第16話 追い風
「予定よりはやや遅れておりますが、本日の夜半までにはハイドラ王都近郊の港に到着する見込みでございます。王女様やローレン様には港町で一泊をしていただき、明日、王都のダボンへ馬車で向かっていただきます」
騎士団員の一人がそう報告し、敬礼をして去っていく。
マギア王国を出航して4日目の朝――。
俺は暇を持て余して、また甲板へと上がってきていた。
2日目の嵐以外には特に主だったトラブルもなく、右手に陸を見つつ船は進んでいる。両国の国境たる山脈を通り過ぎて久しいので、今遠くに見えている海岸は既にハイドラ王国のものということになるのだが、マギア王国に比べれば随分と緑が少ないようだった。
「しかし、やはり予定通りとはいかないよなぁ。結局は風任せな訳だからなぁ」
俺は高くそびえるマストを見上げながら独り言ちる。
この船だって海や風を最大限利用するための人々の英知の結晶に違いない。
それは正しく科学と呼ばれるべきものだと思うが、この世界の人々にはそうと認識されていない。
これらはあくまで精霊の恩恵たる風を利用して生きるための知恵であり、感謝の心を忘れればすぐに失われてしまう程度のものである――、という考えが根を張って、引っこ抜くには深すぎる。
科学の種が育まれているのであればいいじゃないかとも思うが、きっとこの世界の科学には先がない。
必要最低限の知恵を使って生きていても、その支えとなっている部分が『精霊の恩恵』に置き換えられている為、進歩のための貪欲さがないのだ。
自分たちは既に大きな力を与えられており、それが幸運なことであると満足してしまっている。
愚かと言いたいのではない。
俺からすれば、ひどくもったいなく映ってしまうというだけである。
そんなことを考えながら、俺はマストの周りを歩き回っている。
「…………まあ、この辺りか」
メインマストに張られた帆がまとめて視界に入る位置に立ち、周囲を見回す。
幸い、辺りにも見張り台にも人影はない。
加えてやや予定より遅れているという旅程。試すならば今しかあるまいと思い、俺は右手を伸ばす。
朝食時の人気がなくなるタイミングを見計らって船の上に来たのは、単純な興味に基づく実験のためであった。
つまり『風で走る船ならば、風魔法で速度を上げることが出来るのではないか』という、子供のような興味だ。
この帆船には魔法を組み込んだ機構などは見当たらない。その理由を、俺は『魔法から得られるエネルギーは推進力に変換するには効率が悪すぎるから』であると考察したが、それは一般的な水夫に扱える魔法の話だろう――。
「……帆に風が吹けば船の速度は上がる。厳密に言えば、横風などから得られる揚力によっても船は進むが、押す力が強くなればそれだけ船は進むという認識自体には間違いがないはずだ。あと気になるのは反作用の力がどう働くのかという部分だが……。まあいいや、とりあえずやってみよう」
俺は袖口に仕込まれた杖に魔力を注ぎ込み、イメージを思い描く。
空気中にある魔素――、目に見えない塵のごとく無数の点として存在するそれらを群として捉え、力を溜め、拳を突き出すように一挙に押し出す。すると、
ボッ――……!!
という音が眼前から発せられ、顔の前の空気が前方に引っ張られるような強い力を感じた。その数瞬後、船のメインマストにかけられた帆が反り返り、足元がぐんっと動く。
俺は思わずよろけそうになった。
「動いた……、よな……? ただ船が揺れたっていうだけじゃなかったように見えたが、単発的な空気砲じゃこんなもんか……。船を進めるとなれば継続的な風を送り続ける必要がある訳だ」
俺は脳内のイメージを修正する。
風魔法というのは、全属性の中で最も適正者の多いポピュラーな魔法である。
実際に扱ってみて分かるが、原理としてはおそらくもっとも単純――。
魔素を思い通りに動かすというイメージに、周りの空気が伴って動くというのが風魔法の骨子だと、俺は考えている。
果たして、俺の定義するところの『魔素』には質量があるのか――、という問題には今もって結論が出せていないが、魔法が発生する時点で起きる発光現象や、水魔法においての嵩増し、光魔法において結晶化がされたことを考えれば大なり小なり質量を有しているのではないかと思う。
あるいは、水魔法では水分子を、火魔法では可燃性の気体を増幅させたように、空気そのものを複製しているのだと仮定すればそこには当然質量が存在し、動けば風が起こるだろう。
そこで、次のステップへ進む。
今俺がやりたいのは、前方向への持続的な風の発生……、つまり送風機の再現である。プロペラが回ることによって背面の空気が押し出される送風機は非常に偉大な発明だが、これを魔法によって再現しようとするのは意外にも難しい。
イメージした空間内の魔素を押し出して突発的な風を生み出すこと自体は比較的容易であるのに比べ、それを持続させるためには新たな魔素に働きかけて押し出し続けなければならない。
この4年間で色々な風魔法使いを見て調べた結果、どうもこの辺りが上級者とそれ以外の境界線になるようだった。
具体的に言えば、かなり反復した練習が必要になり、無論それは俺も例外ではなかった。
「残念ながら持続的な風魔法は、いまだ練習不足……なので、少しズルをさせてもらおう」
俺は魔法の有効範囲を広げ、縦向きの風の輪を作った。
己の魔力量に飽かせた、やや乱暴な風魔法の応用とも言える。
つまり、帆に継続的な風を供給すればいいのであれば、真っ直ぐに風を吹かせる必要はないだろうという発想だ。脳内に思い浮かべている映像を例えれば水車が近い。下から上へ吹き上げるように回転する強力な風の流れは、確実に帆を前へ押し出す。
すぐには思った通りにはならない。
しかし、小さな風の渦が竜巻へと育つように、俺の思い描くイメージは魔素を介して現実へと影響を及ぼす。
やがてゴオゴオと激しく風が立ち始め、船中の帆がバタバタとはためき、俺の体がのけぞるほどになる。
そして回転の力は推進力へと変換されて、
「――――!」
俺の足元、船全体がゆるやかに前進した。
行けると確信し、俺は内心でガッツポーズをする。
すると最初は重々しかった船も、徐々に抵抗を失い、目に見えるほどに加速をし始める。
ザブンザブンと船が水をかき分ける音がする。はるか右側に見える陸が流れていくのが分かった。
そうなると、果たしてどこまで加速するのだろうかという欲心も湧いてくる。
一定空間内で回転し続ける巨大な風の車輪は、作られた流れに乗って安定し始め、既に最低限の魔力しか供給する必要がなくなっていた。
ならばと、俺は回転力を上げようと再度力を込め――――、
「――っと、あぶっ……!?」
既にずいぶん加速していた船に、さらに推進力を生もうとした瞬間、俺は自らが生み出した風の勢いと揺れる船体のせいで足をもつれさせ、後ろに倒れてしまった。
「あだっ!!」
視界に火花が散った。
腰と後頭部を甲板に打ち付け、鋭い痛みに襲われる。
同時に、目の前で回転していた風の渦はフッと霧散する。
すると船はゼンマイが切れたようにゆるやかに速度を落とし、元の状態へと戻ってしまった。俺は後頭部をさすりながら、改めてマストを見上げた。
「あたたた……、ちょっと調子に乗りすぎたな……。しかし、とりあえず思いつきから始まった実験は成功したと言っていい。風魔法の扱い方次第では、こうしたことが出来るというのは魔法の科学的応用における発見だ。あとでメモしとこう」
強力な風魔法なら、これだけ巨大な船も動かせる。
この事実には、単に魔法のエネルギー量の話だけではなく、魔法は空間で発動されており、術者を支点にしているのではないという再確認も含まれていた。
たとえば小舟のお尻部分に送風機を取り付け、マストに向かって風を送れば船は進むのかという疑問が湧いたとする。なんとなくそんな気もするのだが、実際にやってみるとそう上手くはいかない。
確かに送風機からは前方向に向けたエネルギーが生じているのだが、それと同等の後ろ方向へのエネルギーが送風機自体にも生じているからだ。作用反作用の法則である。
水魔法などでも同様の疑問を抱いたことがある。
水の球を飛ばす時、その反動は術者に返ってくるのだろうかというものだ。
結論――、今回の風魔法エンジン実験からも分かるように、術者に反動は返ってこない。
魔素それぞれが各々の場所を支点に運動エネルギーを生んでいるらしいのだ。
「このあたりにはひょっとすると、光魔法において障壁が座標に固定されたことなどが影響しているのかもしれない。そろそろ、これだけの特性を持つ魔素を一つの素粒子と仮定していいのかという疑問も生まれるな。俺が魔素と呼んでいるものの中にも、実は種類があるのでは…………。ん?」
そこまで考えたところで、前方から歩いてくる巨大な人影が視界に映った。
眉間に皺を寄せたバーミリオンだった。
「ここにいたか、ローレン」
「ええ、何か御用でしたか?」
「御用でしたかじゃない。なにやらおかしなことが起こっただろう」
「――お、おかしなこと?」
言うまでもなく、おかしなことというのはこの船が急加速したことだろう。思わず声が裏返った俺をバーミリオンがじっと睨み、犯人を見つけたという表情を浮かべた。
「……やはりお前の仕業か、ローレン。何をした、いたずらに風魔法でも吹かしたのではあるまいな」
「い、いたずらに吹かせたりなんかしていませんよ」
「では何故、風もないのに勝手に船が走り出したのだ」
「魔術研究のため、有意義なる風魔法の実験を行っていたんです。結果、極めて貴重なデータが取れたところで、無事実験は終了しています。ということなので、俺は部屋に戻って資料をまとめようかと――」
俺はそう口早に言い、仁王立ちする騎士団長の横を通り過ぎようとする。
しかしバーミリオンはそれを許さなかった。俺の腕を巨大な手で掴む。
「先進魔術研究室室長殿よ」
「………………はい」
「その実験とやらは、風魔法によって船の速度を上げるというものなのか」
俺は嫌な予感に顔をしかめるが、バーミリオンの腕を振り解く力がない。
「まあ、概ね、そういった方向性と言ってもよいかもしれないといった心持ちで……」
「その実験成果を是非、有効活用していただきたいのだが」
「ええ、それは勿論。研究がまとまりましたら」
「いいや、今すぐだ。聞いているかどうか分からないが、先日の嵐によって些か予定が遅れていてな。どうにか急ぐ方法はないものかと思案していたところなのだ」
そう言ってバーミリオンは、俺の目を覗き込む。
その絵面はまさしく獅子に睨まれた鼠で、これは頼み事の体を装った命令だった。
「し、しかし……、確かに俺は魔力量には自信がありますが、ハイドラまで飛ばせと言われればさすがに魔力が枯れてしまうと思いますよ」
「そこまでやれとは言っていない。先程の具合を見る限り、数十分も走れば遅れは取り戻せるだろう。親切だと思って、その莫大な魔力を多少貸してくれんか」
「いや、親切って……」
「ちなみに、先程急に船が加速したことにより、驚いた騎士団員が複数名転び、皿が4枚割れ、ノノ王女が「きゃっ」と悲鳴をあげられたそうだ」
「謹んでご協力させていただきます」
〇
夕日が水平線にちょうど消えかかるかという頃合い――、
マギア王国遠征部隊第二陣は、ハイドラ王国の港『モロニ』に到着し、第一陣の船の隣へと錨をおろした。
予定より1時間早い到着であった。
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