第15話 優雅なナイトクルーズ



ベルナール・バーミリオンは、3人いる騎士団長の取りまとめ役的な人物だ。

天才リーキースや厳格なゲレオールに比べ、団員からの信頼もひと際熱く、次期総長に推す声も大きいと聞く。


港町パーロへ到着し、にわかにごった返す騎士団員たちに的確な指示を出す様子を見れば、確かに人の上に立つべき風格というものがあるように思われた。


「…………」


俺は忙しそうな人々を、係留された巨大な帆船の甲板から見下ろしている。

流線型の細長い船体に数十メートルはありそうなマストが三本。そこに大小さまざまな帆が張られており、その形状は以前の世界のガレオン船あたりと類似している。

人類の技術の歴史と言うものは世界線を隔てても似た道のりをなぞるものなのか、なにか概念的な繋がりがあるのか――。その確かな所は俺には分からない。


「しかし、これに乗ってハイドラまで行くのか……。馬車に揺られて1週間と、波に揺られて4日なら後者の方がいいんだろうが……、どうなんだろう。船酔いとかすんのかな……」


そう言いつつ、初めての船旅に多少なりワクワクしているのも事実。

巨大帆船に乗るなどというのは、子供の頃から抱きつつ前世では果たされなかった夢の一つだ。風を受けて帆で走るという不器用な乗り物だが、そこにはあらゆるロマンが詰まっている。


巨大な船体がなぜ水に浮くのか、なぜ横に傾いて倒れないかという部分には、浮力の基礎的な原理が働いている。それらの事を知識として知ってはいたが、実際にその甲板の上に立ってみれば、実感として得られる感動はまったく別種のものだった。

木と油の濃い匂い、それらに覆い被さるように吹く冷たい潮風、波の音などは、文字の上からでは分からない。


しかし意外だったのは、帆船を見渡す限り魔法が関与している痕跡がまったく見当たらない点である。強いて言えば、船首に精霊を模した金の像が取り付けられている程度。風魔法や水魔法で船の速度を上げようという機構があるのではという俺の期待は裏切られてしまった。

まあ考えてみれば、人一人から出力される魔術のエネルギーなど微々たるものだし、加えて持続性もない。巨大な船を動かそうというならば、オールでも漕いだ方がいくらかマシなのだろう。



「――これから先の旅程にうんざりしていると思ったが、案外平気そうな顔をしているじゃないか。ローレン」


ふと横から声をかけられ、俺は顔を上げる。


「ベルナールさん」


先程まで下の港で人員を捌いていたと思ったベルナールが、いつの間にか横に立っていた。


「まあ、王宮の白百合と喩えられるノノ王女と相席でここまで来たのだから当然か」


「ちょ、ベルナールさんまでやめてくださいよ……。ただでさえ皆さんからの無言の視線がやけにジトリとして居心地が悪いんですから」


「まあ、多少の嫉妬の目線は受け入れて堂々としていることだな。おどおどしていると余計に反感を買うぞ?」


他人事だと思って笑うベルナールの言葉に、俺は諦念混じりのため息を漏らしながら同意した。


「そんなもんですかね……。ええと、遠征の予定はつつがなく?」


「うむ。王都からここまでも万事問題なしだ。ヨルク様の統治が始まってからは、治安が良くなり賊も減ったからな」


「賊がいたとしても、マギア王国騎士団様一行に手は出さないでしょう」


「加えてお前もいることだしな。下手に手など出そうものなら身ぐるみはがされるのは向こうの方だろう」


「……戦闘要員で呼ばれたわけではないはずですが」


「だとしても、リーキースと並ぶ実力の男が王女の隣に座っているというのだから、こちらの気も大きくなろうというものではないか?」


ベルナールは機嫌よさそうに、俺の背中を叩く。

ただでさえ、立って隣に並ぶと二回りほど大きさが違うのに、宥めるような素振りをされるとまるで親子の様だ。


「なあに、ノノ様に大事なければそれでいい。我々も見張っているが、お前にも協力してもらいたいと、そう言っているだけだ」


「そこはまあ、最善を尽くさせていただきますけども……。そう言えば、さっき名前の上がったリーキースさんはどちらにいらっしゃるんです? まだお見掛けしていないんですが」


過大な俺への期待を逸らそうという意味も含め、王国最強の男の名を上げる。

しかしベルナールは一瞬きょとんとした後に言った。


「リーキースは王都で留守番をしているぞ?」


「――あれ、そうなんですか? 本人から参加する予定だと聞いていたんですけど」


1週間ほど前だろうか。

誕生パーティで起きた出来事について一言説明をと尋ねて行ったとき、この遠征の話題にも触れたのだ。その時には、ベルナールとともにハイドラへ向かう予定だと言っていたはずだ。


「ああ、そういう事か。同行させた方が演習が盛り上がるだろうという意見もあり、直前まで調整はしていたのだがな。辺境で起きたトラブルにゲレオールが駆り出されることになり、そこへリーキースまで……、というのはさすがにまずいだろうということになったのだ。奴には申し訳なかったがな」


なるほどと俺は頷き、既に影もみえなくなった王都の方向へ首を向ける。

そして改めて、ヨハンについて一言伝えておいてよかったと思った。

まあ事情説明と言っても、ヨハンがあの夜のことをなんと弁明するのか見当もつかなかったので、『昔色々とあった。屋敷に入り込んだ件については俺に非があり、彼を責めないで欲しい――』という、極めてアバウトなものではあったが、リーキースは深くは聞かずに了承してくれた。

さすがにあの日の不審者が、これから見習い入団してくるヨハン・F・ナラザリオとは思いもよらなかったようだが、「お前が色々あったと言うのだから、さぞ色々あったのだろうな」と笑っていた。

リーキースが豪放磊落な性格で本当に良かったと思う。


「なるほど、2週間のこととはいえ、王都に騎士団長全員不在というのは不用心に聞こえますね。いざとなれば総長殿と副総長殿がおられるのでよっぽど心配はいらないのでしょうが」


「いや、実際のところ、今回の遠征には第一、第二、第三問わず優秀な騎士を選り集めているので、王都の人員はかなり薄くなってしまっているのだ。しかし、リーキース王都にありと言うだけで抑止力となり、王宮連中も文句を言わなくなる。それだけ奴の存在感は大きいという事だな」


「……改めて、恐ろしく重い看板ですね。王国最強と言うのは」


王国最強の男。あるいは王都最高魔術師――。

普段、余りに気軽に会話しているのでついつい忘れかけるが、いずれも、若くして他国へも名を知られるほどの実力を示した比類なき天才たちである。

ふと離れて見た時に、そのすごさを実感するものだ。


「しかし精鋭ぞろいの騎士団のさらに選りすぐりと言う訳ですか。王都に駐在している方々だけじゃないんでしょうけど、それにしても随分な大所帯になるものですね」


「はっは、ローレン。これでまだ半分だぞ? 第一陣は既に出航済みだ」


「…………第一陣?」


俺は初耳の情報に驚く。


「なんだ、それも聞いていなかったか? ハイドラ行きの船は二隻用意されていて、あまりまとまって動きすぎるといざという時に小回りが利かないという理由から、先発隊は一日前に王都を発っているんだ」


「つまり全体としてはこの倍の数で、第一陣と合流するのは向こうについてからだと」


「うむ。何か道中に問題があった際、王女様を護衛する第二陣にそれを伝えられるようにという意味合いも――……、おっと。何やら呼んでいるようだ。

ではな、ローレン。部屋を用意してあるから、荷物は早めに運んでおけよ。……おい、そんなスケベそうな顔をするな。さすがに王女と相部屋ではないぞ」


「してませんよ!」


肩で笑いながら船首方向へ歩いていくベルナールの背中を見送ってから、俺は二週間分の荷物を抱えて、船内へと下ることにした。





船が港を発って2日目の夜。


「うぶ、おぉえっ…………!!」


星灯の下のナイトクルーズを楽しむ余裕など一切なく、俺は左右に大きく揺れる船室の隅でバケツとランデブーしていた。つい数時間前に食べたばかりの夕食を無駄にしてしまうことに罪悪感を覚えつつも、湧き上がる嘔吐感には抗えない。


一応なり言い訳をしておくと、船がパーロを出発して一日半ほど、俺は船酔いに見舞われることもなく、船内を見回ったり持ち込んだ本を読むなどして快適に時間を潰していた。昨夜も波を揺かごにばっちり熟睡できたのである。


しかし、今夜もそろそろ寝ようか……、と思っていた頃合いに襲ってきた大波に、俺はベッドから落っことされた。

軋む船体、揺れる足元、歪む視界に俺の三半規管は瞬く間に悲鳴を上げた。

これがいわゆる時化というやつかと、バケツに突っ込んだ頭で考える。


外の音を聞く限り、雷は伴っていないらしいのは不幸中の幸いだった。

雷は高い所に落ちるというのはこの世界でも知られている一般常識だ。高いマストを有する船などいい的である。木造帆船のマストに雷が落ちればどうなるのか、想像するだに恐ろしい。そう考えればこのくらいの状況はまだマシ、とはさすがに言わないまでも、想定内と言える――――……


「――――おぶっ、ぐう」


駄目だ。いくら客観的に状況を捉えるように努めても、遊園地の大型ブランコにでも乗ったかのような揺れは収まることがなく、途中退席も許してはくれない。

船に乗っているはずの大勢の騎士団員たちも同じように悲鳴を上げているのだろうか。それとも鍛え抜かれた屈強な騎士団員にはこの程度の揺れは大したことはないのだろうか。

とはいえ、さすがにノノ王女は平気とはいかないのでは――。


「――――」


ノノのことが脳裏に過った瞬間、にわかに心配になった俺は様子を見に行った方がいいのではないかと思った。

しかしすぐに、バケツを抱えた顔面蒼白の男が訪ねて行っても、何の助けにもならないと思い直した。扉を開けた瞬間、「王女大丈夫ですか、俺はもう駄目です」と言って床に倒れるだけだ。


陸路では時間がかかるという理由で選ばれた海路にも、それなりの苦労があるもの。この世界では国境を渡るという事も一苦労なのだと、身に染みて思い知った。




「おはようございます、ひどい夜でしたね」


「…………ぁ、ぉはよぅござぃます…………」


永遠に続くかと思われるような嵐の一夜がようやく過ぎ、甲板に這い登ったところでノノ王女と遭遇する。甲板の上は昨夜の嵐の影響が多分に見て取れ、木の破片やずた袋が散乱していた。


しかし、手すりに手を置き、ドレスを風にたなびかせながら海原を眺めるノノは、まるで平生の様子と変わらない。

床に手をつき、内臓すべて吐き出したかのように陥没した自らの腹を押さえながら、頭上から注ぐ陽光に腫れぼったい瞼を細めている俺の様子とは、あまりに対照的だった。


「あらあら、ローレン様が一晩のうちにお爺さんのようになってしまわれました」


「……すみません、このような醜態を……。い、今、立ち上がるので……」


「無理をなさる必要はございません、ひどい嵐でしたもの。それに王都の優れた騎士たちでさえあの様子なのですから、船旅が初めてのローレン様は尚のことかと存じます」


そうノノは背後を指し示す。

見回してみてようやく気付いたが、ずた袋だと思っていたのはどうやら騎士団員だったらしく、あちらこちらで白目をむきながらひっくり返っていた。その影は一つや二つではなく、まさしく死屍累々といった有様である。


「あの嵐の中、慣れない操船に追われていたのですからさぞ大変だったでしょう。私もあれだけの嵐を経験したのは初めてでございました」


「……そ、そう仰るわりには、ノノ様はお元気そうですね」


俺が言うと、ノノは恥ずかしそうに頬に手を置いた。


「体質的に、乗り物酔いをしにくいようなのです。それでもあの揺れの中ではよく眠れませんでした。少し寝不足です」


逆に多少は眠れたのか……。

これはどうやら俺が普通で、ノノがおかしいのではと思いつつ、俺は船の手すりに体重を預けて立ち上がった。


昨日のことなど忘れたと言わんばかりに、穏やかな海原が陽光を反射して輝いている。遠くに見える水平線に目をやれば、くたびれた体に新鮮な空気が流れ込んでくる気がする。無理にでも部屋を出て正解だった。


「お辛いかもしれませんが、胃には何か入れた方がよろしいと思いますよ。何かお持ちしましょうか?」


「王女様にそんな……。というより、喉も胃も今ボロボロなので……」


「お気遣いは不要です、辛いときはお互い様なのですから。では暖かい粥でも作ってきましょう。味の保証は致しませんけれど」


「えっ、ノノ王女が作るんですか?!」というツッコミを入れる元気も暇もなく、ノノはパタパタと船内への階段を下りて行った。

船は引き続き、ハイドラ王国を目指している。

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