第13話 出発


王都魔術学校は、広大な敷地と巨大な学舎を持つ、この国における学びの最高峰である。この学校で手に入らない魔術書はないし、この学校で学べない魔術はない。マギア王国の魔術に秀でた若者たちが貴賤の隔たりなしに集い、優秀な指導者の下で研鑽を積む。

そこでは各々の地位よりも実力こそが物を言い、この学校を卒業したというステータスはその後の人生において、大きなアドバンデージとなる――。


そんな謳い文句に期待したこともあった。

母は僕がこの学校に入学することを、まるで人生における最終到達点であるかのように語っていたし、試験に合格した際に行われたパーティは領地をひっくるめたお祭りのようだった。


――――だからこそ、この学園の実態にはひどくがっかりしたものだ。


実際、魔術学校の試験は確かに厳正で大規模なものだったし、試験参加者の30分29が振り落とされたという結果を聞けば、相当な選りすぐりの天才が残ったのだろうと思う。

しかし、ほとんどの生徒は狭き関門を潜り抜けた時点で満足して、あとは退学さえしなければそれでいいと考えているようだった。

加えて、貴賤の隔たりがないと銘打っているはずなのに、結局は過半数が貴族出身の生徒が占めていて、僕が属する学級でも、親の地位が物をいうカースト社会が既に形成されていた。そもそもまともな魔術教育を受けること自体に金がかかるから――、という救いがたい根本的欠陥が、そこには潜んでいた。


無論、全員がそうではない。首席で卒業することを狙っているような生徒は授業へ参加する姿勢そのものが違うし、毎年多数の卒業生が王宮や騎士団にスカウトされていくらしい。


しかし残念ながら、同学年を見渡してみても、どころか上級学年や教師陣を探しても、僕を打ち負かしてくれるような圧倒的な天才はいなかった。


レベルが低いのではなく、きっと僕が期待しすぎてしまったのだろう。


理想としている魔術師の姿と比べると、どうしても見劣りしてしまうのだ。例えば4年前でたった一度だけ手合わせをした魔術師、ダミアン・ハートレイ。

あるいは…………。



僕は今、魔術学園の第一学年棟の校舎裏に足を運んでいる。

滅多に来るような場所ではない。もし気まぐれに外で昼食をとろうと思い立っても、もっと綺麗に庭木が整えられてベンチも用意された場所を選び、こんな木々が生い茂った日陰を選ぶことはないだろう。

では何故ここへやって来たのかと聞かれれば、呼び出しを受けたからだった。


「――あ、ヨハン君っ。ごめんね、わざわざこんな所に来てもらって」


木陰の奥から姿を見せたのは、同じ学級の女生徒の一人だった。何という髪型かは知らないが、金髪を頭の両脇でくるくると螺旋状にさせた彼女は、両手を胸の前で握りながらこちらへ駆け寄ってくる。


「別にいいんだけど……。他の誰かに聞かれたらまずいような話?」


「うん。まあ、そう……だね」


「?」


彼女はもじもじと体を揺らすばかりで、いっこうに用件を話し出す気配がない。話しがないなら帰ろうかと思ったところで、彼女は意を決したように口を開いた。


「あの、ヨハン君は、気になってる子とかいたりするのかなっ……!」


しかし質問の意味が分からず、僕は思わず聞き返す。


「……えっと、ごめん。どういう意味……?」


「具体的に言うと、この学校の中で誰か……、好きな子とかっ、いるのかなどうかなと思って……」


「す、好きな子って…………」


そういう事か、と思わず漏れ出かかるため息を――、僕はぐっと我慢した。

せめて刺々しくならないように言葉を選ぶ。


「ええと……、知らなかったかな。僕はナラザリオっていう辺境の伯爵家長男で、許嫁もいるんだ。だから勿論、この学校の中に好きな子はいないよ」


同年代の若者が集う学び舎である。どこどこの誰々が可愛いとか、彼と彼女が恋仲らしいとかいう噂話が耳に入ることはある。

しかしそういった恋愛観は僕とは無縁の話だ。


『許嫁がいる』

これ以上の免罪符はない。

なので僕は、これを聞いた彼女もすんなり引き下がるだろうと思っていた。

しかし予想外に、彼女は食い下がって来た。


「い、許嫁って言っても、この学校を卒業してからの話だよね? それに一度この学園に入学したら滅多なことじゃ外出許可は下りない。つまり、その許嫁さんにもしばらくは会えないんだよね」


「……? そりゃあまあ、そうだけど……」


「じゃあ、この学校にいる間だけの恋人関係っていうのはどうかな……? ヨハン君、前にこの学校はあまり楽しくないって漏らしてたでしょ? 恋人が出来たら、学校生活も楽しくなるかもしれないよ……?」


なんとも大胆な提案に、僕は呆れを通り越して感心してしまった。

確か彼女もどこかの貴族家ご令嬢だったはず。だとすれば、軽率な行動がゆくゆくは家同士の大きなトラブルを招くことくらい知っているはずだ。

それを踏まえて、彼女はこういった提案をしてきているのだろうか。


そして、仮にもし僕がこの提案を受け入れたとして、最終的な別れが決定づけられている関係性で彼女は幸せなのだろうか。学校生活のいい思い出が出来たと満足なのだろうか。


僕には到底、理解できそうにない価値観だった。


「ど、どうかな……? 勿論みんなには内緒にする。2人だけの秘密の関係っていうことにするよ?」


真正面から祈るようなポーズでこちらを見ている彼女。

特別、彼女を責めようとも思わない。むしろ同学年の友人たちを見る限り、この学校内ではそういった考え方のほうが大多数なようだし、彼女がこの学校において何を重視しているかなど言ってしまえば関係のない事だ。ただ思うのは、僕を巻き込まないで欲しいという一点だけである。


せめて彼女を傷つけないように断るにはどうしたらよいかと考えた結果、僕はもう一つの方の免罪符を取り出すことにした。


「……ごめんだけど、どっちみち難しいかな。まだみんなには言ってないんだけど、来月から王国騎士団に見習い入団することが決まってるんだよ」


「――!? お、王国騎士団に……!?」


さすがに想定していなかっただろう話に、目を丸くする彼女。


「そう、そもそも学校を離れる予定なんだ。仮にここで提案を受け入れたとしても、出来たばかりの恋人を残していくんじゃ仕方ないだろ? だから、ね」


「そ、それって、いつからいつまでの話なの? 授業も受けないってこと?」


「正確な期間は僕も聞いてない。数か月単位になるのか、年単位の話になるのか……。でもまあ、学長さんからの提案だから卒業は出来るよう取り計らってもらえるとは思うんだけど」


「…………そ、そうなんだ。……じゃあ、し、仕方ない……ね」


「分かってくれてありがとう」


僕は彼女がまた別の突飛な案を思いつかないうちに立ち去ろうと、背を向ける。そして最後に一言付け加えた。


「一応、まだ口止めされてるから、ここだけの話ってことで頼むよ」



校舎に沿って歩くと、校庭のひとつに出た。夕暮れの日差しが校舎を囲う高塀の向こうへ沈んでいき、辺りは真っ赤に染め上げられている。

遠くで魔術の訓練に勤しんでいる生徒を横目に、僕は寮の自室へと戻ろうと足を方向転換させた。そこへ、


「――ヨハン・F・ナラザリオ」


呼ばれた方向に顔を向ける。

夕日のせいで顔は判然としないが、どうやら教師の誰かのようだった。


「はい」


「学長殿から、学長室に呼ぶように言伝を受けている。すぐに向かうように」


「すぐに学長室へですか? 一体どのような……」


「どうも騎士団への入団の日取りが変更になるかもしれないという話のようだ。お前も王宮へ赴くための準備をしている最中だとは思うが、まあ、詳しくは学長から聞きなさい」


「……分かりました」


僕は小さく吐息を漏らし、寮がある方向へ向けた足をまた回転させた。





「――っ。…………レクサミーか……?」


不意に廊下の角から現れた人影に、私は少なからず驚く。

すっかり人々の寝静まった夜の王宮内で、衛兵以外とすれちがうと思っていなかった上に、それが他ならぬ身内だったのだから当然だ。


「リ、リカルド兄様じゃないですか」


はたして驚いたのは向こうも同じだったらしく、レクサミーは手に持っていた燭台をあわや取り落としそうになっていた。

壁に映った2人の影が不気味に揺れる。


「ここで何をしてるんだ」


「それはこちらの台詞ですよ。部屋の外を出歩いていること自体珍しい。それとも、いつもこの時間に散歩に出かけておられるんですか? だから怪しげな噂が立ってしまうんじゃないんですか」


レクサミー・M・バーウィッチ――、我が弟は皮肉気な様子を隠そうともせずに言う。そこで俺はレクサミーが左手にも何かを持っていることに気が付いた。どうやらそれは酒瓶らしかった。


「私は、ここで何をしているのかと聞いたんだが」


「はあ? 王宮の中のどこを歩いていようが俺の勝手でしょう。ここは俺の家ですよ。なんなんですか、不審者でも捕まえたような顔をして……。見た目だけで言えば、兄上の方がよほど怪しいじゃないですか」


レクサミーはそう肩をすくめ、曲がり角の奥――、自分がやってきた方向を顎で示した。


「こんな奥まった場所に足を運ぶ理由なんて一つしかないでしょう」


「……父上の見舞いに来たと?」


「無論、そうですよ。兄上だって同じ用件ではないんですか?」


「お前にしては殊勝なことじゃないか。口うるさいと顔を合わせることも嫌ってた男が、急にどういう心変わりだ」


「野暮なことを言うなあ、本当に。俺だって病床に就く父親を心配する気持ちくらい持ち合わせているんです。――ええと、もう行ってもいいですか? 眠いので」


そう言いつつ、レクサミーは私の返事を待たずに通り過ぎていく。

私は頼りない灯りとともに闇へ消えていくその背中を見送った後、振り返った。そして角を折れ、突き当りの部屋の扉の前にたどり着いた。

扉を見張る衛兵がやや驚いた表情をしたのは、レクサミーがつい先ほど訪ねてきたばかりだからだろう。


私は、国王プロバトン・M・バーウィッチの寝室のドアを静かにノックする。

重く分厚い扉が開かれると、広大な部屋の最奥で、ベッドの横のランプがぽつんと灯っていた。


「あらあら、次はリカルドが来てくれましたよ、あなた」


「また遅い時間に申し訳ありません、母上」


「いいのよ、いいの。むしろ今夜は来てくれないのかと寂しく思っていたのよ。さあ、そんなところに立っていないで近くにおいでなさい」


ベッドの傍らに座り、そう手招きをするのはわが母。

王妃ヴィヴィアーヌ・M・バーウィッチは床に臥せる父を優しく撫でていた。私は母が腰かける椅子の、斜め後ろに立つ。


「先ほど、レクサミーとすれ違いました」


「そう、今夜は珍しくあの子も顔を見せてくれたの。あなたとは行き違いになってしまって残念ね。3人でお話が出来ればよかったのだけれど」


「レクサミーが見舞いに来ているとは思いませんでした」


「そうね。レクサミーとこの人は、ついつい口喧嘩になってしまいがちだったものね。だけれどお見舞いに来るのは別に今夜が初めてではないのよ。それでも、この人が眠ったところを見計らってやって来るのは、やっぱり恥ずかしいのかしら。そういうところは、リカルドと似ているかもしれないわね?」


「…………」


私は寝室の扉方向に目をやり、レクサミーの背中を思い出す。

あれと自分が似ているとはあらゆる意味で思えないが、それにしても少し刺々しい言い方をしすぎたかもしれないと反省した。


「みんな私たちの自慢の子供だわ。優しくて、賢くて、才能にあふれてる。この国の未来はとっても明るいわね」


母は、ふふっと微笑みながら言う。

座ったままこちらを見上げる視線は、昔から少しも変わらない。我が子に対する無垢とも言えるほどの純粋なる希望がその瞳を輝かせ、一点の曇りもないのだ。それがあまりに眩しくて、私は首を振った。


「……私など、国政のほとんどを父と兄上に任せて逃げた卑怯者です。父上の容体を窺いに来るのも、そんな罪悪感を少しでも紛らわすためなのです」


しかし、そんな私の言葉を、母はさらに強い口調で否定する。


「決してそんなことはありません。誰一人欠けてはいけない大切な子供たちよ。ヨルクの聡明さも、ソフィアの美しさも、リカルドの素直さも、ノノの優しさも、レクサミーの剽軽さも、シャローズのお転婆も、ハンナの愛くるしさも、どれもが私の宝物なの。だから、毎回言っているけれど、兄弟喧嘩をせずに仲良くするのよ。あなたたちみんなでこれからこの国を支えていくのだから」


「かしこまりました。母上や父上にご心労をおかけしないようにいたします」


全くいくつになっても敵わない――。

するとそんな私の頭の先に、母の手がのびてくる。


「こっちへおいで、リカルド」


「は」


私がその意図を察してひざまずくと、母は白くやわらかな手で私の頭を撫でた。

扉付近の衛兵の視線がどうしても気になってしまうが、これは母による最大の愛情表現であり、兄のヨルクでさえ拒否権を持たぬ絶対の儀式であった。


私はその手を受け入れながら、目線だけで母を見上げる。

齢50を超えても花の妖精のような天性のかわいらしさは失われず、王宮内の利権争いや穢れなど一切知らぬと言った風な母ヴィヴィアーヌは、国民も知るほどに変わり者だった。

そもそもマギア王国の歴史上を紐解いても、国王が娶った妃がたった一人と言うのは珍しい。大抵は王族の血を絶やさぬようにという理由から、数人の妃を抱えるのが通例なのだが、母は頑としてそれを許さなかった。

その代わりとばかりに、3人の息子と5人の娘を産んでみせたので、今やだれも文句を言える者はいないのだが。


それから少しの間、母と雑談を交わしてから、就寝の挨拶を述べて部屋を出る。

真っすぐに自室へ帰ろうとして――、足を止める。そして扉の脇に立つ衛兵にこう伝える。


「もしまたこのような夜半に、レクサミーがここを訪ねてくることがあれば、そっと私に教えてくれ」


私は衛兵が戸惑いつつも頷いたことを確認して、改めて自室へと足を向けた。

兄弟仲良く喧嘩せず……。それが一番だろうと私も思う。しかし残念ながら、この王宮には、母の知らない、人間の底知れぬ欲がどす黒く渦巻いているのだ。





「おお、いい天気だ」


俺は玄関を開けた瞬間に視界に入った、青い空を見上げて言う。

振り返ると、オレンジ髪のメイドが同意するように小さく頷いている。


「港町までの馬車は問題ないと存じますが、海の上は天気も変わりやすいのでお気をつくださいませ」


「ああ」


日にちが経つのはあっという間だ。

まだ数週間先と思っていたハイドラ行きの遠征の日取りが、気づけばもう今日である。

幸い、本日は気持ちいいほどの冬晴れ。まさしく旅行日和だ。

オランジェットが王宮の方向に視線を向けて言う。


「お着替えや、大きな荷物は既に荷馬車に積んでいただいております。ハイドラはマギアほど冷えることはないと思いますが、念のためコートの予備などもしのばせておりますので、必要があればお使いください」


「分かった。それじゃあ」


「そのほか細々とした手周り品は今お渡しした鞄に、酔い止めと胃腸薬なども脇のポケットに入っております。ハイドラ王国は食文化なども大きく異なり、体調を崩される危険がございます。ダミアン様がかかりつけにしている医師から頂いた薬なので、多少なり助けにはなるかと存じます。加えまして、万が一他国での慣れない環境で眠れないといったことがあった場合に備えまして、ご愛用の枕を――」


「――わ、分かった。大丈夫だ、ありがとう。俺も旅の心得が全くないわけじゃないし、いざとなれば頼りになる騎士たちがすぐそばにいるんだから大抵なんとかなるよ」


無限に出てきそうなオランジェットからの注意事項を、俺はストップさせる。

ただでさえ玄関を出る前に、空港の手荷物検査かというような忘れ物チェックを受けているので、さすがに時間が押していたのだ。

オランジェットはわずかにハッとした表情を浮かべる。


「差し出がましいことを申しまして、失礼いたしました」


「無事にちゃんと帰ってくるから心配しなくていい。それじゃあ、留守は任せたから」


「かしこまりました。お気をつけていってらっしゃいませ」


「行ってきます」



俺は恭しく礼をするオランジェットに手を振ってから、我が家を後にしたのだった。

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