という情報を聞き、ならば真っ直ぐ向かった方が早いだろうということになった。


早速の別行動となったことに俺は驚いたが、同じくらいノノも驚きの表情を浮かべていた。彼女は思案する素振りを見せたのち、「ローレン様も、なるべく早くお越しくださいますよう――」と小さく言い残してから、馬車へ乗り込んでいった。

元々水晶探しの為に同行を提案したことや、平生の彼女の言動を考えれば、その言葉は少々意外なように思われた。


俺は彼女の乗る馬車を見送りながら、服の中からペンダントを取り出して声をかけてみる。しかし、ハイドラに着いたら起こしてくれと言っていたはずの蛇からは、何の反応も返ってこなかった。





「――――ン様」


「…………」


「ローレン様、到着でございます」


「………………っ、と。……あれ、もう着いたんですか?」


いつの間にか眠ってしまっていたらしい俺は、名前を呼ぶ声で覚醒する。

気づけば馬車は停まっており、扉を開けた下から紫色の髪の女性がこちらを見上げていた。


「長距離の移動、お疲れ様でございます。相手方様との約束にはいましばらく時間がございます。昼食になさいますか?」


「……ええっと、お腹にはまだ余裕がありそうなので、まずはこの街の様子を見て回りたいと思いますが構いませんか?」


「承知いたしました」


そう深々と頭を下げたのは、今回俺の案内役をしてくれるというアニカと言う名前の女性だ。

顔の右側半分を紫色の前髪で隠した彼女は、やや褐色の肌と首に巻いたストール的なファッションが特徴的である。

横を通り過ぎる人々も似たような出で立ちであるところを見れば、肌色はマギア王国に比べて温暖な気候が、ストールはハイドラに到着して以来ずっと吹いている砂っぽい風が影響しているのだろうと思われた。


国が違えば、人々の暮らしも大きく違うものである――。

と、俺は月並みな感想を抱きながら、街の様子を眺め歩く。


見上げれば、覆いかぶさるように黒く高い山が聳えている。

イハイオット火山は――、富士山ほどとは言わないまでも綺麗な円錐の形をしており、加えて周りはほぼ平地のため、とてもよく目立つ山だった。船でハイドラに近づいた時点でうっすらと見えてはいたのだが、こうして麓から見上げれば迫力は段違いだ。ぱっと見上げた高さの印象は大体2000Mかそこらで、目を細めて見れば登山道らしき跡がジグザグに走っている。


まあ俺には登る理由も体力もないので関係ないが、宿屋や飲食店が並んでいる所を見れば、登山客向けの観光都市的な街なのかもしれない……。

そんな予想を、せっかくなのでアニカに確かめてみる。


「仰る通り、ここ『ノイオト』の街は入山口としての役割を果たしております。しかしながら、多くの人々がこの街に来る理由はまた別にございます」


「別の理由?」


アニカは小さく頷いたのちに、斜め右方向を指さした。


「六精霊の石像が祀られた巨大な石窟があるのでございます。『ノイオトの精霊窟』と呼ばれ、ハイドラ精霊信仰の聖地とされております」


「へえ、そんな場所が」


初めて聞く施設名に俺は興味を持つ。

間に建物があるせいでここからはよく見えないが、道行く人々はアニカの指した方向に流れて行っているようだ。確かに、登山をするような服装にも見えない旅行鞄を携えた人がちらほらと――……。


「――――」


そこで、一組の通行人が俺の視界に入った。

豪勢な厚手の衣服をまとった恰幅の良い男と、その後ろを荷物を抱えながらついて歩く痩せた薄着の男の2人連れだ。

遠目から見ても身分差は歴然。先行して歩く男の態度から見ても、友人や兄弟という線はないだろう。


そして一度そうと気づいてしまえば、視界に映る人々の中に幾人もそれらしい影が目に入る。しかし当然と言うべきなのか、彼ら彼女らはノイオトの街にごく当たり前に馴染み、誰もそこに違和感を抱いていない。


俺はそこで思い出した。

ハイドラでは奴隷制度が許されているのだという事を――。


無論、隣国の文化として知ってはいた。しかし、奴隷を禁じているマギア王国や、あるいは日本の平和な時代を生きていた俺にとってはあまりにも未知の文化であり、どうにも現実味がなかったのである。

ハイドラが遅れているとか野蛮だと非難するつもりはない。価値観など時代によって変わる相対的なものに過ぎず、過去の風習が愚かだと断ずることは誰にもできない。とはいえ、実際に目の当たりにしてみると、こうも生々しく心をえぐるものかと、俺は自分自身の情動に驚いた。


「…………」


ふと、横から俺の様子をじっと窺う視線がある事に気付き、はっとする。


「――ええと、ではそうですね。もし余裕があるのであれば『ノイオトの精霊窟』を見てみたいのですが可能ですか?」


「問題ありません。ご案内いたします」


俺の提案に、アニカは即座に方向を変え、半歩前を先導して歩き始めた。


淡々とした口調や表情の変化があまり見えないところは、我が家のメイドであるオランジェットと似ている。特にダミアン邸に厄介になって間もない頃のオランジェットはこんな雰囲気だったかもしれない。

しかしそれにしても、行動の一つ一つに無駄がなく、余分な会話もない。

「事務的」という言葉がピッタリくるような女性だなと思った。





「――――おお……」


イハイオット火山の裾を刳り貫くように掘られた巨大な空洞。

背後から差し込む日光と、中で無数に灯る蝋燭の光が相まって、石窟内は幻想的な雰囲気に満たされていた。

そしてその灯りに照らされて浮かび上がるのは六体の巨大な石像。正確には4体の動物を模した石造の両脇に、太陽と月が浮かんでいる。

その中でもやはりひと際目立つのは、左右の石像を押しのけんばかりに優雅に羽を広げた鳥の火精霊像であった。


マギア王国精霊教会聖堂にも荘厳な石像が掲げられていたが、大きさは比較するべくもない。一体一体が奈良の大仏くらいある石像を見上げていると、まるで自分が小人になった錯覚を覚えるほどだ。


「……ん?」


と――、俺は精霊像達のちょうど中央に、小さいがやけに厳重な鍵がかけられた扉がある事に気が付いた。鍵がかけられているだけでなく、人が近寄らないように鉄柵まで置かれている。

関係者用の入口……、ともどうやら違うようだ。6体並ぶ精霊像のど真ん中にそんなものを取り付けるのは不自然だし、扉の装飾もただの出入り口というにはやけにしっかりとした造りなのだ。

しかし近寄ってみても、扉には説明らしきものは何も書かれていなかった。


「この扉の先には、何があるんですか?」


俺は振り返って、アニカに尋ねてみる。


「詳しくは私も存じ上げないのですが、一般の参拝者の立ち入りを禁じた祈祷室があると伺ったことがございます。年に数回の祭事以外にはほとんど使われないのだとか……」


「祈祷室、ですか」


「詳細な説明をご希望であれば、管理者を呼んでまいりますが」


「いや、そこまでは……。何でこんな所に扉があるんだろうと気になっただけなので………………」



スゥ――――……。



そう首を振りかけた時、視界の端を紐状な何かが通り過ぎたので、俺は言葉の続きを失った。


水色の紐が、ふわふわとくねりながら、目の前の扉方向へと吸い込まれていく。

いや、紐が宙を飛ぶはずがない。よく見知ったヤツだ。


「――――は? ちょっと、おい!」


それが自分の胸元から飛び出したセイリュウであると気づいた時にはすでに遅い。

俺は思わず声を張り上げたが、セイリュウはまるで聞こえない様子で、あっという間に扉の奥へと消えてしまった。


「……??!」


俺は唐突に起きた異常事態に目を丸くするしかない。


今朝呼びかけた時には反応がなかったが、いつの間にか起きていたのか? 

精霊窟と呼ばれる場所で、何か気になるものがあったのだろうか? 

それにしても何故、俺の呼びかけに応えず行ってしまったんだ? 

というか、アイツは俺がしているペンダントからそう離れることは出来ないはずではなかったか……?


「いかがなさいましたか、ローレン様」


背後から声がかけられる。

急に妙な挙動をする俺に、アニカが不思議そうな表情を向けていた。


俺は何と答えていいものか分からず、アニカと扉を交互に見比べる。

しかし、扉は硬く鍵が閉ざされたまま、セイリュウが戻ってくる様子もない。俺は内心で「なにやってる、あのバカ……!」と歯ぎしりをしながら、アニカに言った。


「――た、大変、急なお願いで申し訳ないんですが、この先の祈祷室を見せていただくことは可能なんでしょうか……!? 少々興味がありまして……!」


あまりに突飛な頼みだったが、アニカは少し思案した後に頷いた。


「私の一存では判断が出来かねますが、教会関係者に確認をしてみることは可能です。しばしここでお待ちいただけますでしょうか」


「本当にすみません!!」


俺は駆け足で入口方向へ向かう紫色の髪の案内役に、最大限の感謝を込めて頭を下げた。そしてすぐさま背後の扉へ舌打ちを漏らす。


(毎度毎度お前は、妙なタイミングでばかり出てきやがって……! おい、今ならギリギリ暴力に訴えずに許してやるから。いい子だから帰ってこい、セイリュウ……!)


鉄柵に体を寄せ、扉の奥に必死に声をかける俺の姿は、残念ながらどう客観的に見ても不審者だ。

しかし、そんな努力虚しく扉はすんと沈黙したままである。1分、2分、3分と待ってみても何の音沙汰もない。俺は徐々に怒りを通り越して心配になってきた。


セイリュウは勝手気ままな性格ではあるが馬鹿ではないし、嫌がらせをするような性格でもない。何より根がおしゃべりなアイツが、俺の声を無視してどこかに飛んでいくのは不自然だ。


妙な胸騒ぎがする。少なくともセイリュウのいつもの気まぐれとは、何かが違う気がする。

そう、どちらかと言えば、セイリュウがあの扉の奥に呼び寄せられていったような、そんな印象――――、



「お待たせいたしました、ローレン様」


駆け足で戻ってきたアニカが、俺の名を呼んだ。

彼女は後ろから歩いてくる教会関係者らしい人物をわずかに振り返った後、声を潜めて俺にこんな耳打ちした。


(何かお急ぎの事情があるとお察しいたしました。王宮より許可を得て視察に来たマギア精霊教会関係者――、という名目にしてございますので、お話を合わせていただきますようお願い致します)


「――――!?」


アニカはそれだけ言うと、俺の背後に着いた。

俺は背中を押されるようにして、唐茶色の装束を羽織ったハイドラの精霊教会員と相対することになる。


「これはこれは、急なことで驚きました。なんでもマギア王国からの視察でいらしたとか。失礼、ハイドラ精霊正教会の司教を務めておる者です」


そう言うのは白髪交じりの人の好さそうな人物ではあったが、その小さな目の奥にはこちらを訝しむような視線も混ざっている。

俺は大きく深呼吸してから、半分やけっぱちで答えた。


「――ええ、申し訳ありません。此度、マギアとハイドラの共同演習については耳に入っておられますでしょうか。これには、両国間の文化交流という意味合いも含まれております。そこで、各国の精霊教会の関係性もより密接にしていこうという事で派遣された次第なのです。恥ずかしながら、ノイオトの精霊窟に足を運ぶのは初めてだったのですが、精霊像のあまりに厳かな様に胸を奪われ、言葉を失っていたところです。この感動を是非ともマギアへ持って帰りたいと思いますが、この奥に特別な祈祷室があるという話を伺いまして、せっかくならばと我儘を言ってみたのでございます。無論、ご迷惑であれば、このまま大人しく去ろうと思いますが……」


どうだ……?

適当にそれらしい言葉を並べたつもりだが、ちょっとでもツッコミが入ればボロが出かねない。俺は恐る恐る司教の反応を窺った。


「いえ、経緯についてはよく分かりました。はるばるマギアよりお越しいただいた上に、精霊窟に深く感動したとまで言われましては、ご要望に応えぬわけには参りません。本堂に比べると狭い祈祷室となっておりますが、是非お通り下さい」


司教は目を細めて、袂から鍵を取り出して扉へと歩み寄る。

俺は胸をなでおろした。


ガチャリ、ガチャリと、2つの錠前が扉から外される。

神聖な場所に違いはないだろうが、それにしても厳重だ。そう思い、俺は司教に尋ねた。


「……この奥には、何か特別なものが祀られているのでしょうか」


司教はわずかにこちらを振り返って頷いた。


「左様でございますね。少しばかり由緒のある水晶の球が祀られております。と言いましても、いつの時代に誰が祀ったものかという正確な記録があるわけではないのですが……」


「――――水晶が……?」


扉が開き、薄暗い通路が覗く。

奥から流れて来たひんやりとした空気が、俺の鼻を撫でた。

司教は言う。


「是非、その目でご覧になってみられるとよいでしょう。どうぞ中へ……」


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